
2026年5月17日 説教「約束された聖霊」 “The Promised Holy Spirit”
箇所 Text: 使徒2章14~24、33、36~39節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns: 54、138、162、542番 招詞/Call to Worship: イザヤ Isaiah 32章15~18節 交読文/Line-by-line responsive reading 36番 イザヤ書11章 (Isaiah 11)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
不思議な現象があったら、理由を知りたい人は多いです。もし百人以上の、四国を出たこともない徳島県民がいきなり100ヶ国語で歌い始めたら、訳を知りたいかもしれません。漁師のペテロはそのような仲間を代表して、そのような出来事について、こう宣言しました。「神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」それはただの不思議な偶然ではなく、聞き手をも私たちをも変える力のある知らせでした。
使徒2章を細かく見る時間はありませんが、ペンテコステの記念日(今年は5月24日)を前にしているので、そういう、使徒2章のペンテコステの意義を学ぼうと思います。
ペンテコステの不思議な光景
2章の初めに、120名ほどイエス様の弟子たちは屋内で祈っていました(使徒1章15節参照)。そして「五旬節の日」(ギリシャ語でペンテコステ)の朝、風と炎の現象で聖霊様が到着し、彼ら一人ひとりに臨まれたと記されています。「皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた」とあります(4節)。十二人の使徒だけではありません。皆に、です。※⑴
それから、彼らは屋外に出て、何か話し始めました。無学な使徒を含め、彼らは当日の祭りのために外国から来ていたユダヤ教信徒たち各々の母国語で賛美を、奇跡的に語りました。
不思議で気になる光景でした。そこにいた各国のユダヤ人たちは訳を当ててみて、酔っ払いのせいだと提案しました。でも14、15節でペテロは群集の嘲りをまず鎮めようとして、こんなに朝早いのに酔っ払っているはずはないと少しおかしい反論をしました。宗教にまじめなユダヤ人の集まりでしたから納得されたでしょう。※⑵
ヨエルの預言の成就
16節以降では、ペテロは、その光景の本当の訳を伝えました。神様の①約束、②約束に伴う現象、③約束の結果は「預言者ヨエルによって語られたこと」(ヨエル2章の終わり)にありました。ヨエルの考えを押し曲げて、ペテロに都合の好いように「成就」とではありません…神様がヨエルを通して言われた事の成就でした。
1)まず、≪約束≫です。預言者ヨエルの預言(2章)は神様がイスラエルの民をバビロニアの捕囚から救い出し、栄えさせた後のことを予告しました。そしてヨエル2章28節で「わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ」と約束してくださいました。※⑶ 「すべての人」は全人類と言うより、あらゆる立場の人に注ぐということでした。「息子や娘…青年…老人…しもべにも、はしためにもわたしの霊を注ぐ」約束です。その結果、彼らは「預言…幻…夢」に与ると言います。
①当時イスラエルは、聖霊様が注がれた人はごく少数、王や預言者、祭司のような人でした。しかしこのペンテコステの日から、イエスの弟子の皆は、聖霊様の力付けによって神の王国で仕えることができます。つまり、共にイエス・キリストを誉め讃えて、証する力を受けています。
②ペテロは結論として、33節で言いました。「…神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」
(2)次に、19・20節の引用箇所でヨエルは約束(主の霊が人に注がれること)の時期の≪現象≫について預言していました。「また、わたしは上は天に不思議を、 下は地にしるしを現れさせる。 主の大いなる輝かしい日が来る前に、 太陽は闇に、月は血に変わる。」
①ペテロは22節で「ナザレ人イエス」が「力あるわざと不思議としるしを」行われたと説明します。イエス様のご生涯においてヨエルの預言が成就しました。
②さらにペテロは聞き手(のある者たち)はイエスをローマ人が十字架で処刑するように叫び求めたことを指摘します。23節「神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。」思い返せば、十字架の出来事で確かに「太陽は闇に」変えられました。3時間の闇がありました。地震という恐ろしい「不思議」もありました(マタイ27章45〜53節)。イエス様の死において、ヨエルの預言のこれも成就しました。聞き手の記憶にまだ残っていた現象に自分が罪深く関わっていたと分かり、36節で恐れて、解決策を求めました。
私たちも、創造主なる神様、具体的にイエス・キリストを拒んで蔑ろにした罪では数えきれないほどにあります。私たちの罪によって、イエスが十字架にかかったと言えます。
3)感謝なことに、ヨエルもペテロも続けました。2章21節で聖霊の約束の≪結果≫をも、ペテロが引用しました。「しかし、主の御名を呼び求める者は みな救われる。」
①24節でペテロはイエス様の死だけでなく、復活をも宣べ伝えます。「しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。」聖書の「良い知らせ」(福音)はイエス様の死では終わることがあり得ません。復活して、助けることがおできになる主にこそ、望みは置けます!
②ペテロは38節で「主の御名を呼び求める者は みな救われる」の成就をもって、招きました。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」
③最後に、39節でペテロは安心させる招きとして訴えかけました。「この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
適用
ヨエルの預言を通して、ペテロは悪い知らせと良い知らせをあのペンテコステの群集に述べましたが、私たちにも同じメッセージが与えられています。
一方で①私たち人類は「ナザレ人イエス」を主また王として拒みました。36節のペテロ曰く、「神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」!しかし、②誰でもその方に自分を委ねて、その方を通して神様の赦しと歓迎を受け、聖霊様の助けを受けられます。そのしるしとしてバプテスマを受けるように招かれて、その先、その現実を歩むように力付けられます。旧約時代ではいわゆるエリートの人だけが受けられた聖霊の注ぎ出しと満たしを、私たち皆は頂けます。
使徒2章41節によると、「彼《ペテロ》のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。」私たちも、加えられていますか。イエス・キリストを軽んじてきた罪を認めますか。キリストより何を優先させたか(快楽、評判、人間関係、力など)は違っても、私たちは皆、イエスを十字架に付けたと言える罪びとです。でも、イエスは不思議に満ちた生涯と十字架の出来事で、神様に近づき歓迎されるように犠牲を払って、完全な歩みをなさいました。私たちはただ、神様に対する罪を認めて、そこから離れてイエス様に頼って立ち返れば良いです。バプテスマを受ければ良いです。そして、聖霊様は私たちにも心から変わり神様の愛を証しする力を下さいます。
説教について
振り返り:イエス・キリストを軽んじてきたあなたの罪を認めますか。さらに、イエス様による赦しを受けて、日ごとに聖霊様に強められる望みを持っていますか。
参照箇所:イザヤ32:15、エゼキエル37:1-14、ヨハネ16:8-11、マタイ27:35-43
注
※⑴ 使徒1章15〜26節によると、イエスを裏切ったイスカリオテのユダに替わる使徒(証人)としうてマッティアが選ばれていたので、また十二人でした。 ※⑵ 酔っ払わないで、まさにこの弟子達のように聖霊に満たされるよう、パウロは別の箇所で教えました(エペソ5章18節)。※⑶ 新改訳では、2章の終わりです。ヘブライ語聖書や新共同訳では、3章の初めとして分けてあります。