
2026年7月19日 説教「ハンナの家族」 “Hannah’s Family”
箇所 Text: サムエル記第一 I Samuel 1章1~10節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns: 56、283、396、544番 招詞/Call to Worship: 詩篇100篇4~5節(旧p1037) 交読文/Line-by-line responsive reading 13番 詩46篇(Psalm 46)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
※原稿と実際の語られる説教が異なることがあります。ご理解ください。
家族の悩みや後悔が一つもないという人はいるでしょうか。家族が不完全であると聖書は正直に、何度も伝えます。私たちは自分の家族について耐えきれない辛さにさいなまれると、神様を思い出せるなら幸いです
- サムエル記の先に来る聖書の3巻(ヘブライ語聖書で後になるルツ記以外)を先月、それぞれの締めでまとめました。
- 申命記の終わり 預言者を待ち侘びる民
- ヨシュア記の終わり 罪に迷い込むと予告される、浮気性な民
- 士師記のの終わり 王を待ち侘びながら、罪に迷い込み挫折する民。
- 士師記の時代にサムエル記の話が始まります。「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。」(士師記21章25節)そしてサムエル記第一の1章は、「エフライムの山地」の人エルカナが登場しますが、これは彼より妻のハンナの話です。※⑴ 9節までは、ハンナの家族とその問題の深さを表します。
- まず2節、「エルカナには二人の妻がいた。」旧約聖書では一夫多妻は、厳密にいうと明白に禁止はされていません。
- ところが、イエス・キリストが同じように容認された離婚に関して、本来の結婚のあり方からかけ離れたものだtご言われました(マタイ19章4〜6節)。
- 一夫多妻は当時、十分に富があり、特に受け継ぐ息子が欲しければ、認められることでした。しかし聖書は幸せな一夫多妻で幸せな家庭を描きません。大抵、羨ましがりと競争が生じます。
- 二つ目の問題がありました。「ハンナには子がいなかった」のだから、悔しさ、また、創造主なる神様に忘れ去られたような悩みがありました。不妊だったからこそ、エルカナはペニンナを求めたのかもしれません。そしてペニンナは子沢山でした。
- ヤハウェとの関係を記した契約書の入った「契約の箱」がシロという町に置かれていて、そこで礼拝するのが慣わしでした。エルカナはいちおう敬虔なイスラエル人で、「この人は、毎年自分の町から上って行き、シロで万軍の主を礼拝し、いけにえを献げることにしていた」とあります。
- 3節は最後に後からの登場人物「エリの二人の息子、ホフニとピネハス」を祭司として紹介します。
- さて、4節に具体的な話が始まります。「そのようなある日、エルカナはいけにえを献げた。彼は、妻のペニンナ、そして彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えるようにしていたが、ハンナには特別の受ける分を与えていた。」そのいけにえはおそらく羊で、いけにえをささげる際に残った肉で祝って、宴会するのはイスラエルの習慣でした(申命記14章22節以降にその規定があります)。
- エルカナは家族と楽しい食事をしようとしながらも、二人の妻の間の違いを際立たせてしまいます。ハンナに特別な品質か量のお肉を与えます。「彼がハンナを愛していたからである」と、えこひいいきと言えます。
- 著者が繰り返して、強調する問題は「主は彼女の胎を閉じておられた」。不妊の問題が続きました。しかも、これは人からではなく、命の創り主なる神様の仕業でした。神様、なぜでしたか、と聞きたくなります。エルカナはこれについて慰めたかったかもしれませんが、意図と逆の効果が出ます。
- 6節「彼女に敵対するペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせ、その怒りをかき立てた。」ペニンナは意地悪く突いていきます。これは毎年のことでした。そして「ハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。」ハンナの家族の悲しいうち揉め。
- そしてエルカナは。8節「ハンナ、なぜ泣いているのか。どうして食べないのか。どうして、あなたの心は苦しんでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか。」あなたがハンナだったら、どう感じると思いますか。慰められるどころか、責められている、恩知らずの女とも受け止められるかもしれません。これも、ハンナの家族の状況です。「敵対する」ライバルと鈍感な夫。そして不妊を与えられた神様がおられると彼女は分かりました。
- 9節以降で、ハンナは家族を一旦離れて、礼拝の場、祭司の入る所へ行きます。10節前半「ハンナの心は痛んでいた。」もちろんのことです。状況は変わらず、痛みばかりです。
- 10節後半「彼女は激しく泣いて、主に祈った。」原文で泣いたことが強調されます。祈るが、辛くて、号泣しながらです。でも正直に、詩篇によくある嘆きのように、「激しく泣いて、主に祈った」のです。
- この話の続きに進む前、まずハンナの家族の事情を考えて立ち止まる意義があります。
- 家族、家庭に問題がない人はだれもいません。人に傷をつけるし、人の罪、弱さ、鈍感によって傷つきます。ハンナの傷は、多く出ました。エルカナからもペニンナからも色々な傷を受けていました。さらに、背景には、神様の不思議な摂理の中で、ハンナに子どもをまだ賜っておられませんでした。ハンナは心の底から悲しみ、祈って、泣きました。
- 私たちも苦しい状況に悩んでいるかもしれません。寂しさ、喪失感、後悔を抱いています。一夫多妻の問題が日本になくても、冷えた夫婦関係、別居、離婚、死別も同じほどの悲劇です。子供についても悩み、後悔、喪失感はありえます。私たちも家族について多くの悩みを持っています。
- だからこそ、福音が述べる良い知らせの「福音」を家庭の問題に照らす必要があります。
- まず、父なる神様はハンナに子を与えられなくても、祈りによって引き寄せてくださいました。
- 私たちに家族での悩み、恨み、悲しみが来ると、激しく泣きたいときでも、それも神様が用いています。今はハンナより遥かに深く、神様の愛を信じる理由はあります。イエス・キリストがすでに、罪まみれの世界で育ち、寂しさでも、攻撃されても、家族を持てなくても、父なる神様を信じ続けました。祈り続けました。そしてついに、家族を得ました。私たちです…
- 私たちは…立派とは言えない家族ですが、聖霊なる神様によって心を変えていただき始めた者です。失敗して、罪を犯して、人を傷つける者です。他の人の罪で何十年間も痛みをこらえてきた者です。大泣きするかもしれません。しかし、イエス様に信頼を置いて、自分の罪の分を赦されるために委ねると、私たちは願わなかった苦しみや他の人の罪の重苦しさをイエス様に委ねることができます。
- 今日の箇所は、家族にまつわる苦しみを認める機会です。さらに、正直に神様だけでなく、神の家族同士で苦しみを伝えて、祈りを求める機会です。抱え込まないでください
- 慰めようとする場合でも、神様にまた助けを求めます。相手のために激しく泣いていいです。
説教について
振り返り:。家族に関する苦しみを受けても、キリストの
参照箇所:士師記21:25、ローマ12:15-16、
注
※⑴ エフライムはイスラエルの12部族の中で地位の高い、栄える部族として昔から預言されていました。しかし、サムエル記の初めの時代背景は、士師記の時代です。士師記の最後の二つの惨たらしいエピソードはどちらも、「エフライムの山地」の人物が関わりました(17章1節、19章1節)。だから読者は「エフライムの山地ラマタイム出身のツフ人の一人で、その名をエルカナという人がいた」と、心配気味に聞いたでしょう。