2026年7月26日 説教「ハンナの祈り」 “Hannah’s Prayer”  

箇所 Text: サムエル記第一 I Samuel 1章1~28節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア  招詞 Call to Worship:マタイ Matthew 11章28節 讃美歌 Hymns:73、312、396(1-3節)、191(1-2節)、545A番 交読文 Responsive reading: 14番 詩50篇(Psalm 50)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing) 

※原稿と実際の語られる説教が異なることがあります。ご理解ください。

 

 祈りで何かを求めたことがあるかと思います。(未信者でも?)長く、熱心に願い求めてきた可能性も高いと思います。青年の頃、将来どういう仕事をしたら良いか教えてください、と熱心に祈っていた時期がありました。特に2年生の時期にしきりに祈りました。答えが中々来ないので焦りました。今思えば仕事も何とかなりますが、大切なことです。でも自分にとって、心配と悩みの種でした。

 今日の話でハンナは全く異なった祈り方をしました。大きな願いもありましたが、神に対する、委ねるという約束をもしました。私たちが祈る祈りの想いと神様の想いと思い出すように導かれていると信じます。

ハンナの家族(復習)

 前回の復習ですが、サムエル記第一の第1章の主人公はハンナという女性でした。彼女の夫エルカナは、子供を授からないハンナの他に、ペニンナという女性とも結婚していました。エルカナはハンナが好きで、創造主なる神への礼拝の後の宴会でハンナに特別なものを与えていました。そこで6節のとおり「彼女に敵対するペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせ、その怒りをかき立てた。」子沢山のペニンナは、ハンナをからかっていた訳です。

 ハンナはもちろん、悔しがり、泣きました。エルカナは、と言えば、8節で彼女を鈍感に「ハンナ、なぜ泣いているのか。どうして食べないのか。どうして、あなたの心は苦しんでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか」と、むしろ責めるような言葉で慰めようとします。

 ハンナはその時、主なる神様の礼拝の中心の神殿(天幕)が建てられていたシロの町へ来て礼拝していた訳です。家族から離れて、神殿近くへ行きました。10節で「激しく泣いて、主に祈った。」先週までの箇所です。

ハンナの祈りの想い

 さて、続きです。11節『そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず…」』と主を呼び求め、憐れみを求めます。

 次に、ハンナは「男の子を」と求めます。女の子でもハンナは喜んだに違いないですが、男子を求めた訳は「その子を一生の間、主にお渡しします」という驚くべき誓願から分かります。その子がイスラエルの礼拝の中で奉仕をすることは、男子だけに認められました。

 誤解されませんように。牧師や宣教師が霊的に優れた人ということではありません。どの職業でも、神様の素晴らしさをあらわすためにするなら、素晴らしい働きです。多くの選択肢から、職業を選んで良いです。ただし、その中で私たちが自分を「一生の間、主にお渡しします」と、働き方と働く目的を神中心にすることが重要です。例えば、他の人が良いことを喜べるように努めることです。同時に、人が主を最高の喜びとするように導き励ます人は言わば、「エッセンシャルワーカー」です。

 「頭にかみそりを当てません」はおそらく、イスラエルで神様に特別な約束をする際、約束したことを行う間、髪を切らずぶどう酒を飲まない誓約をした「ナジル人」のように、ハンナが信仰によって受けた子をささげた意味でしょう(民数記6章、士師記13章参照)。

 さて、9節後半に登場して、神殿の近くにいた祭司エリは、12〜14節によるとハンナをじっと見て、酔っ払っていると判断して、叱ります。(事情を聞かないで先に判断したの誤っていました。)

 しかしハンナは逃げもせず怒りもせず、15、16節で丁寧に説明します。「…私は主の前に心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」エリはなるほどと思って、「イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように」と励まします。18節で「彼女は、帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった」と、ハンナは安心して、主に期待した様子です。

 19節にハンナと家族が家へ帰り、「エルカナは妻ハンナを知った」(一緒に寝た)後、「【主】は彼女を心に留められた」とあります。20節でハンナは妊娠して男の子を生みました。命名の際、「私がこの子を【主】にお願いしたのだから」と記念して、「サムエル」を付けます。具体的な意味は定かではありませんが、少なくとも神様からこの子を受けたことを喜び、主を讃える名でした。※⑴

 21〜23節でハンナは、いつもの一年毎の礼拝で旅しないで、サムエルの断乳が済むまで家に残りました。(当時、3、4歳まで授乳することが多かったそうです。)夫のエルカナはハンナの誓願の結果、子が家を若い時に出ることを認めます(民数記30章参照)。いよいよ、サムエルが乳離れすると、ハンナは約束のとおりにします。24節「…彼女は子牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携えてその子を伴って上り、シロにある主の家に連れて行った。」エパという単位は20リットル以上で、「子牛三頭」も高額な家畜でした。※⑵ エルカナはハンナが祈った誓願にしたがって、惜しまず、快く大きなささげものを提供しました。※⑶

そして25〜27節でハンナは礼拝して、サムエルをエリへ連れて行き、事情を説明します。数年前に、神様に祈ったことが答えられ、この子を授かった、と。そして28節で「それで私もまた、この子を【主】におゆだねいたします。この子は一生涯、主にゆだねられたものです」と、エリに子育てとしつけを委ねました。私たちに想像しにくいですが、ハンナはそうして、神様に感謝と賛美をあらわしました。

神の想いと私たちの想い

 さて、ハンナは心痛むような想いでささげたと思いますが、息子と毎年会えました(2章19節)。でも、ハンナの祈りは、聖書の中心にある、神様によるささげものをほのめかしました。

ローマ8章31節前半〜32節(新p310) …神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。

 時間が限定されても、十字架にかけられたイエスに3時間、暗闇の中で罪に対する怒りを注いだ間は、永遠のような、測り知れない裁きの地獄でした。ハンナでも私たちでもそれを通らないように、神様がそうしてくださいました。

 主は罪を見逃せられません。自己中心な祈りや神様を蔑ろにする他の想いに対して、神は義を行うために罪の裁きを惜しまずに下されました。でも、それを受けたのは、ご自分を惜しまないで罪の裁きを受ける身代わりの子、イエス様でした!そして私たちがイエス様に自分を委ねて神に立ち返るように招いて、働きかけてくださいます。

 だから、イエス様に信頼を置いてイエス様の祝福を受ける者は、ハンナのように「顔は、もはや以前のようではなかった」(第一サムエル1章18節)と変わることができます。パウロのように「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」と、色々な形で敵対するペニンナのような家族や同輩が敵対しても、平安を持てます。イエス様が自分のためにささげられたと信じて従う決心をして、バプテスマを受けると、キリストと繋がり、罪と縁を切り、神の家族に加わったことを意味します。私たちは新しい歩みをの中に神様の愛を受けて、またお裾分けするように変えられつつあります。犠牲を払っても、イエス様を持っているので、満たされ続けます。

 私が大学生として焦って求めていた「進路の導き」ですが、まだ暫く分からないまま、その学期は終わりました。でも、より感謝なことに、自分が自分を求めている、と気付かされて悔い改めに導かれました。職種ではなく、神様によって幸せであると知ったことは偉大な学びでした。何をするにしても、神様の素晴らしさをあらわすことができますように。まず神様がすべてを惜しまず、与えてくださいましたから。

説教について
振り返り:犠牲にしたくないものを主に委ねるために、主の愛による犠牲を思い出していますか。
参照箇所:民数記6:1-5・30:10-15、士師記13:1-5、詩篇37:4-5、ローマ8:31-32

注 
※⑴ David Toshio Tsumura, The First Book of Samuel, NICOT (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2007),127-128.
※⑵ 断乳については上掲書、128。ささげものについては上掲書、129-131.
※⑶ Robert D. Bergen, 1, 2 Samuel, NAC (Broadman & Holman, 1996), 71-72. Accordance version.

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)