2026年3月29日 説教「葬りのひと時」 “This Momentary Burial”

箇所 Text:イザヤ53章9~10節(旧p1259)、マルコ15章40節~16章1節(新p104)(新p102)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 

讃美歌/Hymns:87A、320(1, 5)、39、540番 招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 46篇9~10節 交読文/Line-by-line responsive reading 27番 詩118 (Psalm 118)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
 

(「棕櫚(しゅろ)の日」として、イエス・キリストが十字架にかけられる前に、エルサレムに歓迎された日の記念日です。その後に起きたイエス・キリストの死の話を今日、扱います。)

 葬儀は大切です。ほとんどの国では、亡くなった方の葬り方に色々な決まりがありますが、死は人生の終わりとして重大な節目だと、私たちは本能で分かるのではないでしょうか。しかし、死の先に何があると信じるかによって、葬りの見方は全く異なります。死で終わりで魂がないのなら、葬りが究極です。でも、それを主張する方でも、大抵、葬儀で色々な儀式に携わります。人の存在が死後に続いて、生まれ変わるという仏教に沿って、その霊の次のステップへのお手伝いに必要な、大事な法事がありえます。または、死が復活を待つひと時であるなら、葬りは大切でありながらも、ひと時だけのことになります。

 からだの死と復活はクリスチャン信仰の重大なテーマですが、マルコはわざわざイエスの葬りの記録にも時間をかけます。イエスを慕っていた人の数名は懸命に、丁重に葬りに当たりました。ただ、それがどんなに短いひと時のためであるか、知りませんでした!

【丁重なな葬り】

  • ユダヤ人の葬りは、私たちの慣れている方法とは違っても、同じように丁重に行われました。
    • 周りの人々は遺族と共に悲しむために集まりました(ヨハネ11章19節。マルコ5章38〜39節参照)。時間と手間をかけて、しかし可能な限り、亡くなった当日中に葬りました。遺体が速く腐る地域で、お金があれば、香料を布で巻きつけて、匂い隠しをしました。葬り方ですが、火葬でもなく一度だけの土葬でもなく、ひとまず、広いお墓の穴に遺体を納めました。それから、死後一年経過後、遺族はお骨を集めて、小さ目の箱へ移して、最終納骨を行いました。※⑴
    • ただ、イエス様の場合問題があります。十字架で処刑された人は政治犯だったりするので、その遺体は普段、引き取られず、処刑に当たった兵士によって穴に投げ込まれるだけでした。そして、マルコ15章42節で「すでに夕方になっていた。その日は備え日、すなわち安息日の前日であったので」緊張感がさらにあります。ユダヤ人の暦で1日は午前0時でなく夕暮れから変わる社会で、暗くなるまでに安息日に入るため、店は早めに閉まりました。速く動かないと、イエス様のご遺体はローマ兵によって粗末に扱われて、気の済まない仕方で葬られる心配があります。
  • でもマルコの記述は、神様が愛情を込めて、丁重な埋葬を主のご遺体に与えられたと伝えます。
    • 43節「アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。…」立場ある議員なので、ローマ人の知事ピラトから犯罪人繋がりで怪しまれないかもしれません。しかし同時に「有力な議員で」あって、同輩の大多数の人は前の夜中にイエスの死刑を求めたので、彼らに嫌われる覚悟で「勇気を出して」行く必要はありました。「自らも神の国を待ち望んでいた」のが理由です。イエスはもういなくても、神の王国を宣言してきた「イエス先生」に敬意を払おうと思いました。
    • 44〜45節「ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いた。そして百人隊長を呼び、イエスがすでに死んだのかどうか尋ねた。百人隊長に確認すると、ピラトはイエスの遺体をヨセフに下げ渡した。」ピラトの第一反応は「そんなに早く死ぬのか」という驚きです。普段、数日かかる窒息死のはずでしたが、37節に書かれたとおり、イエスは力残ったときに、自ら命をお捨てになりました(ヨハネ10章17節)。
      • 39節でイエスを神の子と認めた同人物であっただろう百人隊長がイエスの死を報告してから、ピラトは満足してヨセフに遺体を譲ります。
    • 46節 ヨセフは店が閉まる前に駆けつけて、「亜麻布」を用意します。イエスの身体をゆっくり降ろして、包帯しました。ヨハネ19章39節の記録によると、別の議員ニコデモは香料など大量を準備して、布でご遺体に巻き付けまします。遺体に触れたら、始まりかけた種なしパンの祭りの一週間、汚れた者とされる覚悟もあって、敬愛するイエスにそうします(民数記19章11節・レビ記23章5〜8節)。最後に、「岩を掘って造った墓に納めた。そして、墓の入り口には石を転がしておいた」のです。
    • ここで、イザヤ53章9節の預言は成就されました。「彼の墓は、悪者どもとともに、 富む者とともに、その死の時に設けられた。…」イエス様は罪人の罪責を代わり背負い、悪者のように死に、葬られました。ただ、神様の愛の印として、富む者の良い墓に納められました。
    • また、40・41節ですでに登場した女性たちの内の二人は、47節で「イエスがどこに納められるか、よく見ていた」と述べられます。16章1節で、サロメも加わって3人で安息日(土曜日)終了の夕暮れにお店が短時間営業している間、他の香料を買います。翌日日曜日に、ご遺体に掛けるつもりでした。話は続く…。

【私たちの葬りのひと時 適用①】

  • こうして今日の話で、イエス様を葬るために走り回ったヨセフ、二人のマリアとサロメたちは神様に用いられて、イエス様に対する想いを表しました。
  • さて、現在の日本で葬りでも、仏教や先祖崇拝の多くの要素が社会の習慣となっていますが、亡くなった人の思い出と遺体を大切に扱うことは聖書とも共通する価値観です。創造主なる神様以外の霊や遺体への祈り・崇拝の要素は避けるべきですが、自分や愛する家族を丁重に葬るのは、確かに良いことです。※⑵
  • 死んだ人の霊魂は墓や家の近くに残ったり、お盆などで戻ったりはしません。聖書は、死んだ人は(復活する際以外に)生きる者と関われない、関わろうとしてはいけないと教えます。※⑶ むしろ、「霊はこれを与えた神に帰る」と書いてあります(伝道者の書12章7節)。したがって、死別の前に感謝と思いやりを示し合うことが大切です。今日にでも、大切な人に「ありがとう」や「ごめんなさい」と伝えてください。
  • 何よりも、相手が神の裁きでなく、その歓迎と慰めを受けに逝けるように、イエス・キリストに信頼を置いて神様を蔑ろにする歩から離れ、神様との愛の関係に入るように励ますことです。

【一時的な葬りの結末 福音と適用②】

  • なぜイエス・キリストに信頼を置く意味があるのか…死が終わりではないからです!葬りはイエス様にとって一時的、ひと時のことでした。だからこそ、私たちの葬りも終わりではありません。イエスは葬られた翌々日の日曜日に復活なさいました。永遠にいきる身体を持って復活した、人類最初の人です。
  • ヨセフや他の弟子たちは皆、生前中のイエス様にしてあげられなかったことについて後悔に溺れていたでしょう。イエス様が若くして処刑されるとは…自分がこんなにイエスに不忠実になるとは、まさか、と恥をかいていました。私たちも、想像以上に神様を軽んじて、逆らってしまう罪びとです。でも、イエス様は、神と私たちを愛完全にしておられました。だから復活する資格をもっておられました。
  • そしてイエスに信頼して、神様に立ち返る者は今から、そして死んでも復活して、神様の愛と喜びの内に過ごせます。今からすでに、復活祭の日曜日だけでなく、復活を祝う毎週日曜日、また毎日、死でも切り離せない神を喜びたいと思いませんか。死と葬りは大切で厳かに扱うべき、しかし、短いひと時のことです。その後の喜びを与えるために死なれたイエスにあって、希望を受けられますい(ヨハネ11章25〜26節)。
  • この後に歌うように、私たちは自分の今も死もその後をも、主イエスに委ねることができます…先にイエスが死なれ葬られ、さらによみがえられたから、「主よ、ともに宿りませ」と言えます(讃美歌39番)。地上の悩みの際でも、死ぬ間際でも、すでに死を通られ、今、天国で待ってくださるイエスと共にいられます。

<説教について>

振り返り:葬りを大切、でも一時的なこととして捉えて、ご自分と家族、友人の死に何の備えをしていますか。

参照箇所:申命記21:23、マタイ27:57-61、伝道者12:7、第一コリント15:20-58、ヨハネ11:25-26

<注>

※⑴ Everett Ferguson, Backgrounds of Early Christianity, 3rd ed. (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2003), 243-246. 墓の再利用については、James A. Brooks, Mark, New American Commentary 23 (Broadman, 1991) 267, Accordance version 1.6より。ちなみに、申命記21章23節で、木で処刑された人の遺体に関する具体的な指示があり、直接イエス様の状況に当てはまりました(ヨハネ19章31節参照)。イエスはこういう意味でも、十字架刑でのろいを受け、その民を贖ってくださいました(ガラテヤ3章13節)。

※⑵ 「遺体または遺骨は、法律に従って復活の望みを持つ者にふさわしく、丁重に扱い、埋葬などをする。」日本長老教会「礼拝指針」16−2。

※⑶ 参考:第二サムエル12章23節、伝道者9章5節、ルカ16章22〜31節、申命記18章11節、第一歴代誌10章13節

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)