2025年6月1日 説教「神様とヨナ、変わらず」“God and Jonah, Unchanging”

箇所Text:ヨナ書Jonah 3章1〜10節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:3、242、514、542番 招詞/Call to Worship:マラキ書Malachi3章6節〜7節6行目 交読文/Line-by-line responsive reading:10番 詩32篇(Psalm 32)

初めに

 またやってしまった!そう思うことはありませんか。失敗は悔しくて、繰り返したくありません。良い人の積もりなのに、これもあれもできていないと思ってしまいます。聖書はこ私たちに、私たちは自分を変えることができない、根っこまで罪ある反抗者だと伝えます。でも、私たちは天国に行くほどにきよい者として扱っていただける、とも伝えます。今日の話はこれを私たちに教えます。

 先月の話で、ヨナ3章にてヨナが創造主なる神に再び命じられた通り、憎い敵国アッシリアの首都ニネベへ行きました。4節で街の中で「あと四十日すると、ニネベは滅びる」と宣告しました。そしてニネベは町を挙げて、粗布に服して、断食もして、悔い改めました。神様は、それに対して誠実で変わらない方でした。

一、神様、誠実で変わらず(ヨナ3章10節)

 ヨナ3章10節は神様の応じ方が書かれています。

彼らが悪の道から立ち返ったのをご覧になった。そして神は彼らに下すと言ったわざわいを思い直し、それを行われなかった。

 ここで神学的な問題が出ます。神様は変わるのでしょうか。どうして「思い直す」ことができるでしょうか。

 ニネベの応答に驚いたでしょうか。いいえ。聖書ははっきりと、神様は永遠、無限、不変の方です。※⑴ 時間をも場所をも超越しておられます。知識も無限であり、計画も完全です(エペソ1:11、詩篇135:6、イザヤ43:13参照)。ヨナ自身も旧約聖書が頻繁に繰り返す、変わらない神の変わらない性質を思い出して文句を言い放ちました。

あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方である」(ヨナ4章2節)

 さらに、ヨナの時代の後ですが、別の預言者マラキによって神様は告げられました。

マラキ3章6節(旧p1633) 「【主】であるわたしは変わることがない。 
そのため、ヤコブの子らよ、 あなたがたは絶え果てることはない。
あなたがたの先祖の時代から、 あなたがたはわたしの掟を離れ、
  それを守らなかった。
わたしに帰れ。そうすれば、 わたしもあなたがたに帰る。」(エレミヤ18:7-8参照)

 神様は永遠の方、不変の方です。何かによって変化されることはありえません。でも、この事実と矛盾なく、神様は人間かのように(擬人化で)今日の箇所のように「思い直し」をする描写が可能です。※⑵ 人が神様に立ち返るなら、時間の中で神様と平和を持つようになります。でも時を超えた神様の気が変わったのではありません。主が恵みを示すという事は、軌道修正ではなく、元々のご計画に含まれていました。神様は誠実で変わらずのお方です。

二、ヨナ、頑固で変わらず(ヨナ4章1〜4節)

 もう一方で、今日の箇所でヨナも変わらずでした。でも、彼は頑固で、容赦なく、変わらず。ヨナ4章の最初、4節まででヨナが鬱憤を吐き出します。自分が1章の話でなぜ、わざわざ船に乗り込んだかを告白します。2節を読みましょう。

に祈った。「ああ、よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。

 要するに、ヨナはイスラエルが神の憐れみと恵みを受けて嬉しいが、ニネベが受けるのを嫌いました。ニネベの救いを見るなら、死ぬのがましだとも言います。神様がイスラエルとアッシリアに対して異なった態度を示してほしいと思いました。

 そして1章でその態度を持ったヨナは3、4章でも変わらずにいました。4章4節で神様が「あなたは当然であるかのように怒るのか」と聞かれ、諭してくださいます。でもヨナは返答せず、5節以降でニネベの滅びを待ち続けます。来月、誠実で変わらない神が頑固で変わらないヨナをどう取り扱われるかを確かめます。

三、変わって、また変わったヨナとニネベ(ヨナ3章10節)

 ヨナはヨナ2章で確かに祈って、偶像礼拝を避けて、救いは主から来ると認めました。しかし、それは表面の変化であり、また4章で神にまた反発する態度でした。同じように、180度方向を変えて、また180度方向を変えて元に戻ったニネベもありました。人は正しいことをしよう!と一度決心しても、気が変わりやすいです。なぜあの人は繰り返しそうするのかと責めるときもあるかもしれませんが、より身近に私たちも同じではありませんか。

 3章10節の後のニネベ…その悔い改めも長続きしませんでした。数十年後、アッシリア帝国は再興して、紀元前722年頃にイスラエルを残酷に滅ぼし、民をバラバラにすることになりました。後の預言者ナホム書3章1節はニネベを「流血の町」と呼びました。ニネベは暴力に戻ってしまっていました。

 そして紀元前6百年代後半に、神はニネベとアッシリアを、バビロニア帝国によって罰し、滅しました。奇しくも、神様がヨナを通してあの都市を救ってくださった結果、ニネベは猶予与えられ、イスラエルを滅ぼし、国々を支配することができました。でも、住民の本性は変わらず、行いが創造主を無視する生き方に戻ってしまい元の暴力に走った末、滅ぼされました。ヨナのイスラエルもニネベのアッシリアも永続する悔い改めがなく、どちらも滅ぼされてしまいました。

適用

 さて、約2千8百年程前の出来事から私たちは何が学べるでしょうか。私たちは一方で心が頑なで、他方で気が変わりやすい者です。ヨナにも、ニネベにも似ています。

 悔い改めて、良いことをしようと決意しても、続けにくいです。罪の残る心を持っていて、慣れている悪に戻りやすいです。一人一人には、何度も陥ってしまって悔しい癖はあるかもしれません。神様に逆らって自分勝手な基準と生き方を押し通そうとする心の根底にある態度が変わらない限り、続きます。

 そこで、神様が私たちを心の内から変えてくださると言う良い知らせはなんと素晴らしいことでしょう。

エゼキエル書36章26~27節(旧p1480) 「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。

 この為にイエス・キリストは一度も罪を犯さず、義によって変わらず歩まれました。そして十字架にかかり、罪びとに下されるはずだった罰の裁きと呪いを、自ら、身代わりとして受けてくださいました。そして復活した後、はペンテコステ(来週記念)に贈られた聖霊様が新しい心を下さいます。そして日々、クリスチャンの内に住んでくださり、変えて導いてくださいます。

 それによって気まぐれな、でも頑固な罪びとの私たちは変えられることができます。未だに完成されていないから、元の罪深さが私たちを何度も神様からさまよわせます。でも、そういう何度も犯してしまう罪(失敗)を神様に告白して、変えられることを期待しますか。

 罪に戻ってしまうと悔しく悲しく葛藤の繰り返しはクリスチャンの一生涯に亘りありますが、最終的に完全な者へと変えられます。神により、まず心が本当に変えられたからです。イエス様に信頼する人はだれでも、すでに本当に心を変えられています。そして変えられ続けます。神様が変わらず、イエス様が変わらずのゆえ、私たちは希望を抱きます。

 ※ ⑴  ウェストミンスター小教理問答問い4、信仰告白2章1項参照。

 ※⑵ 第一サムエル15章10節と29節を比較。これら二箇所が矛盾であるはずがありません。互いに近い箇所です。10節で神様が「悔やむ」と言われたことは擬人化の事例です。神様は当然、世の初めより前からサウル王のことを計画なさっていました。悔やむと言っても人間の悔やみと違いはあります。サウルの反抗に慌てて、間違ったと言うことでもありませんでした。サウロ王が反抗したことを時間超えて見ておられたが、人間に伝わるように言って、悔やまれました。

説教振り返り:何度も犯してしまう罪(失敗)を神様に告白して、変えられることを期待しますか。

説教参照箇所:エペソ1:11、マラキ3:6、ヘブル13:8、第一サムエル15:10と29。

鳴門キリスト教会
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