2025年5月25日 説教「信者の試練」”The Believer’s Trials”

説教:許泰誠牧師(満濃キリスト教会から説教奉仕に来てくださいます!

招き Call to worship詩篇95篇1節〜7節2行目 讃美歌 Hymns: 19、89、520、540 交読文 Responsive reading: 33番 詩146篇(Psalm 146)

序論人生試練

今日の箇所は、イエス様の兄弟ヤコブが散らばっているイスラエルの12部族、すなわち、エルサレムの周辺にある色々な教会に送った手紙です。これから、1章1-4節を本文として、「信者の試練」というタイトルで説教しようと思います。

この世を生きながら、試練に出会うのが好きな人は誰もいません。なぜなら、試練は苦痛だからです。しかし、私たちの人生には、数多くの試練が訪れます。これは信者だからといって例外ではありません。

むしろ、信者には未信者よりも、試練が多いかもしれません。なぜなら、私たちが住んでいるこの世は、まだ完成した天国ではないからです。この世は罪に満ちているため、試練が続いています。ほとんどの信者たちは、神様が自分を守ってくださって、何の試練も生じないと望んでいます。しかし、残念ながら、私たちの現実はそうではありません。

ですから、そうやって生きていく中で、信者たちは試練に出会えば、非常に当惑することになります。「一体、私にどうして、こんな思いがけない起ったか」という考えに陥りやすいです。このように考えない人は、ほとんどいないようです。

しかし聖書は、そう思わないでと教えています。Iぺテロ4:12を読みましょう。

「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさか試練を、何か思いがけないことが起ったかのように、不審に思ってはいけません」 

つまり、信者が試練を受けるのは、当然のことだということです。私たちが戸惑うのは、試練についての正しい知識がないからです。したがって、今から信者の試練について本文から学んでみようと思います。

本論信者試練につぃて

1.信者が会うの試練には、いくつかの特徴があります。4つを話します。

①試練はすべての信者に訪れます。試練のない信者は一人もいません。救われるのに何の差別がないように、信者なら、国籍、身分、性別、学歴、年齢と所有を越えて、誰でも例外なく試練が訪れます。

ですから、神様はなぜ私にだけこのような試練を与えるのかと恨んだり、不平を言ったりしてはいけません。信仰の試練は、いかなる信者も避けることはできません。試練があるということは、私たちが神の実の子であるという証拠です。つまり、神様が私を愛しているという証拠です。したがって、試練は死ぬまで、私たちの人生に続くでしょう。

②試練の時は別に決まっていません。試練は予告してやってきません。試練は時を選ばずやって来ます。信者の生涯のすべての時間が試練に晒されています。信者は試練の時間を選択することができず、避けることもできません。ですから、信者はいつも霊的に目覚めていなければなりません。

③試練の空間は四方八方です。信者の試練は東西南北を問わず、あらゆる所から迫ってきます。試練に遭うという言葉の原語的な意味は、四方に包囲され、囲まれていて避けることができないという意味です。

したがって、信者の試練はすべてのところで起こります。家庭や職場、学校や町はもちろん、教会でも試練の場になることができます。すべての空間に空気があるように、どこにいても、試練に会う可能性があります。

④試練の種類はいろいろです。信者の試練はさまざまです。それで、ヤコブは原語聖書で「試練たち」と表現しました。試練はさまざまな色を表しています。試練は複雑で絡み合っています。

試練の種類は多すぎて多様であり、すべてを数えることはできません。この試練は、信仰生活、お金、健康、人間関係、言葉、人格、将来の仕事、子供の問題など人間活動のすべての部分と関連しています。すべての時間とすべての場所とすべてのことで試練が起こる可能性があります。

試練は、非常に献身的な使徒にも多くに訪れました。キリスト教の歴史上、最も信仰が優れていたと評価される使徒パウロにも、数多くの試練がありま彼は自分が受けた試練を次のように紹介しています。IIコリント11:26-28を読みましょう。

何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごして、餓え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。

2.試練する信者反応はどうあるべきでしょうか

人々は試練に遭遇するとき、通常、感情的な反応を示しやすいです。なぜなら、感情的な反応は本能的に現れるものだからです。しかし、今日の箇所2節では、「喜びと思いなさい」と記るされています。2節を私がお読みします。私の兄弟たち。様々な試練に会う時はいつでもこの上もない喜びと思いなさい。

この言葉は感情よりは思考を表す動詞です。感情的な反応は、問題を解決するために何の役にも立ちません。聖書は私たちにどのように感じるべきかを命令するのではなく、どのように考えるべきかを命令しています。

したがって、この言葉は問題に没頭して恐怖と心配に陥らず、この試練を通して神様が与える結末を考えてみろという意味です。神様は試練を試練そのもので、終わらないようにする方です。神様は試練を耐え忍んだ信者に、信仰の成長と人格の成熟の恵みを施する方です。

どんな試練も、神のご計画以外にあるものはありません。したがって信者は、信仰の試練に出会う時、落胆したり絶望したり倒れて、信仰から遠ざかってはならず、むしろそれを喜びと思わなければなりません。

思いという行為の重要性について、使徒パウロはこう教えました。ローマ6:11を皆で読みましょう。

同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと認めなさい。

信仰は感情に従うのではなく、神の言葉に従ってそのように認めることです。私たちは罪を犯し、落胆したり、後悔したりすることがよくあります。しかし、自分だけを見つめながら、いくら決心しても罪に勝つことはできません。それは、キリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと認めるとき、勝利できます。

3.試練ばなければならない理由ですか

信者は信仰の試練になぜ、喜びで反応しなければならないのでしょうか。その理由は、彼が聖書を通してある事実を知っているからです。3節を私がお読みします。あなたがたが知っている通り、信仰が試されると忍耐が生まれます。キリスト教は神様の言葉を知って、信じる知識の宗教です。

使徒パウロは、自分が知っていることについてこのように言いました。ローマ8:28を読みましょう。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことが共に働いて益となることを、私は知っています。

これを知っている人は、どんな試練が訪れても信仰によって喜ぶことができます。神の心が分からないと苦しむが、神のご計画を知ったら、喜ぶことができます。試練を喜ばなければならない理由は、神様が私たちを愛しているからです。

4.神様信者試練目的ですか

それは私たちを成熟させて、神様に似た完全な者にするためです。残念ながら、私たちは神の子供になりましたが、まだ神に似ていません。認めたくないですが、私たちには以前の霊的な父親だったサタンに、似た性格がまだ、たくさん残っています。

例えば、嘘をついて、怒って、憎んで、我慢できず、高慢で、自己中心的で、自分自身がもっと賢いと思って、他人を無視することです。神様はご自分の子供である私たちが、このような性格を持って、天国に入ってくることを望んでいません。

イエス様は、ご自分を従う弟子たちにこのように言われました。マタイ5:48を皆で読みましょう。

ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。しかし、私たちの力だけでは、完全な者になることは不可能です。そうなるためには、聖霊の助けと試練という環境が必要です。そして、多くの時間が掛かります。

試練は罰ではありません。試練は私たちの信仰を、成長させるための訓練です。あらゆる試練は、私たちに考えさせ、世俗から離れさせ、聖書に向かわせ、ひざまずかせるためにあります。ですから、私たちは4節の命令をと約束に耳を傾けなければなりません。4節を私がお読みします。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。

私たちが試練に遭遇したとき、することは何ですか。二つの命令があります。一つ目は「喜びと思いなさい」で、二つ目は「その忍耐を完全に働かせなさい」です。そうすれば、私たちは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となれます。

結論勝利のためをするか

神様は試練に出会った私たちが皆、勝利することを望んでいます。神様は私たちを苦しめるために、試練を許す方では決してありません。神様は、私たちが試練を経験しながら、私たちを神様の近くに来るように恵みを与えます。そして、その試練のために死ぬように放っておきません。

聖書の一節を読んで、今日の説教を終わります。

詩篇32:6を皆で読みましょう。

それゆえ、敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かってあなたがおられるように。大水は濁流となっても、彼の所に届きません。

私たちが、試練に勝利するためには、もう一つ必要です。それはまさに祈ることです。ですから、詩篇の言葉通りに、休まないで祈ってください。

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鳴門キリスト教会説教要約

信者試練」 (ヤコブの手紙1:1-4)

序論人生試練

   Iぺテロ4:12(P.470)

本論:信者の試練につぃて

1.信者出会試練

   IIコリント11:26-28(P.370)

2.試練する信者反応

ローマ6:11(P.306)   

3.試練ばなければならない理由

   *ローマ8:28(P.310)

4.神様信者試練目的

   *マタイ:48(P.9)

結論:勝利のため何をするか。

   詩篇32:6(P.963)

鳴門キリスト教会
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