2024年12月1日 説教「待ち侘びて、慰められた女たち」”Women Who Waited and Were Comforted”

聖書箇所:ルツ記4章13〜22節

聖書 新改訳2017 ©2017新日本聖書刊行会  説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌:520、94、97、89、542番 招詞:詩篇43篇5節

初めに

 「アドベント」はこの時期のお店、またクリスチャンが思い描く、明るい「メリー・クリスマス」一緒であることは不思議ではありませんか。クリスマスはワクワクして、楽しく過ごす時期と捉えやすいものですが、アドベント(待降節)は、待つ期間です。待ち侘びて、この世の中がこんなに破綻して、治らないことを嘆く時期でもあります。皆様も、2024年に願い求めてきたことのどれほどは未だに成っていないのでしょうか。去年より今年が悪かった、と思う方もいるかもしれません。

 ただ、教会は希望のない待ち侘びをしなくても良いのです。イエス・キリストが慰めをもたらし、すでにもたらし始めてくださったと覚えるために、アドベントがあります。待ち侘びと慰めの両方の時期です。

 今日、旧約聖書のルツ記の最後を見て行きます。慰めを待ち侘びて、ようやく受けた女性たちの話の素晴らしい結びです。しかも、彼女たちの話は私たちにまで繋がっています。私たちも同じように、待ち侘びます。でも彼女たちが知った以上に、希望もあります。

 先月、ルツ4章の15節まで見ました。12節までボアズが主人公で、戦略的な交渉を通して、ナオミやルツを特に大切にしない親戚が去るようにしました。そして自分の名声を横に置き、ルツの亡き夫マフロンの名を打ち立てるようにルツと結婚すると宣言した話でした。

一、慰めを受けた花嫁たち(ルツ記4章の話)

1)ルツ(13、15節)

 ルツ記1章から読み取れる限り、ルツは子を授からないまま、最初の夫のマフロンを失っていました。イスラエルの町ベツレヘムで差別され、再婚できない可能性を承知の上、姑ナオミのために自分を尽くしてきました。祖国を離れて、イスラエルの主なる神様に拠り頼んでいました。漸く、4章13節で彼女は夫、そして子を与えられました。

13節 ボアズはルツを迎え、彼女は彼の妻となった。ボアズは彼女のところに入り、主はルツを身ごもらせ、彼女は男の子を産んだ。

 ルツはついに、夫とナオミを喜ばせる孫息子、つまり自分の息子を得ました。近所の女性たちはナオミに対して、15節で「あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだ…」とルツを褒めました。ルツは静かに、かもしれませんが、大いに喜んだに違いありません。

2)ナオミ(14〜17節前半)

 さて、次はナオミの慰めです。ナオミは1章1・2節の時点で故郷を離れました。1章3節の時点で夫を亡くしました。4節で嫁を得ても、ルツが不妊のようで、孫はいなかったようです。ついに、5節でナオミの息子たちが亡くなりました。故郷ベツレヘムに帰って声を掛けられると、21節で「どうして私をナオミ〈よし子〉と呼ぶのですか。主が私を卑しくし、全能者が私を辛い目にあわせられたというのに」と言った際の口調は想像しかできません。

 でも神様はルツとボアズを用いて、ナオミに新しい命を下さいました。4章14・15節で近所の女性たちは歓声を上げます。

「【主】がほめたたえられますように。主は、今日あなたに、買い戻しの権利のある者が途絶えないようにされました。…その子はあなたを元気づけ、老後のあなたを養うでしょう。…」

 その女性たちは17節で、「ナオミに男の子が生まれた」ともナオミの幸福を歓迎します。そのとおり、ナオミは婿ボアズと嫁ルツだけでなく、次世代にまで支えられる孫息子を与えられました。十何年振りに、ナオミは故郷で本当に落ち着いて、生活を送られました。16節でナオミは孫を「胸に抱いて、養い育てた」とあります。孫との楽しい日々が始まりました。夫と二人の息子を失って悲しみ待ち侘びてきた末に漸く慰めを受ました。

3)イスラエル(17節後半〜22節)

こうして、ルツ記4章で、慰められた女性は二人もいました。…否、読み続けると、3人です。

17節後半 …彼女たちはその名をオベデと呼んだ。オベデは、ダビデの父であるエッサイの父となった。

 突然、ルツの話は一つの家族の回復と二人の女性の慰めだけでなかったと著者はほのめかします。イスラエルの国(神の民)全体の歩みへと視野が広がります。ボアズとルツのひ孫はイスラエルを黄金時代へ導いたダビデでした!ルツ記4章の18〜22節はその系図を、12節に出たユダの息子ペレツから始め、ダビデまで記します。

 なぜ3名の女性がルツ4章で慰めを受けたのでしょうか。度々、聖書で創造主なる神様は花婿、夫に、神様と契約の関係を持つ民は花嫁、妻に喩えられます。神の民とは旧約時代ではイスラエルの国民、新約時代には霊的にイスラエルに加わってイスラエルの約束祝福を受ける教会です。

 ところが、神様の「花嫁」の民は度々、霊的な「不倫」を犯して、結婚関係を棄てたような者でした。現在の教会(個人的な次元で、クリスチャン)でも神様より他の人・物・事に心を寄せてしまうことがあります。士師記の情報によると、ルツ記の時代(ルツ1:1)のイスラエルもそうでした。国を正しく治めて守る王がいなく、民は堕落して、悲惨の連続に苦しんでいました(士師記後半、特に21:25)。

 そこに神様が花嫁のために介入されました。ボアズとルツは有名な王ダビデの曽祖父、曽祖母となったのです!ルツ、ボアズ、ナオミは自分の家族だけでなく、国全体の慰めのためにも用いられました。

二、アドベントの果ての慰め

 ただ、ダビデ自身は亡くなりました。しかも、彼は多くの罪と失敗を犯しました。それでも、揺るがない王国を治める王が子孫から生まれるという神様の恵み深い約束を受けて、喜びました(第一歴代史17:10-14)。でも約束の子孫は中々現れませんでした。ダビデの孫は、国分裂を引き起こしてしまいました。その後の時代に、預言者イザヤによって、待ち侘びるイスラエルに宣言が与えられました。

イザヤ54:4-5 恐れるな。
…まことに、あなたは若いときの恥を忘れ、
やもめ時代の屈辱を再び思い出すことはない。
なぜなら、あなたの夫はあなたを造った者、
その名は万軍の【主】。
あなたの贖い主はイスラエルの聖なる者、
全地の神と呼ばれているからだ。

 でもその後に国は神に対して続く不誠実の故に滅び、かろうじて少数で国の再建をできましたが。ダビデの子孫は王座に戻りませんでした。あるイスラエル人は神の約束を諦めて、他の国の神々の助けを求めたり、あるいは政治的に治める王を求めて、そもそも主の「花嫁」として犯してきた根本的な不誠実(不倫)、罪を取り扱う王に興味を持ちませんでした。

 神の約束を信じた民はダビデの子をまだ待ち詫びました。最初の「待降節」(アドベント)の期間でした。「ダビデの裔なる 主よ、とく来たりて、 平和の花咲く 国をたてたまえ」のように嘆き、待ちました(讃美歌94番)。

 ついに、神様はそういう王を送ってくださいました。ルツ記4章18〜22節を念頭に、マタイの福音書1章3〜6節そしてその先16節を重ね合わせてみてください。イエス・キリストはボアズの子、ダビデの系図に入りました。ご自分のいのちを代償として、マタイ1章1節の「ダビデの子、イエス」は「イスラエル」から、不倫の罪の刑罰を取り除いてくださいました。

マタイ1:21「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

 慰めを受ける資格を棄てた花嫁、待ち侘びさえうまくできなかった民に、イエス様はご自分の清さの義を備えて、慰めを確立させてくださいました。

三、私たちのアドベントと慰め

 ここまで、約3100年前のルツの話と約2000年前のイエス様の話が繋がっていると確かめましたが、どちらも私たちとも繋がっています。

 待降節には慰めが必要だと覚える機会があります。あなたも何かを待ち侘びて、慰めを必要としていませんか。慰めはイエス・キリストこそにあります(第二コリント1:4-5参照)。

 第二のアドベント、イエス様が地上に再び来られ、全人類を審判する時が来ます。私たちはそれを待ち侘びながら、クリスマスの第一のアドベントを記念できます。イスラエルがダビデの子、メシアを待ち侘びたように、私たちもキリストの救いの完全な成就を待ち望むように教えられます。今の時代は、今朝の招詞(詩篇43:5)のように、自分、またお互いに「神を待ち望め」と励ます時代です。

 今年の終わりに厳しい課題が残って、寂しさがあるかもしれません。それは現実的です。でも、クリスチャンとその共同体の教会には豊かな慰めという現実をも持っています。イエス・キリストが私たちを買い戻した贖い主、私たちと共におられる神「インマヌエル」(マタイ1:23)だからです。

黙示録21:3-4 「…神は人々とともに住み、人々は神の民となる。
神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から
涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、
悲しみも、叫び声も、苦しみもない。…」

 インマヌエル、イエス・キリストを待ち侘びて、また待ち望み、今年の待降節を過ごしましょう。

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)