2024年12月22日 説教「クリスマスの王の国」 “The Kingdom of the King of Christmas”
聖書箇所Text:イザヤ書 Isa. 9章7節、ルカの福音書 Luke 1章31~33節
説教者:百瀬ジョザイア
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
讃美歌 / Hymns:106、98、111、545番 招詞 / Call to Worship:ルカ Luke 2章8~14節
どの国に住み、どの国の民であるかは大変重要なことですね。住みたくないとすぐに思いつく国はあるかもしれません。良い権力者がいなく、平和がなく、不公平で惨めな国はあります。理不尽な制度や税金、社会問題などで苦しむ方が多く世の中にいます。日本は多くの意味で恵まれていても、ここにも社会的、政治的な不幸はあります。本当に永遠に、この国やあの国に住みたいと思える所はないでしょう。
クリスマスは最高の王国、いわゆる「神の国」を予告する出来事でした。最高の王様の誕生だったからです。過去数週間、イザヤ書9章6節を学びました。本日、次の第7節を見ます。そしてこの預言の成就を述べる、ルカの福音書にある知らせをも見ます。これらの箇所に書かれている王国の民になることはどんなに良いかを思い描いてみましょう。その国に永遠に住み、住む以上にその国の民としての特権を持つことを考えてみましょう。
【王の国の特徴】イザヤ9章6節は、神様がある赤ちゃんを通して人々の代わりに主権を背負って、創造主なる神に対する罪の罰をも背負って、素晴らしい王として治めることを告げました。この王は神でもあり、平和をもたらすとのことでした。7節は約束のされた子がどういう王国を立てられるかを伝えます。神の国は特別な国です。この箇所は五つの特徴を挙げます。
1)「その主権は増し加わり…」世界中の人の移住や移動を考えると、人は自分にとって良さそうな国を目掛けます。クリスマスに生まれた王の王国も小さく始まり、ようやく全世界にまで拡大します。⑴ 全ての人は被造物として、神様との関係故に神の国の住民ではありますが、「国民」として特権を持つのは、この国で登録される人、言うなら「帰化する」人のみです。そうして約束された王の主権は一人ずつにおいて明らかになり、「増し加わり」ます。要するに、クリスマスの王の力は成長する国です。
2)「その平和は限りなく…」は6節にある「平和の君」と同じ「シャローム」を訳しています。神と人間の関係、人間同士の関係、人間の内なる状態がすべて平和で安心して栄えるように、約束された子がお治めになります。正義が行われつつ平和が保たれる国は繁栄するでしょう。クリスマスはそのように繁栄し、続く王国を意味します。クリスマスの王の国は平和で栄える国です。
3)「ダビデの王座に就いて、その王国を治め」はこの王国には具体的な、すでに約束された王座があることを意味します。イザヤの時代の約250年前、ダビデ王に次の約束が預言として与えられました。
第二サムエル7:12-13 「…わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」
ダビデへの約束を、神様がイザヤを通して再確認し、待ち侘びていた信徒たちを励ましました。
4)「さばきと正義によってこれを堅く立て、 これを支える。」ただの人間は、自己中心的な目的で色々な国や支配を建ててきました。世界史やニュースからそれは明らかです。大きくなっているだけでは、決して良い国とは限りません。人間の国には、正義が足りません。どんなに良い指導者がいて、良い制度が施行されても、結局のところ失敗や自己中心などの罪が根底に残り、国や社会に問題を引き起こします。良いほうの国があっても、もし永遠に続いたら、民を不幸に追いやってしまいます。しかし創造主が「さばきと正義によってこれを堅く立て、 これを支える」のです。幸せな民を支える王国です。本当に憧れの国ではないでしょうか。(参照:第一列王記4:25、10:1-10ソロモンの統治)
5)「今よりとこしえまで」は実際に、これが永遠に続くことを伝えます。繰り返しになりますが、欠けのある王国が永遠だったら、不幸になります。しかし、完全な国が永遠に続くのは最高の環境と人間関係を意味します(参照:ダニエル2:44)。
さらに、ルカ1章で天使ガブリエルが処女マリアに告げられた事は、イザヤの約束の間近な成就を意味しました。
ルカ1:31-33 「…その名をイエスとつけなさい。 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
イザヤの預言と同じように、今でいうクリスマスの王、イエスは永遠に続く、王国を治めます。神の子として支配するだけでなく、ダビデの子孫の約束の成就をなさいます。
【王の国】イエス様はマタイの福音書16章18、19節で教会を天の国、つまり神の国、ご自分の支配下の領域として話されました。今、教会はイエスの王国の最も見やすい「拠点」、神の国の「大使館」と言えます(エペソ1:20-22参照)。⑵ 教会は、イエス様が下さった贈り物です。
教会?見える教会に多くの問題や葛藤や偽善があり、イザヤ9章やルカ1章が描く良い国からほど遠いと感じられるかもしれません。そこで傷ついて、嫌になった方はおられるかもしれません。あるいは、教会とその王より楽しそうな何かがあると感じられるかもしれません。でも、イエス様は実際に最高の王国、神の国を建国してくださいました。それはまだ、完全な姿になっていないので問題はあります。しかしイエス様は教会を愛し、贈り物として人に下さいます。イエス様に信頼できますか。その愛の犠牲を思ってください。
【王ご自身】クリスマスの王はご自分を下さいました。ご自分に信頼を寄せる私たちの不信仰や人を傷つけた罪、神様の国を蔑ろにした罪をも、十字架で取り払われました。不思議なことに、ユダヤ人の指導者たちの不正とローマ人の残酷な十字架という悪い政府によって死なれたイエス様は復活なさって、①広がり続け②平和の続く、③約束どおりダビデの子孫の王国を④正義によって確立させ、⑤永遠に支配なさることとなりました(使徒2:23-36参照)。クリスマスの贈り物とは、教会以上に教会の王、イエス様ご自身です。有名なヨハネ3章16節によると、
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
「御子を信じる者」はどういう人でしょうか。イエスと同時期に、ローマの国の圧政に苦しんで、人を憎み、暴力によって生きる男性がいました。ようやく捕まり、奇しくもイエス様と同日に処刑されました。当初、イエスを偽の王としてけなしていましたが、その内に気づきました。「あの方こそ、イスラエルに約束されていた真の王だ」と。そして、三つのことを述べました。
ルカ23:41-42「おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
①自分は罪びとだと認めて、②イエスをきよい王として認めて、③赦しと神の国への歓迎のために自分を委ねました。それだけで、イエスに「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」と言われました(ルカ23:43)。クリスチャンの信仰と救いはそれほど簡単なことです。クリスマスの王イエス様の「御国」に入るには、罪を認めて、イエスを主として認めて、イエスに信頼することだけが必要です。そうすれば、クリスマスの贈り物を受けたことになります。イエス様の国にも加わることができます。今、教会には問題がたくさんありますが、これはイエス様の下で平和と正義によって広がり、永遠に続く良い贈り物です。クリスマスの王を迎え、クリスマスの王の国を喜びたいと思いませんか。
説教の振り返り:イエス様が教会を愛して、それを支配して良き方向へ導かれると信じますか。教会の中にいる祝福を感じていますか。
註
⑴ 広い意味で言う「神の国」は、増し加わることがあり得ません。なぜなら、すでに完全です。つまり、永遠に力を完全に発揮なさる創造主にとって、主権の及ばないところはありません。天地創造された時でもアダムが罪を犯して神との関係を棄てた時でも、いつでもどこでも神様は王です。(第一歴代誌29:11、ダニエル4:34など参照)。ところが、旧約聖書の他の箇所は今日の箇所のように、新しい神の王国とその広がりをも預言しました。
⑵ イエスはルカ1:33のとおり、イスラエル(ヤコブの家)をも確かに支配してくださいますが、聖書が教えるのは、それはイスラエルの国家の人と全く同一のものではありません。むしろ、天にも地上各地にも及ぶ神の民を含むこととなりました。(第一ペテロ2:9-10、ガラテヤ6:15-16、ウェストミンスター信仰告白25:2参照。)