
2026年6月14日 説教「預言者モーセの死」 “Death of Moses the Prophet”
箇所 Text: 申命記 Deuteronomy 34 章 1~12 節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns: 284、488、294、546 番 招詞/Call to Worship: 黙示録 Revelation 1章5~6節 交読文/Line-by-line responsive reading 3番 詩19篇(Psalm 19)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
長く、何かの問題の解決を待ち侘びていませんか。…旧約聖書のどこを読んでも、待ち侘びても願いが叶わない話があるように思います。エデンの園に最初の人間が幸せだったときでも、それより良い「いのちの木」が待っていました。ただ、神様に反抗してしまったその二人とその子孫はそれに辿りづけませんでした。その後に主が憐れみ深く約束を下さいましたが、中々約束の成就はありませんでした。今日の箇所で、預言者モーセも、後の民も、切なく待ち侘びた経験が書かれています。
サムエル記の連続シリーズで宣教したいと思っています。ただ、聖書のどの部分もそうですが、単独で周りから切り離して読めません。サムエル記に入る備えとして、その前の三巻の終わりを先に見るために、今日は申命記・来週はヨシュア記・再来週は士師記の締めを順に見ていきます。
一 モーセは約束された地を見たが、体験できませんでした。
- 1〜3節でモーセは、民イスラエルに約束されていた土地を見渡しました。モアブ(ダビデの日おばあさんルツの出身地)、イスラエル本土の東側を北から南へ流れるヨルダン川を前にして、西を向かいました。
- 1節で目の前に、目の前に、イスラエルが勝ち取らないといけないエリコがありました。
- 右手から、①ヨルダン側の手前ですでに占領できた「ギルアデ」、②ヨルダン側とガリラヤ湖の北にある「ダンまで」(1節)、③その左側(少し南西)の「ナフタリの全土」(ガリラヤ湖の近く)、④イスラエル本土の中心・北部の「エフライムとマナセの地」、⑤中部・南部を占める「ユダの全土を西の海まで、ネゲブと低地」、最後に⑥目の前のエリコから、その左(南)側の死海のさらに南側の「ツォアルまで」目が移りました。
- 素晴らしい見晴らし…4節前半 そして主は彼に言われた。「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに『あなたの子孫に与える』と誓った地はこれである。」神様は約束を必ず成就なさいます。
- 4節後半「わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない。」見ても口に入れられない果物、読んでも聞くことができない曲、見ても住めない憧れの家。神様に一度、逆らっただけで(民数記20章)。神様が私たちの反抗の罪をどんなに重く見るかが伺えます。私たちも、罪の結果長く後悔することがあります。
- 5節「こうしてその場所で、主のしもべモーセは主の命によりモアブの地で死んだ。」モーセの長年の旅は惜しく、そこで終わってしまいました。
- 6節 イスラエルの民は数百年前に亡くなったヨセフの骨を携えて、約束の地に運び入れようとしていました。しかし神様はモーセの遺体さえ入らないように、それを隠されました。※⑴
- 7節 モーセは何年も、120年も生きて、まだ元気でした。約束された地の手前で死んだことは彼の弱さではなく、神様の計画の通りでした。イエス・キリストが十字架上で、力強く叫んでから命を引き取られた(マルコ15章37節)、とあるように。
二 ただ、イスラエルはモーセに続く預言者を長く、切なく待ち侘びました。
- 8節はイスラエルの民の反応です。「…三十日間、モーセのために泣き悲しんだ。…」
- さて、指導者の交代ですが、主なる神様はすでに前から、「ヌンの子ヨシュア」を指名しておられました(1章38節参照)。9節は「ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満たされていた。モーセがかつて彼の上にその手を置いたからである。」(按手礼はこれや新約聖書の事例から、現代の長老に対しても行われます。
- そして9節後半で、イスラエルの民はヨシュアの指導権を受け入れました。
- ところが、10節「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。」この最後のコメントはモーセ自身ではなく、モーセが書いた申命記に補足を書いた人の言葉です。なぜこういう補足が重要かと言うと、申命記18章15節で、モーセが大切な予告をしていました。「あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。あなたがたはその人に聞き従わなければならない。」
- モーセの何に似た預言者を待ち侘びていたのでしょうか。
- 神様との関係の親密さ。「彼は、主が顔と顔を合わせて選び出したのであった。」(10節)主と親密に語り合い、神様から人々へそのお言葉を伝えました。
- 11〜12節のとおり、モーセは「あらゆる力強い権威と、あらゆる恐るべき威力をふるう」預言者でもありました。エジプトに対して(11節)でも、イスラエルのため(12節)にでも、神様の力を最もはっきりとあらわす預言者でした。
- それほどの預言者はまだ、お探し中…モーセが約束の地に立つことを待ち侘びたように10節の補足者は待ち侘びていました。
* 私たちも待ち侘びますが、約束の成就を見始めた者として待ち侘びることができます。
- クリスチャンが「はるかにあおぎ見る」(讃美歌488番)約束の地は、まだ待ち侘び続ける神の国です。最終的の、新しい天と地です。でも、私たちはもう一つの約束がすで成就されたから、新しい天と地をも確信することができます。
- 最高の預言者がすでに来たからです。福音書も使徒の働きの説教でも、人々は、それがイエス様だと分かりました。(ヨハネ6章14節、使徒3章21~26節など)。
- 父なる神様と永遠の親密さを持ち、一生涯その言う通りに行い、証しをなさいました。最高の奇跡、ご自分の復活を遂げられました。イエス・キリストこそが黙示録1章5節(招詞)の言うように「確かな証人、死者の中から最初に生まれた方」です。モーセの後の預言者を私たちは、すでに受けられます。旧約時代の預言は成就しました。
- そして福音書の最も素晴らしく不思議な話の一つで、モーセは約束の地に初めて立って、約束された預言者を仰ぎました。モアブのどこかの山で死んで、天国に行ったモーセはある日、神様から特別な指示を受けました。「地上に一瞬だけ、降りなさい。あなたが待ち侘びた預言者の顔を仰ぎなさい、と。降りた山はガリラヤかその近辺のどこか、約束の地でした。見たのは御顔が照り輝く、イエス様の顔でした(変貌の山、ルカ9章28〜36節)。※⑵
- 私たちのせいで願わないことはたくさんありますが、主なる神様の恵みと計画は不思議です。イエス・キリストは約束の地で、約束の預言者としてモーセに現れました。
- 究極の約束の地へ導き入れるために、イエス様は次に最高の無惨、切ない十字架での死を遂げました。信頼する人のために償いをしました。今、私たちに信じるように招いておられます。
- ですから、天国の約束の地を待ち侘びる皆様、望みを抱きましょう。私たちは神様の最高の約束を受けました。新しい天と地を素晴らしくするイエス様ご自身を。信頼しましょう。
説教について
振り返り:イエス・キリストはあなたを天に導く預言者だと信じますか。
参照箇所:申命記18:15、ヨハネ6:14、ルカ9:28-36
注
※⑴ 実は、モーセはガリラヤの周りのどこかの山を訪れました。その位置ははっきり言えません。参考: Darrell L. Bock, Luke 1:866, BECNT (Grand Rapids, MI: Baker, 1994)。しかし、おそらく「約束の地」の中だったでしょう。その時、モーセは約束の地に初めて立って、約束された預言者を仰ぎました。申命記18章15節の響きをすることばが天からしました。ルカ9章35節「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」(マタイ17:1-5、マルコ9:2-8参照)。
※⑵ こういう視点を、まずリゴン・ダンカン牧師がエリヤの人生経験から並行のことを指摘した説教で学びました。