2024年12月29日 説教「民、家族、宮なる教会」 “Citizens, Family Members, and a Temple–the Church”
聖書箇所Text:エペソ人への手紙 Ephesians2章19~22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア
讃美歌/Hymns:88、194、280、545A番 招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 100篇1~5節 交読文/Line-by-line:詩90篇 (Psalm 90)
19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。 20 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。 21 このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。 22 あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
年末年始に家族が一緒に集まるという素晴らしい習慣があります。こたつを囲んで蜜柑を食べるでしょうか、おせち料理を食べるでしょうか。人によっては色々な習慣があるかもしれませんが、実家に寄せ集まって、ホッとします。私たち人間は居場所、故郷、頼りになる家族に憧れる者です。
でも、この憧れは多かれ少なかれ、現実からかけ離れています。それが今あっても、いつまでも続くとは限りません。今年の元旦に能登半島が震災に見舞われて、私たちは動揺しました。一家団欒の時が一瞬で失われることはあります。新型コロナウイルス感染症の流行を止めるために家族との時間を見送ることもありました。災害でなくても、家族の仲違いもあったり、亡くなった家族を偲ぶ時だったりします。実家に帰ることができない事情も色々あります。
ところが、憧れの居場所が奪われない「ところ」があります。今日の箇所はそれについて語ります。使徒パウロは、断絶と疎外の関係にあった人々が創造主なる神様と、そしてお互いと親密な絆と居場所を与えられたと喜びます。本当に親しい関係に入れられることを確かめます。そして、年末年始に神様との親しさを一層深く味わっていただければ幸いです。
まずパウロは19節で「こういうわけで」と始めて、11節からの話を振り返ります。即ち、かつてイスラエルの民の祝福から疎外され、12節によると「この世にあって望みもなく、神もない者たち」でした。しかし、13節にイエス様が罪と旧い契約によって疎外されていた人々に近づいてくださいました。具体的に十字架で死なれ、神様を宥め、和解をもたらしてくださいました。だから、「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく…」とパウロは過去を過去として強調します。
パウロは今日19節から22節までで異邦人を大勢含んだエペソの町のクリスチャンたちに、新しい立場を三つの新しい立場に喩えます。新しい、非常に親しい関係に入れられています。
1)同国民(19節)あるいは同じ市民です。一つの民です。エペソを含んだ、古代ギリシャ系ローマ帝国の町では、多数の人は市民ではありませんでした。「他国人」でした。よその者であり、今で言うなら観光客や短期労働者でした。エペソ在住であっても、彼らに市民権は全くありませんでした。「寄留者」は、永住者でした。職があり、良い商売はできたかもしれませんが、参政権など特権はありませんでした。
同様に、異邦人は(エペソ2:11-12のように)かつて、イスラエルの国に与えられた特権から除外されていました。でも今、誰でも受けられることになりました!(ガラテヤ3:14参照)罪の赦し、そして結果として生ける神様との密接な関係という祝福などを、同じ民として受けられます。 ⑴
2)さらに、同じ家族でもあるとパウロは続けます(19節)。パウロの時代に裕福な家庭には奴隷や、保護される人はその家庭に半分属していました。しかしクリスチャンはそういう関係でなく、実際に神様の家族です!神の家族の特権を全て受ちます。だから、クリスチャンは創造主なる神様を「天のお父様」とも呼んで、いつでもどこでも大胆に祈られます。
「血は水よりも濃い」と言われます。ただし、親類の「血」よりも、イエス・キリストが血を流して、罪ある人を買い取って、神の家族としてくださるほうが最も濃い「血」です。天のお父様は罪びとを子として、家族にしてくださいます。これこそが、人を幸せにする実家です。
3)次に、パウロはも民と家族という比喩よりさらに詳しく、20~22節で教会を「家」「宮」に喩えます。
20 使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。 21 このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。 22 あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
教会の特徴は幾つか書かれています。全部覚えなくても、印象的なもの一つでも、覚えてみてください。
※20節で教会の土台。「使徒たちと預言者達」は「使徒の働き」に出ますが、その後使徒たちのようにいなくなりました。 ⑵「土台」なので、後の世代では、後から教会に加わってきた全ての人が建材として加わりました。そして使徒たちなどが書き留めた新約聖書によって、その土台は継続しています。 ⑶
そしてパウロは土台の「要の石」を言わずにいられません。旧約聖書イザヤ書28章16節ですでに、約束されていました。「堅く据えられた礎の、尊い要石。 これに信頼する者は慌てふためくことがない。」イエス・キリストがその「尊い要石」です。イエス様に自分を委ねて、信頼する者は、混乱して怯えて、神様に見捨てられるようなことがありません。キリストの正しさと愛という確実な基盤を持つ教会の「家」の一部だからです。
※22・22節で教会の究極の絆、神との関係。さらに、21・22節によると、これはただの豪邸ではなく、生ける神との出会いの場なのです。永遠・無限・普遍の神様が、時空の限りと罪の汚れを持つ人間に近づいて、終わらない契約で居場所として親睦を交わします。それは…
①父なる神と。教会は父なる神様にとって特別に聖なる、神様が訪れる「宮」とされました(21節)。神様が親しく民・家族と関わり、そのただ中に来られます。22節は21節と似ていますが、念押しで、教会は「神の御住まい」であると書かれています。神様が時々訪れるのではなく、ずっと住まわれるお家です。
②子なる神、「このキリストにあって」。これは21、22節で二回強調されます。イエス様は教会を代表する方としてその罪の償い及び神に受け入れられる義ををご生涯と十字架と復活で成し遂げられました。つまり、要の石として人が神と交わりを楽しむ土台を据えてくださいました。
③聖霊なる神によって。22節によると「御霊」が信者の内に住んでくださることによって、多様な個人は神様の一つの民、家族、宮としてまとめられます。聖霊様が内に住んでくださるからこそ、私たちは神様の宮とりなります(18節参照)。
こうして、父と子と聖霊の三位一体の神は、人と家族以上に親睦の交わりを下さいます(マタイ1:23参照)。
※20~22節でその横の絆、教会の人同士の関係。神様との関係によって、人間同士の関係が新たにできて、宮のイメージに通じます。信仰によりキリストに土台を据えられた人は、神様が近づく教会に「組み合わされて成長」します(21節)。同じ土台に寄せ集められる建材のように、一つの建物になります。金具でも檜・松でもコンクリート、ガラスでも、素材が違っても、皆一緒に組み合わされて、立派な建物になります。22節でパウロは異邦人のクリスチャンに「あなたがたも」神の宮に含まれていると強調します。「ともに築き上げられ…」ます。教会の仲間は、違っても、一緒に成長します。愛し合う同じ民、家族、宮として成長します(エペソ4:13-16参照)。
11節から19節の「かつての」状態を思い出してください。かつて相容れない人同士の心が帰られて、イエス様に信頼して集められました。今、共に一つとして成長します。
では、イエス様にあって、つまり神様の働きによって私たちに与えられる祝福をおさらいします。本来、私たちは罪を犯して人と神様から離れて、しかも日常的に人間関係で悲しみや葛藤を経験します。過去一年に、家族や他の人を痛めつけたことはあったかもしれません。私たちは神様また人に対して罪を犯すし、他の人の罪に犯される者です。だから、憧れの居場所、故郷、が遠く感じます。
しかし、イエス・キリストが中心となって、人を神様と和解させます。罪の刑罰を代わりに受けて神様の求められる正しい生き方を全うされました。聖霊は罪びとを、イエスに信頼する者に変えて、一つの民、家族、宮としてくださいます。人同士の違いを超えて、教会として横の愛の絆をもたらします。一つとなった教会に神様が出会い、新しい天と地で永遠に過ごされます(マタイ18:20、黙示録21-22章参照)。だから教会として集まる今のような時間は、素晴らしい親睦の時間です。天の前味です(ヘブル12:22-24参照)。失われない居場所があると確かめてから、私たちは礼拝から出て行きますが互いを愛し合い、他の人にも神の家族のことを招くことができます。
ぜひ、これからの年末年始に少し時間を取って、教会に与えられた幸いな立場と関係を考えてみてください。新年になすべきこと、果たすべき目標はあるでしょう。でもまず、第一に「救いの岩」、イエス様に信頼して、罪の赦しと永遠の居場所に入れていただく義の資格のために自分を委ねましょう。⑷ 現時点でクリスチャンの方でもそうでない方も、イエスに信頼して、神の子、神の宮の尊い一部として年を迎えることができます。神様は私たち教会を同じ民、一つの家族、御自分の住まいとして愛して建て上げてくださると期待してください。
振り返り:あなたの魂の居場所はどこですか。イエス・キリストに信頼して、教会の中で神様と深い交わりを楽しめると期待していますか。
註
⑴ 第一ヨハネ1:3、ヨハネ17:24、ピリピ3:10参照。ウェストミンスター大教理問答問い65。
⑵ もし「預言者たち」が旧約聖書の預言者だったら、使徒たちの前に書かれたはずでしょう。
⑶ ヘブル1:1-2、第二ペテロ1:19、ウェストミンスター信仰告白1:10参照。
⑷ 讃美歌280番の繰り返し。