2024年8月25日「同じ救い主、同じ保証、同じ目的」
説教の聖書箇所:エペソ人への手紙1章11〜14節
世の中で多様性が大分言われるようになってきました。そのお陰で、私たちは自分と異なる人から学べることが増えました。もう一方で、協力し合い、認め合いにくいことがよくあるかと思います。愛し合って、一つの共同体として意識するのはもっと難しいです。会社や学校、社会でそう感じたことがありますか。
聖書はすでに、昔から、大きな社会的文化的分断を超えて、一つの新しい共同体、教会が生まれたことを告げます。パウロの時代、ユダヤ人とそうでない人々はローマ帝国の中で分断されていました。ユダヤ人達の多くは誇り高く、自分の宗教と民族と習慣を守ろうとして、他の民族を神様に顧みられない「異邦人」と見做しました。ユダヤ人と異邦人は同じ町で暮らして、商売などのやりとりをしても、愛し合うのは難しかったでしょう。でも、今日の箇所の11・12節の「前からキリストに望みを置いていた私たち」ユダヤ人、そして13節の「あなたがた」、つまり多くの異邦人の人たちことは一緒になったということは注目に値します。
パウロはエペソ人への手紙1章10節でこの手紙の中心のテーマ、すなわち、イエス・キリストにあってすべてのことが集められ、まとめられ、愛と平和のある一致を創り出されるとすでに伝えました。今日、それが多様で相入れないような人々にとってどうして起きるかが分かります。同じ救い主、同じ保証、同じ目的によって歩めるから、教会が一つとして歩めます。
- 同じ救い主(12・13節)
- そもそも、「救い」とは何からの救いでしょうか。神様との敵対(罪)とその結果の裁きから救われ、霊的また物質的に平和な状態に入れられること、と言えます。1章7節は「キリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています」と、その根拠はイエス様にあると教えます。イエス様に信頼を置いて自分の罪を取り扱っていただく人は、罪の報酬である霊的な死と身体の刑罰を逃れ、神様と親しく、生きた関係を今も地上で、そして永遠に楽しめるようになります。
- 救いは、人の背景を問わず、同じ手段で同じキリストに基づいて与えられます。前回の箇所12節では、ユダヤ人たちは「前からキリストに望みを置いていた」訳ですが、旧約聖書の約束のとおりにイエス様がメシア、キリストとして来られて神の赦しを受けた者たちです。13節の「あなたがたも」つまりエペソ人信徒、おそらく異邦人大多数の教会も、「真理のことば」を聞きました。 これはは抽象的あるいは相対主義的に捉える「真理」ではなく、唯一の真理としての言葉です。「真理そのもの」であられる神様の揺るがない知らせです。1具体的に、「あなたがたの救いの福音」です。
- ①福音はイエス・キリストに関する歴史的事実の宣言であると同時に、②それを信じて、むしろイエス様ご自身に信頼するなら、その歴史的現実によって始まった祝福をいただけるという招きでもあります。「まず正しく行えばあなたは神に受け入れられ、相続が受けられる」ではなく、「神様が相続を与えるために全ての条件をイエス様がすでに満たしたことに自分を委ねるなら、相続をあげます」という良い知らせである。
- ユダヤ人も異邦人も、どの人も、同じ救いの福音を共有できます。社会的背景、人種、性別、過去の失敗や恥と関係なく、イエスに信頼する誰でもが救いを受けられます。同じ救い主を仰ぐことができます。
- 同じ保証(13節後半・14節前半)
- ただ、どうすれば、この救いの約束について安心できるでしょうか。13節後半では、イエスを信じた異邦人たちが「約束の聖霊によって証印を押されました」と言われます。日本で重要書類に押す実印のようなものです。聖霊様は何の「証印」を下さるでしょうか。
- 「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です」と14節前半は言います。(「私たち」信者皆への共通の相続の保証です!)受け継ぐものに対する「保証」が私たちに大きな励ましを与えます。誰でも、安心したいでしょう…。神様は安全や安定を約束されませんが、それ以上に、神様との活ける関係を保証してくださいます。「保証」の意味は新改訳2017版の註で「手付け金」:何かの所有を確実に保証する、最初の支払いです。
- まるで、神様が「信じる人に聖霊を、その所有する素晴らしい祝福の第一部として送り込みます。わたしが割り当てた所有全部は、御霊の神ご自身によって約束されています。あなたはわたしの愛する子です。だから期待しないさい」と言われるようです。私たちは心配しなくても良いです。聖霊様が保証です。2
- 同じ目的(11-14節)
- どのクリスチャンも同じ救い主イエスによって救われて、同じ保証の聖霊様を受ける目的とは、多様な人が共に神を得て、神のものとなり、神の栄光を表すためでした。「御国を」は新改訳の補足であり、註にあるように、11節の場合に私たちが「受け継ぐ」のでなく神によって「神の資産となりました」、神の大切な所有とされた、という捉え方もありえます。13、14節もこの辺でやや曖昧です。新改訳はおそらく正確に、14節で「私たちが御国を受け継ぐ」に続けて、「私たちが贖われて神のものとされ」るとしています。神様は贖いと救いによって、人間と相互の関係を下さいます。私たちは受ける者になり、差し上げる者にもある。
- クリスチャンは神様と永遠に過ごせ、それまで地上で愛と喜びと平安の内に歩めるようにされたのなら、私たちは神様に何を差し上げるのでしょうか。深い人間関係のように、自分自身(11節註の別訳・14節)を、そして相手への評価(12・14節)を、です!神様については自分自身全身全霊を、そして栄光をお捧げします。
- 神を誉め讃えるのは、6節にも出た同じ目的です。神様が賛美されたいと思われるのは、自己満足や高ぶりではありません。最高最上完全な方にふさわしく、実際に認められるべきだからです。神をそう扱って賛美するのは人間にとっても、最高の喜びです。3そして神様が愛の故に人間にその喜びを差し出してくださいます。
- だから神様が全てのことを、11節のようにみこころと目的どおりに計画され実行に移されます。どの人も、この同じ目的によって救われて、喜びつつ神に従うことができる者へと変えられることができます。
- クリスチャンは神様と永遠に過ごせ、それまで地上で愛と喜びと平安の内に歩めるようにされたのなら、私たちは神様に何を差し上げるのでしょうか。深い人間関係のように、自分自身(11節註の別訳・14節)を、そして相手への評価(12・14節)を、です!神様については自分自身全身全霊を、そして栄光をお捧げします。
適用 神に栄光!
- エペソ書1章6・12・14節で繰り返されたのは、神様への賛美のために神が素晴らしいことをを計画され、なされたということです。3〜14節の箇所によると、ユダヤ人も異邦人(私たち)も神の素晴らしさを誉め讃えるように選ばれ、贖われ、心を開かれました。今日の箇所で、神と神の国を受ける者とされ、その保証を聖霊様によって受けました。
- 三つの応答:
- 1)11〜14節より、「私たち」多様な人がの一つの家族として歩むこと。ただし、正直に言うと、自分と違う人を愛するより、見下すほうがやりやすいです。違う人と一緒に神様に集中して賛美するのが難しいかもしれません。
- 2)13節より、信頼に値する神の福音を信じて、キリストに自分を委ねること。聖霊様によって安心すること。しかし、そうするために自分は従う必要があり、しかも、自分の誇りを捨てる必要があるので、クリスチャンになっても、「ここからは自力でやる」と思いたくなってしまい、自力でできない人を見下すか、自力でできない自分を自己卑下することになることがないでしょうか。
- 3)12・14節より、神様の素晴らしさを映すように生きること。しかし、やはり自分の素晴らしさに集中したいこともありますね。2番目の適用のとおり、イエス様により頼みたくない時です。
- あなたにとって一番難しい、あるいは今週特に挑戦したいのはどれですか。いずれの適用についても、福音が必要です。
- 本当に私たちを満足させて、高ぶりを取り扱うには、十字架で見上げましょう。私たちは平等に、神に反抗する罪に染まりました。ところが、イエス様が十字架で自分の傲慢さ、高ぶり、妬みなどの罪全部を背負って、罰を受けられたと信じるだけで、私たちは皆、平等にきよい者として義と認められます。
- ここに、(1)互いにへりくだって受け入れ合う理由があり、(2)聖霊様の保証に安心する根拠があり、さらに、(3)神様を賛美する動機づけもあります。
- 説教後の讃美歌でも、神を慕って誇りとして、賛美したいと思います。色々な背景を持ちながら、共に、キリストに対する信仰によって受ける祝福を聖霊の保証によって喜び、神を賛美しましょう。
註
1第一サムエル15:29「実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔やむこともない。この方は人間ではないので、悔やむことがない。」「真理そのもの」はウェストミンスター信仰告白1:4、日本キリスト改革派教会編集の訳より。
2ガラテヤ4:4-7参照。
3ウェストミンスター小教理問答問1の答え:「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。」日本キリスト改革派教会訳。