2024年8月11日「代償が払われた目的」

説教の聖書箇所:エペソ人への手紙1章7〜10節 パート2

2回前、エペソ書の1章7節に集中しましたが10節まで読んだ。「代償が払われた」と7節で、神様と和解に必要な赦しの代償をイエス様が十字架で払ってくださったと確認した。さらに8節から10節までには、赦しの代償が払われた目的を見ることができる。

 世界は昔から、争いと無秩序に陥っている。聖書が教えるとおり、それは創造主の神様に人間が逆らったからである。悪魔は人間を滅ぼそうとして、まず神との関係を棄てるように促した。そこで神のことばを疑って逆らった人間は神を避けようとして、神を責めて、人間同士で非難するようになった。殺し合うようになった(創世記3-4)。今でもそのような葛藤は国・世界のマクロレベルでも、家庭・集団のミクロレベルでも見られる。世界中を見渡せば、強い人は他の人を従わせ苦しませながら「天下統一」目指してきた。そして家庭や教会の中でも、争いが起こる。平和が遠く感じるときはある。

 イエスによって赦し、贖いの代償が払われた目的は、新しい秩序のためであった。私たちはその秩序の前味を、イエス様を通して、受けられることを今日学ぶ。

8-10節前半 この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ、 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され…。

  1. 神様は贖いの祝福を、どういう態度で届けてくださったか。
  • 8節で神様は「あらゆる知恵と思慮をもって」私たちが恵みを拒まないで受け入れるようにしてくださった。鈍感で頑固な、反抗的な罪の心に理解する思いと受け入れる態度を賜った。そのように「知らせて」くださることにより、9節によると恵みを「あふれさせ…てくださいました。」クリスチャンがイエスを知るようになったのは能力によらず、神の恵みによる。
  1. 神様は何を知らせてくださったか。「みこころの奥義」。
  • 「奥義」とは、エペソ3章5節にもあるように、神様が計画されて、旧約時代でも予告されほのめかされたことが、ようやく成就され明らかにされた特別な事。
    • 9節「キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい」計画された。そしてついに「時が満ちて計画が実行に移され」た(10節)。言い換えると、イエス様が約束されたことを7節のとおりに行われ、ようやく奥義を成し遂げてくださったことである。

10節半ばから「天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められること」

  1. ここの奥義の内容は?
  • ここで言われている奥義の内容とは、子なる神が全宇宙の全てを「集め」ること。新共同訳では全てが「まとめられる」とある。要するに、正しい秩序の状態にまとめて、統べ治めてくださること。
  • これは、エペソ書の全体のテーマとも言える。神様がイエス様を通して、まず教会に於いて、最後に全宇宙において平和のある一致と秩序をもたらしてくださる。
  • 人類の問題:罪による対立。世界の秩序と美しさが人間の反逆によって破壊された。その深さは計り知れない…。国と国、地域と地域、社会の中、家庭の中に葛藤と敵意が絶えない。本来あるべき秩序と美しさを取り戻すように、神様は人類の反逆の発端であった悪魔を打ち倒し、さらに人間の心を変える必要があった。人間中心的な「統一」や制圧ではなく、神中心の秩序は愛によって生まれる。
    • 昔から約束されたメシア、キリストが新しい秩序の開始を成就なさった。これがパウロの言っている奥義である。
  • 難しい、壊れた人間関係の回復とは何だろうか。本当に健全な関係は2者のコミュニケーション上手からではなく、神様を頂上に置いた三角の関係から生まれる。これを可能にしたのは、イエス様が贖いをなさった歴史的出来事である。代償が払われたからこそ、神と人の和解が可能となった。それからその人は他の人とも本当の平和を持つことが可能になった。
    • 建前だけの「一致」ではない。醜い罪の問題を真正面から捉えて、その罪の赦しの代償をイエスが払ってくださった結果として、イエスに信頼して服従する者は新しい共同体に入れられる。「神の国」の秩序に入るとも言える。その中心の現れは「教会」である。神の家族の一致に入れていただく。そこの一致は不完全なものであるが、可能であり、見えなくても現実である。
    • 同調圧力や強いカリスマ性、力ずくや説得で統一させる人や国、カルトは世界にたくさんある。でも、神と人間との平和から生じる一致は違う。イエス様の再臨までに、この一致は完成させられないが、その時の完成を待ちながら、今その前味を楽しめる。
      • イエス様が地上に戻られる際、悪魔と罪人との戦いがある。やっと、悪が取り払われて、善だけの世界が始まる。イエスに信頼し、エペソ1章7節の贖いにあずかった人は入られる。「一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」と、新しい天と地ができる。
        • 神様が平和を作るために、身代わりに死んでくださったキリストを通して贖いの代償を払ってくださったからである。自ら代償を払うのを諦めて、イエスに頼って神の赦しを求める人は、今始まった神の国へ歓迎される。つまり、教会の中で「愛をもって真理を語り」合う共同体(エペソ4:15)で成長して、教会内外の人間関係でも相手と平和を求めるように神様が育ててくださる。
        • 罪が残っているので、教会の中でも秩序が見えない時もある。嘆きつつも、一致が与えられた土台はイエスの贖いだと覚えて生きよう。今も期待して、愛のある一致を求めよう。これはエペソ書全体でより深く学んでいくテーマである。
        • 王なるイエスがこの世界に戻って来られるまで、教会は神からの和解のメッセージを告げ知らせる。クリスチャンは自分の関係でも、平和を愛し求める者への変えられる。「平和をつくる者は幸いです。 その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)

 7節の贖いの成就は、神様によって計画され実行されたが、その目的も、平和のある一致であった。では、どう適用しようか。

  1. クリスチャンなら、8と9節のように、神様が私たちに恵みを溢れさせて、理解するようにしてくださったことを感謝できる。恵みがなければ、私たちはまだ神を受け入れず、平安を知ることができなかった。神様が周りの人々にも恵みを溢れさせるよう、祈りたい。
  2. 今日の箇所の頂点は10節にある奥義の意味である。私たちはイエス・キリストが愛ある秩序を創ることがおできになると信じますか。
  • これは主の祈りの「御国が来ますように」の言い換え。
    • まず第一に、神との関係は平和の関係であるか。イエス・キリストが主であり自分は神様の前で罪人だと認めて、イエス様が自分の罪について死んでくださり、今は生きて赦しと助けを下さると信じているなら、はい!あなたは神と完全な平和が与えられている(ローマ5:1)。存分に楽しもう。神に贖われて、子とされて、きよめられつつあるのはなんと大きな祝福だろう。キリストにあって、愛ある一致を神と受けている。
    • 第二に、横の関係で神様が平和と一致をもたらすことができると信じるか。私たちの壊れた関係が新たになるために、犠牲を払う必要はある。一方で誇りを捨てて、謝るべきことはあるかもしれない。もう一方で、あるいは同時に、恨みを手放して、神様が自分を支えると信じて、傷を背負う覚悟で赦すべきこともあるかもしれない。 適宜、互いの思いを聞き合って、問題の元を探って、イエスの赦しに立って悔い改めて赦すほど難しいことはないだろう。しかし、イエス様が民を贖う代償を払ってくださった目的は、愛のある、神のもとにある一致のためであった。私たちが払う代価はそれと比べて、何だろうか。

1 招詞:詩篇46:1-2、8-11。交読:詩篇96。 賛美:267番、75番、191番、544番。

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)