
2026年4月19日 説教「ガリラヤでの再会」 “Reunion in Galilee”
箇所 Text:マタイ Matthew 28章16~20節(新p64) 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:4、284、294、544番 招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 100篇1~5節 交読文/Line-by-line responsive reading 3番 詩8篇(Psalm 8)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
家族や同級生の同窓会に行くと、複雑な気持ちはありませんか。楽しい思い出だけでなく、こじれた関係や恥ずかしい後悔の記憶もよみがえります。でも、あなたを本当に大切にしている相手と会えるなら、会いたいでしょう。イエス様と再会した弟子たちの経験はそれに似ていて、日々悩む私たちにもイエス様と会うように招きます。
【イエス様の招き】
- マルコ16章7節またマタイ28章7節で、天使がイエス様の復活を告げた際、ガリラヤに行って会うように招かれました。マタイ28章9節はさらに、イエス様御自身も女性たちに現れて、同じことを宣べられました。※⑴
- マタイ28章9~10節 すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。イエスは言われた。「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。」
- 十字架の死の前に一度以上(マルコ14章28節)、そして復活の後に二回、イエス様はこの知らせを必ず弟子たちに届けようと思っておられました。
【弟子たちの応答】
- 16節 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。」
- 「ガリラヤ」は十一人の弟子のほぼ皆か皆の出身地であり、イエス様と初めて出会った所でした。そこでイエス様は彼らと再会して、励まし、使命を与えるおつもりでした。
- 「山」どの山か知りませんが、ガリラヤ地方には、すでにマタイは山での出来事を記録していました。①マタイ5~7章の有名な「山上の説教」を弟子たちのためにしてくださいました。②15章で何千人ものために食事を造られたことも、ガリラヤの山でのことでした。③マタイ17章で、ガリラヤの北部かそれよりさらに北の異邦人の地域の「高い山」を登り、そこで特別に神の栄光を帯びる「変貌」の出来事がありました。…ガリラヤや近くの山に登ると、イエス様は弟子たちの前で素晴らしいことを教えて、なさって、表してきていた訳です。今度また、「イエスが指示された山」へ向かいました。
- 17節は、弟子たちの中に現実的な二つの応答が書かれています。
- 「そしてイエスに会って礼拝した。」ひれ伏したという表現ですが、拝礼・礼拝の意味です。イエスを復活した神の子、メシア、王と認めました。
- 「ただし、疑う者たちもいた。」「疑う」は「戸惑う」というふうにも捉えられます。どのよに捉えるのが最適かは少し難しいですが、複数の可能性があります。
- イエス様を礼拝した人との対照とされています。ですから、「人」のイエスを神のように礼拝して良いのだろうかという疑って迷った、ということかもしれません。
- 単純に、復活されたイエスにどう応答したらよいか戸惑ったのかもしれません。
- どちらにせよ、イエス・キリストと再会して、感激も戸惑いもあったということです。
【イエス様の愛情】
- さて、イエス様は弟子たちと、愛情と力をもって会ってくださいました。
- 18節前半で「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。」まず、死者の中から蘇られたイエスは身体的に、物質的に、弟子たちに近寄ってくださいました。ガリラヤの山で予告どおり、お誘いのとおりに彼らを歓迎して、近くに来てくださいました。そして、語りかけてくださいました。イエス様のご生涯と同じです。人に近づいて、人となり、人の言語で語ってくださいました。殺されても復活して、近づいてくださいました。
- 18節後半のお告げは弟子たちの疑いを解消する宣言でした。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」天と地のあらゆる「権威」はつまり、神様が持っておられる権威です。イエスは人であっても、実に礼拝に値する、天と地に神様の権威を持っておられる子なる神です(ダニエル7章13~14節)。
- 19・20節の大宣教命令本文を次回に見ますが、20節後半でイエス様は命令の後に、もう一度励ましを下さいます。「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」イエス様はその弟子、信じて従おうとする人を、見放されません。
- 弟子たちは戸惑う必要がありません。礼拝して良いです。そして、イエス様ゆえに、安心することもできます。
【私たちとの再会】
- イエス・キリストは今でも、色々な心境にある私たちと、再会してくださいます。18節の「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた」は今にも意味があります。礼拝でも、日常生活でも、イエス様から贈られた聖霊様はクリスチャンの心に、すぐ近くにおられ、聖書を用いて語りかけます。
- 今日の箇所で、ガリラヤでイエス様と再会した人は礼拝する人と疑う人とに別れました。しかも、一人ひとりの心の中に複雑な気持ちはあったかもしれません。私たちも、日常生活でも教会の礼拝に来ても、そうかもしれません。
- 感激して賛美できるときもあるでしょう。素晴らしいです!
- 罪深い思いや行い、また朝の後悔に悩まされて、賛美しにくい場合もあります。
- 月曜日の仕事への心配で聖書の御言葉が頭また心に入りにくいかもしれません。
- 私たちは十一弟子たちのように、複雑な気持ちで復活の主イエス様と付き合います。でも、イエス様の思いは一つです。再会して、この関係を続けよう、と招かれました。そうする権限も、共にいるという約束も下さいました。
- 喜んで賛美する理由があります。イエス様に自分を委ねて、父なる神様に赦された、きよい者として受け入れられます。第一ペテロ2章5節が言うように、「神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる」のです。天地の権威を持っておられる主イエス様が私たちを神様に紹介して、弁護して、歓迎してくださいます。
- 罪悪感、後悔、心配事に対しても、イエス様は終わりまで、御自分に信頼する者を見捨てません。十字架の上で御自分が代わりに見捨てられたから、恐れる必要はありません。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」と第一ヨハネ1章9節が、イエス様による約束を差し出します。
- 今日の箇所に出た弟子たちのように、イエス様を見捨てて自己中心に生きたという罪が私たちにもあります。でも、信仰が揺らぎそうであっても、イエス様の権威とご臨在を信じて、神様に近づくことができます。イエス様はそのような私たちのために、私たちの悪い歩みの刑罰を受け、完全に償ってくださいましたから。
- 今週、あるいは只今悩みや後悔を抱くあなたは、何度も関わろうと招いてくださり、権威と恵みを持つイエス様に信頼を置いて、従おうと思いますか。
説教について
振り返り 常に招いてくださるイエス様に、信頼を置いて従おうと思いますか。
参照箇所:ダニエル7:13-14、ヤコブ5:13-16
注
※⑴ これが先週のマグダラのマリアの経験と重なる部分があって、同じ面会かどうか断言できませんが、イエス様は墓の前で複数の女性と会ってくださったことは確かです。