
2025年5月18日 説教 「もてあそばれない信仰(成熟の指標①)」 “A Faith Not Tossed About” (Mark of Maturity 1)
箇所 Text:エペソ人への手紙 Ephesians 4章11~16節(特に14、15節)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:88、301、85、544番 招詞/Call to Worship:イザヤIsaiah 43章1∼3節 交読文/Line-by-line responsive reading:27番 詩121篇 (Psalm 121)
初めに
子供たちは、「大人っていいな」と思うことがありますか。大きくなると、強くて大きくてもっとできると思いますね。(大人がたは昔、思ったかもしれません。)大きくなって力持ち、賢くなると願います。だから子供に健康な物を食べて、運動しなさいと言います。目標を持って教育し、練習させます。人生の波風に負けないで、たくましく生きてほしいです。個人差はありますが、創造主なる神様が大切な一人一人に与えられた可能性を引き出そうとします。
使徒パウロはクリスチャンたちが考えと信仰において強くなって、しっかりした者となることを願っていました。先にイエス・キリストがこの目的を定めて、エペソ書4章にある通りにしてくださっていると学んできました。
・11節はイエス・キリストが教会に賜わったいわゆる宣教者(教職者)が与えられました。
・12節は彼らの役目は教会全体に仕えて整えます。
・13節はその目的はキリストを知り信じる一致と全体の成熟である、と教えてきました。
14~16節は13節の成熟の現れである指標、目標を教えます。今日、特に14節に集中して、弱くない、成熟したクリスチャン信仰の指標が何であり、何を目指すかを考えます。
一、消極的な成熟指標(14節)
- 「こうして、私たちはもはや子どもではなく…」人間にも当てはまりますが、成熟過程を通らないと、「子ども」は子どものままです。
- ある聖書箇所は子どもの素直な信仰に焦点を当てて肯定しますが、ここでは幼稚で弱い信仰が問題です。ヘブル5章13節の様に「義の教えに通じてはいません。幼子」、幼稚なものでなくなることを目指す必要があります。
- クリスチャン歴が何十年であっても、幼稚なままの可能性があります。
- パウロは「…人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た…」教えを指します。
- パウロは「悪巧み」や「人を欺く悪賢い策略」を特に指摘します。利得のために骨抜きにした福音を掲げて、子どもらしいクリスチャンを操る教師もいます。
- それ程に教えてが意図的にしていなくても、教師自身が聖書から離れる度合に、悪魔の悪賢い策略の手先となってクリスチャンを惑わす可能性があります。「先生だから正しいはず」と鵜呑みにしませんように。
- 14節後半「どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく…」
- パウロのように古代の地中海を船で旅した人には怖いほどにリアルな描写です。パウロは何回か、波風にさいなまれた船で難船に遭いました(第二コリント11:25)。木で出来た船で地中海を渡ろうとして、突風や波によって船は「吹きまわされたり、もてあそばれたり」して、ついに壊れて沈むことはありました。
- クリスチャン成熟しないと、色々な方面から聞くいわゆるクリスチャン教えに影響されて、もてあそばれて翻弄されてしまいます。聖書は何を言っているかをしっかり分からないと、流行りに動かされやすいです。
二、肯定的な成熟指標(15節前半)
14節の消極的な成熟指標に対して15節は肯定的、建設的な指標を教えます。「むしろ、愛をもって真理を語り…成長するのです。」
- 未熟にとどまらないで成長すると、絶妙な組み合わせにおいて、教会はこう成熟します。
- 「愛をもって」、相手の本当の幸せと祝福を願って語るのです。
- 「真理を語り」、本当のことを語るのです。
- この組み合わせは非常に難しいです。バランスを取れるように、成熟が必要です。
- 愛を持っている積りで、相手にとって耳障り悪い事を言わない傾向にある人・時はあります。でも、本当に相手のためとなる知らせにはそういう要素が必要です。
- もう一方で、神に言われた通りだから言うんだ!と押し付けて、ただの非難となるような語り方で正論、聖書の教えを伝えることが愛の欠けたこともあります。
- 要は私たち教会員一人一人の信仰が「吹き回されたり、もてあそばりたり」しないで、寧ろ共に愛と真理の組み合わせで成長することを神様が計画なさっています。
三、教える人と教えられる人々(適用)
- 今日の箇所から、教会全体とクリスチャンの成熟を学びました。すなわち、13節でキリストを良く知り深く信じる成熟として、誤った教えにもてあそばれにくい、正しい理解が伴う成熟です。しかし、罪が私たちに残ります。不健全な教えは教会をもてあそび、難航、難船させてしまうことはあります。
- パウロが、エペソの牧師となったテモテに送った次の注意は今の時代にも当てはまります。
第二テモテ4章3~4節(新p429)というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
- このテモテの箇所から分かるように、三つの問題が絡み合っています。
- 誤った教えの問題。現在、いわゆる福音派の教会の中でも、聖書、ひいては神様に背く様々な「耳に心地よい話」があります。全体としてまとめると、真理を信じ知ることを歪める教えですが、一方で聖書は信頼できない部分があると言う根本的な教え、あるいは他方で聖書の教えを聖書全体に合わない方法で解釈する教えもあります。
- 誤った教えをする人の問題。誤解した宣教者(牧師)、あるいは偽宣教者は誤った教えを許容し広めます。
- 誤りを安易に受け入れる人の問題。教会は罪びとの共同体なので問題は起きます。そして忠実な宣教者は聖書の聞きにくい真理をも語ります。それを真摯に受け入れたくないと、クリスチャンと呼ばれる、「真理から耳を背け、作り話」の教えに流され、もてあそばれしまうでしょう。心地よいからです。成熟のために、努力と注意、神への愛が必要です。
- 流行の教えと教師と子どものようなキリスト者の三つの問題から抜け出して、もてあそばれない信仰を持つ必要があります。私たちは神様から助けを受け、聞く必要があります。感謝な事に、神様は教会を見捨てず離れずに、その民を救われ、教えられます。
- 神様は聖書全体を下さいました。エペソ4章15節の「真理」は第一に、神が発せられた御言葉の聖書として与えられています。(ヨハネ17:17「あなたのみことばは真理です。」)嵐と波にも動じない「荒磯の岩」のように、神の御言葉が私たちを導きます。⑴
- 読んだり聞いたりする話を聖書と照らし合わせて、成熟します。ウェストミンスター小教理問答や信仰告白と照らし合わせるのも大きな手助けになります。神学は冷たい学問でなく、生きた信仰の骨組みです。ただ神学も、聖書に立ってこそしっかりします。疑問があれば、ぜひ聞いてください。
- そして真理である神様が人に書かせた聖書⑵は、イエス・キリストを指します。「その聖書は、わたしについて証ししているものです」とヨハネ5章39節で言われました。ですから、聖書に立ちそれをしっかり学びなさいと言うのは、共にイエスを知り、信じましょうとエペソ4章13節「神の御子に対する信仰と知識において一つとなり」に戻ります。
- 主イエス様が愛をもって真理を語られる王であり救い主です。罪を指摘して、赦しをも差し出してくださいます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」とヨハネ14章6節で招いてくださいました。
- しっかりと御言葉に立つことはイエス・キリストに立つこと同然です。誤った教えになびいてしまったと反省したり、愛なく正論を誰かに語ってしまったと弱さや罪を気づかされたら、私たちはイエス様が十字架で得た赦しを受けて、安心することができます。聖書が告げる十字架の下で、成熟が栄えます。
- 神様は聖書全体を下さいました。エペソ4章15節の「真理」は第一に、神が発せられた御言葉の聖書として与えられています。(ヨハネ17:17「あなたのみことばは真理です。」)嵐と波にも動じない「荒磯の岩」のように、神の御言葉が私たちを導きます。⑴
- もてあそばれない信念で成長したいなら、聖書の真理を求め、キリストに拠り頼みましょう。
註
⑴ 『讃美歌』1954年版、85番1節。
⑵ ウェストミンスター信仰告白1章4項。
礼拝の後
振り返り:聖書の教えをもっとよくつかみたい点と、イエス様をもっとよく知りたい点は何ですか。
参照聖句:ヨハネ5:39、14:6、17:17。第二テモテ3:16-4:4。