2025年1月19日「教会を通して輝く、神の知恵」 “God’s Wisdom Shining through the Church”

聖書箇所Text:エペソ人への手紙 Ephesians 3章8~13節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:267、62、358、545A番 招詞/Call to Worship:詩篇91:1-5の1行目 交読文/Line-by-line:19番 詩84篇(Psalm 84)

薄暗い部屋とシャンデリア

 薄暗い部屋に入ったと想像してみてください。小さなLEDだけが灯しています。少し、部屋の壁の位置や家具を感じ取られても、よく見えない状態です。ところが、突然いくつかの電器が点いて、シャンデリアがキラキラと光を放って、立派な家具や宝石が目に入ります。これは博物館の部屋で、国宝が在るとか、王(天皇)の持ち物だと見て分かったら、感心しますね。何と素敵な所に入って来たかと喜ぶでしょう。後で、この喩えに戻りますが、今日の話を見ましょう。

8~9節 パウロの目的

 前回も言いましたが、パウロは自分が刑務所に入れられたことに違和感を感じるどころか、使徒となった特権に集中して、神の恵みに驚きます。8節「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられた」。彼が何を伝えるか、8・9節で見ましょう。二つの動詞はパウロの使命を表します。

 1)8節後半「宣べ伝えるため」、具体的に「キリストの測り知れない富を福音として異邦人に宣べ伝える」使命。キリストを知ることは最高の富です!イエス・キリストに優る経験も人もありません。本当に豊かな歩みはキリストから始まり、キリストに終わります。ただ、誰かがキリストを伝えなければ、人はイエス様の富を経験できません。(ローマ10:14-15参照)

 2)9節「明らかにするため」、具体的に「万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものなのかを、すべての人に明らかにするため」。

 ・「奥義」は神様がイエス様のご生涯の前から少し、予兆や予告してくださったが、イエス様が天に戻られた後の今に明らかにしてくださった、素晴らしい事実です。言い換えるなら、奥義は長い間、暗い部屋を少しだけのLEDで灯した様になっていました。かつて、「世々隠されていた」と言えるほどに、少しだけ知らされました。

 ・しかし、神様は計画されたとおりに奥義を「実現」させたから、喩えの部屋の中の光がパッと明るくなりました。6節でパウロは奥義の内容を説明できました。「…福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」つまり、かつて神様の敵だった人は自分の背景と関係なく和解できます。キリストに信頼するなら、共同体なる教会に加えられて、教会の一員として神様と親しく歩み、約束の祝福を受けられます。パウロはこの「部屋」に光をできるだけ照らして、イエス・キリストの素晴らしさを「明らかにする」使命を受けました。

 ところが、続きを読むと驚くことが分かります。イエス様に光が当てられるその次に、キリストの素晴らしさの「富」を知ると、教会の出番です。

10~12節 神の目的、教会の特権

 10節「これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるため」。一言で言うと、全宇宙の存在に対して、教会という共同体を通して、神様はご自分の知恵を輝かそうと思って、「キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になる」ことを定めてくださいました。

 「天上にある支配と権威」はエペソ書(1:20など)で霊的な力である天使また悪霊です。彼らは人間が住まない「天」に居ます。人間の限られた五感で察知できません。しかし、聖書によると神に仕える良い天使も神に逆らい人間を滅ぼそうとする悪霊もいます。パウロはここでどちらにも限定していないようです。神様は、ご自分の知恵を天使また悪霊どものあらゆる霊に、示そうと計画なさいました。

 イエス・キリストにある無限の麗しさと義と愛を、十字架が「天上にある支配と権威」に示しましたが、キリストの富を更にに輝かせるのは、その富の効果です。それは、キリストの御業が罪びとをどのように変えるか、です。したがって、神様は天地創造でもななく、イエス様の十字架と復活でもなく、変えられつつある罪びとの集まりである教会を通して、ご自分の知恵を表されます!十人十色の、生まれつき罪深い人同士を、共に成長して支え合って愛し合う共同体にするに必要な知恵が神のみ持つものだからです。

 教会(全体も、地域教会それぞれ)に加わった一人一人の違いと人格は残りつつ、皆が愛の内に一致して共に成長することは被造物の中で何よりも美しいことです。エペソ4章以降はそのあり方を具体的に掘り下げていきます。天使、悪霊の霊たちは、教会の歩みを見て、そこに輝く神の知恵と力に言葉を失います。

 繰り返しになりますが、福音を聞いて信じる誰でもは、イエス様が代わりに十字架で罪の刑罰を受け、義の道を歩まれたことになります。だから信じる者は神の祝福を受けます。異邦人でもユダヤ人でも、背景と関係ありません。パウロは「キリストの測り知れない富」に光を照らした目的は、教会が神の測り知れない知恵を輝かせるシャンデリアとなるためでした。

 11節は神様が「私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画」のとおりになさったと補足ます。イエス・キリストを通して誤りなく奥義を現実としてくださいました。そして12節は、キリストについて余談のように聞こえるが実に、私たちが言葉を失うほど大きな励ましまた招きです。かつて神様から離れていた人は、「このキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます」と!イエス様に信頼を置く者は教会に加わり、共にまた個人的に、神様の前に出て祈り、賛美の歌を歌うこともできます。これも、神の知恵を輝かせるシャンデリアの特権です。

13節 私たちの応答

 さて、13節でパウロは自分が囚人であるという問題に戻り、教会を励まします。神様が教会に下さる特権を考えると、パウロの結論は、自分の「苦難」に「落胆」しない、恥と思わないことです。13節最後のとおり、「私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです。」

 私たちにもっと具体的に当てはめてみます。苦しみは誰にでも訪れますが、一般的に苦しみから目をそらしたいです。自分あるいは教会、クリスチャン生活の「よいところ」を見せたくなります。苦しみに現れる弱さと恥は避けたいです。

 しかし、パウロ曰く、教会の指導者でさえ苦難にあっていても、「落胆することのないよう」に。なぜなら、それによって、キリストの奥義が広まります。当然パウロの宣教もそうですが、より広く考えると、クリスチャンは苦しみの中でどう生きるかこそが、この世と違うはずでしょう。キリストこそ、私たちが誇って、頼りにできるお方です。

 キリストご自身も、苦難を通って私たちに福音の奥義を成し遂げてくださいました。さらにパウロのような伝道者たちが苦しんだことにより、神様は私たちを共に輝く家族としてくださいました。「確信をもって大胆に神に近づく」者としてくださいました。神様は苦難によって、この世が知らない希望を与えてくださいます。イエスの素晴らしさの「富」を楽しみ、生きることができます。クリスチャンの苦しみを聞くときにこそ、共に祈り、愛をもって真理を語り合えばどうなりますか。神様の知恵の栄光は全宇宙で益々、輝き出ます。

 イエス様にまだ信頼していない方、今日、苦しみを栄光に思うことなど、おかしい話に聞こえたかもしれません。しかし、あなたを造られた神様が教会を通して、世の中で他には見られない美しさを映し出されます。イエス様に自分を委ねて、苦難にあっても希望を持つように神様が招きます。共に歩みませんか。

 兄弟姉妹、苦難をも、イエス・キリストの故に「栄光」と思って、望みを抱いてください。イエス様が私たちの最高の富です。私たちは神のシャンデリアとして、共に、神の知恵をか輝かせます。

振り返り:苦しみの中でも神様が愛を示してくださることに希望を持ちますか。イエス様やパウロが苦しんだ結果、神様は教会を輝く、「大胆に神に近づく」家族としてくださいました。

鳴門キリスト教会
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