2026年8月9日 説教「ハンナの歌 覆しの主」 “Hannah’s Song: The Lord of the Overturn ”   

箇所 Text: サムエル記第一 I Samuel 2章1~11節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 招詞 Call to Worship:詩篇 Psalm 113篇5〜9節 讃美歌 Hymns:5、89、514、539番 交読文 Responsive reading: 17番 詩67篇(Psalm 67)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing) 

※原稿と実際の語られる説教が異なることがあります。ご理解ください。

 子が育って、羽ばたく年に、その子も保護者も複雑な思いはあるに違いないとお察しします。不安や後悔もありますが、望みも感謝もあると願います。この箇所の歌い手、ハンナという女性は、預言者サムエルの母親でした。彼女は創造主なる神様からその子をいただく様に祈り、授かった女性でした。ところが、ハンナは祈った約束を果たして、サムエルが大体3、4歳になると、彼をイスラエルの礼拝の中心地のシロの町へ、エリという主任の祭司の元へ連れて行き、預けました。神様が祭司を通して、サムエルを育ててくださると期待しました。

 彼女はその意外にも早い別れの際、想いを創造主なる神様に向けて、自分の経験を振り返って、素晴らしい賛美また願い事をささげました。この祈りには、流れがあります。最初と最後は主なる神への賛美、および個人的な信仰の告白です(1〜3、8節途中〜10節)。真ん中には立場がひっくり返される、覆されることです。それは、ハンナ自身の経験を描くもので、最初と最後に神様を誉めたたえて信じる一つの理由です。

1〜3節 賛美と信仰(第一部)

 1節の「私の角は主によって高く上がります」の「角」は雄牛の角のように、力や光栄を意味しました。ハンナは1章で夫エルカナの二人目の妻ペニンナに敵対されていたと覚えると、ハンナにとって、「私の口は敵に向かって大きく開きます」は彼女の経験から来る言葉でした。

 2節「主のように聖なる方はいません。 まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。 私たちの神のような岩はありません。」そのとおりです!比べ物にならない方です。「無限、永遠、不変」の完全な方です。※⑴ 聖なる、私たちからかけ離れて、またきよい方です。頼りになられる、「岩」なる方です(申命記32章4節参照)。

 ところが、3の賛美のように、ハンナはそれを自分と他の人に適用します。「おごり高ぶって、 多くのことを語ってはなりません。  

横柄なことばを口にしてはなりません。 まことに主は、すべてを知る神。 そのみわざは測り知れません。」私たちは普段から神様を非常に小さく見てしまいます。神様のみ言葉である聖書に心を向ける態度や頻度でも、神様の教えより他のことを優先させてしまうことも、神様が全てを治めていないかのように自分の思うに世が動くかどうかで怒ったり恐怖に陥ったりしてしまう中、これに気づくはずです。ハンナは気づいて、信仰を歌いました。

4〜8節 状況の覆り

 次に4・5節で、ハンナは世の中に起きる「状況の覆り」を一般的に語ります。①力について、戦士は武器を壊されて、何もできなさそうな人は強くなります。②富について、お金持ちが日雇い人のようになり、カツカツの生活をしていた者が満ち足ります。③ハンナにとって最も身近に、家族について、子を授かる様になる人もいれば、持っていた子を失う人もいます。

 ハンナは6〜8節で、さらに具体的に、状況がひっくり返るのはただの偶然ではなく、主の導きだと認めます。自分自身も、サムエルを授かったのはそうでした。招詞の詩篇113篇もこれを謳います。

【主】は殺し、また生かします。」私たちの生死(7節「よみ」は抽象的に、死者が行くところ)は主のご計画とご支配の下です。

 7節は人の富や人生の移り変わりも神の御手の中にあると、5節を補足します。「主は貧しくし、また富ませ、 低くし、また高くします。」8節前半もそのような立場の逆転、覆しを謳います。自分の能力、行い、性格、評判などを頼りにすると、高ぶります。しかし「高慢は破滅に先立ち、

高ぶった霊は挫折に先立つ」と神様は箴言16章18節で忠告されます。4節のような「弱い者たち」を、不思議名ご計画によって弱い者として置かれましたが、良い時に「起こし…引き上げ…栄光の座を」下さることもできます。

 弱い立場はやむなしとして、弱い人の状況を改善しようとするのを諦める訳ではありません。むしろ、神様はもしかしたらあなた、私たちを用いて誰かを起こそうとするでしょう。財政的、身体的、精神的、そして霊的に、神様は私たちを用いて人を助けられます。※⑵ 私たちは、主なる神様が人の苦しい状況を覆す手段になりえます。

8節後半〜10節 賛美と信仰(第二部)

 8節は途中から、賛美と信仰にまた戻ります。3節までは一般的に主がどういう方か(聖なる、力あるなど)を述べましたが、ここは、主がどの様に働いておられるかを述べます。①8節で創造の業…抽象的に、世界の基盤として「地の柱」もその作品です。②9・10節で、主の具体的な摂理の業として、人を正しく扱われます。「主は地の果ての果てまでさばかれます。」悪人を裁き「主は、はむかう者を打ち砕き」(10節)、もう一方で善人を支えて救ってくださいます。「主は敬虔な者たちの足を守られます」(9節)※⑶

 さて、ハンナの信仰の結論は一見、不思議そうな祈りで終わります。しかし、サムエル記の中心のテーマである、メシアなる王のことです。10節4行目以降「主が、ご自分の王に力を与え、 主に油注がれた者の角を 高く上げてくださいますように。」そして「主に油注がれた者」は、私たちが「メシア」と言う表現です。神様によって特別に指名された王です。ハンナは今時点、自分の息子が主に導かれ、後に二人の人に油を注いで聖霊様によって彼らが王として力付けられるとは、知らなかったはずです。しかし、数ヶ月前に見た聖書の申命記17章で約束された王が起こされ、しかも良く、永く治める王となることに期待して、ハンナは祈りました。

 最後に11節は、ハンナの夫エルカナは家へ帰り、サムエルが残ったと述べます。次回、続きます。

適用

 さて、今日の聖書箇所は、神様ご自身についてたくさん教える箇所です。ハンナが誉めた神は、状況を覆される力も知恵もある主です。全てを造られ、保たれ、導いてくださる神です。

 神の完全な主権の現実を知るのは良いですが、私たちは信じているかも問題です。今、いる何かの状況で神のご計画を受け入れたくないかもしれません。神様より良い計画はできると思うかもしれません。でもこれは思い上がり、誤解です。ルカ14章11節でイエス様が教えたとおりです。(新p147)「なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」私たちは神様の前で、お互いの前で、低くなることは、神様が喜んで用いられる機会です。私たちは自分自身を委ねる必要があります。主のご計画の全部は知らなくても、良いことに導かれます。

 なぜなら「覆しの主」はハンナの信仰の望みに、彼女が予想できた以上に答えてくださいました。究極の油注がれた王は、サムエルが関わったサウロかダビデではありませんでした。子なる神様であるのにへりくだって、聖霊様に強められたメシア(キリスト)なるイエスです。人間として生まれ、貧しく、低くなられました。究極の境遇覆しでした。

イエスは罪によって瀕死状態、死んだ状態の人の罪の刑罰を十字架の上で受けてくださったのも、状況の覆しでした。そしてまた、復活なさって、死を覆して打ち壊してくださいました。霊的にいのちを吹き込み、起こし、生かし、導く王です。高ぶる私たちのような者が傲慢さを認めて、イエス様に信頼を置くなら、赦しと歓迎を受ける、最高の幸せを受けている者です。

神の前で自分を低くしてイエスに信頼して、助けを求めていますか。これを止めようとする高ぶり、しがみつくものはありますか。神様の主権を認めて、イエスの愛を信じて、歩める道を聖書が示しています。今の困難に嘆きつつも改善を求めるように強められます。共に、自分また家族また周りの人々が良い方へ覆されるよう、主に求めませんか。

説教について

振り返り:神の前で自分を低くして、イエスを通して助けを求めますか。これを止めようとする高ぶり、しがみつくものはありますか。

参照箇所:箴言16:18、詩篇113、申命記17:20、ルカ14:11、ピリピ2:5-11

注 ※⑴ ウェストミンスター小教理問答問い4。日本基督改革派教会大会出版委員会編(榊原康夫訳) https://rcj-net.org/library/1076/  参照。  ※⑵ ヨハネ第一3章17〜18節、詩篇41編1節、ウェストミンスター信仰告白3章1項、5章1〜3項参照。  ※⑶ ウェストミンスター小教理問答問い7〜11参照。

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)