2024年9月1日「ルツとボアズの出会い」 “Ruth and Boaz Meet”

説教の聖書箇所:ルツ記2章1〜23節 新改訳2017版

 「出会い」とか「なり初め」と聞くと、劇的な、華やかな、神秘的な経験を思い描きたくなりますか。ディズニーの世界はそんな世界ですが、創造主なる神様はそうでもない出会いを下さいます。「日常」の中に働かれ、地道な生活でも素晴らしいことをもたらしてくださる神様です。今日の話はとても地道な作業と会話の中で生まれた出会いです。そこから、私たちも学べることがあるでしょう。

一、ナオミとルツの計画(1〜3節)

 ルツ記1章の終わりに神様の恵みの兆しとして、「大麦の刈り入れが始まったころ」にナオミとルツはベツレヘムに着きました。そして2章1節はボアズという、「夫エリメレクの一族に属する一人の有力な親戚」の存在をそっと伝えて、聞く私たちにも期待を抱かせます。

 それを知らないルツはとにかく、食物を得てナオミを支えようと考えます。「親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください」と願います。近代的な社会保証はもちろんありませんでした。しかし、主なる神はイスラエルの民の間で貧困の苦しみを緩和する制度を設けられました。1例えば、レビ記19章9・10節は、土地や収入源のない人たちが必要な食物を集められるように、土地ある農家は作物の少しを畑に置いて行くように命じました。2

 ルツは貧しく、当時の社会で支えと守りを与える男性のいない女性、それに外国からの寄留者でした。畑で攻撃されても、いじめられても、声を上げる人がいないかもしれない、社会的に弱い立場にいました。また、1章の終わりでナオミが「苦い」と名乗った態度からすると、ナオミはルツの誠実な愛にあまり感謝せず、自己憐憫に陥っていたでしょう。送り出すが、ルツに助けを差し伸べませんでした。

 それでも、ルツは3節で出かけて大麦を集め始めました。著者は、「はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった」と言います。幸運のようで「たまたま」ルツの行き先が神様の選びの場所だった、とほのめかします。

二、ボアズとルツの出会い(4〜16節)

 ボアズは町から出て、自分の畑へやって来ました。4〜7節、また15〜16節は彼とその僕の対話などです。そして8〜14節にある、ボアズとルツの出会いが間中に入ります。

 1)4~7節でボアズがしもべと話して、ルツの正体を知る。4節で畑にてボアズとそのしもべたちが快く挨拶を交わします。ボアズは好かれる、良い上司のようです。ボアズはルツに気づいて、5節で「刈る人たちの世話をしている若い者」(監督)に彼女の所属を聞きます。「あれはだれの娘か」という言い方は、彼女の所属を探る質問でした。誰が彼女を社会的に守っているか、気になったでしょう。監督は6・7節で説明します。それが(ボアズの亡き親戚の妻)ナオミの嫁であること、そして彼女が丁寧に、しかし大胆に収穫する人の束の近くまで入って良いかと頼み、居続けていることを報告します。汗びっしょりになっても、ルツは誠実に働きます。

 ボアズは感心して、ルツのために動いて、会いに行きます。

 2)8~14節でボアズとルツが対話し、共に時間を過ごす。まず8〜9節でボアズがルツに幾つかの励ましの言葉をかけます。①「ほかの畑に落ち穂を拾いに行ってはいけません」と、自分の畑に留まるように。②「若い女たちのそばを離れず…」と安全な仲間と一緒に行動するように。③「私は若い者たちに、あなたの邪魔をしてはならない、と命じておきました」と、自分の守りの中で安心するように。④「…若い者たちが汲んだ水を飲みなさい」と元気にいるように。他の畑では、ルツの様な女性は酷く扱われる可能性があっても、ボアズは彼女を力強く守る、と言っています。

 10節でルツは、その朝に言ったとおりに「親切にしてくれる人」に出会わされたと感激して、土下座します。そして「どうして私に親切にし、気遣ってくださるのですか。私はよそ者ですのに」と尋ねます。

 クリスチャンになって、自分の反抗の心に気付かされると、同じように神の恵みに驚きます。11節でボアズはルツの今までの誠実な歩みを詳しく告げられたと言って、褒めます。12節でさらに「あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように」と祝福を願います。詩篇や他の聖書箇所でよく、同じ表現が出ます。神様に助けを求め、より頼む人は、雌鶏や母鳥の羽の下に隠れる雛に喩えられます。3 ルツがイスラエルの民の以上に信仰深く決心して、神にすがりついて、誠実に歩んでいます。ボアズは彼女を賞賛します。

 また、14節でボアズはルツを招いて、お弁当の無かったかもしれない彼女にパン、味付け、炒り麦を十二分に与えました。ルツはそれを受け取り、ナオミのために残り物を残しました。

 3)15~16節 ボアズがしもべと話して、ルツを支える手配をします。ルツは外国人としてイスラエルの畑で落ち穂を集める制度をよく分からず、少し厚かましく刈り取る人に近くまで近寄ったかもしれません。しかし、その場合でも追い払わないで、受け入れる様にボアズは命じました。しかも、拾いやすい穂を余分に落とすようにも指示します。弱く、間違ってしまうかもしれない人への豊かな思いやり、恵みです。

三、ナオミの驚き(17〜23節)

 状況がとてもよかったにしても、ルツはとても誠実に1日、働きました。17、18節によると、彼女が拾って脱穀して、持ち帰った麦の量は、とんでもない一エパ(二十数リットル、数週間分の食料かもしれない)でした。お昼の余り物もありました。19節でナオミはびっくり仰天で言います。

「今日、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」

 ルツがボアズ、と答えると、ナオミはさらに興奮します。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまない主が、その方を祝福されますように。」「恵み」は1章8節でもあった言葉であり、揺るがない誠実さと恵みの意味を含みます。苦い思いでベツレヘムへ帰って来たナオミは神の恵みを存分に見て聞いて、やっと賛美に立ち帰ります。

 ところで、20節でナオミはボアズを「買い戻しの権利のある親類」と呼びます。これイスラエルのもう一つの、その社会保障制度を指しますが、3章でより詳しく見ます。しかしルツはそれをよく知らなかったでしょう。応答しないで、「うちの若い者たちのそばについていなさい」とボアズに言われた、と続けます。実は、8節で「うちの若い女たち」と指定されました。ルツは若い者たちに結婚相手を求めていたでしょうか。分かりませんが、ナオミはまずルツを悪い男性から守りたいと思って、「若い女たちと一緒」にね、と22節でボアズの指示に合った念押しで返します。そして23節でルツがそのとおりに、ボアズの畑で「若い女たち」働き続けます。収穫はおよそ6・7週間ほどだったと推測されます。

まとめと適用

 ルツ記2章の全体は、主なる神様がルツとボアズを出会いに導かれたことを語ります。神様はその出会いを通して、ルツとナオミの生活の中に恵みを下さいました。奇跡ではありません。まるで「はからずも」のことが重なりました。汗だくになった農家さんたと貧困な外国人ルツが歩んでいくと、ルツとボアズが劇的だけど小さな形で出会いました。

 さて、私たちは自分の地道な日常でも、神様の誠実さを経験できていますか。神様は私たちとも出会ってくださり、私たちの日常に良いことをもたらします。しかし、以外とシンプルなことです。ナオミのように中々気づかず、神様を恨んでしまうかもしれません。

 しかし、神はナオミを普通のことで支えて、導いておられました。まずルツを下さり、ルツが収穫に出かけられるようにされ、ルツを守って、ボアズと出会わせてくださいました。誠実と恵みを示してくださり続けていました。ナオミはようやく2章の終わりでルツの収穫を見て、出会いの事を知りました。そして素直に神様の助けとして受け止めて、疑いと自己憐憫から救われました。

 イエス様が言われました。

マタイ11:28 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 イエスに従うことは「くびき」にたとえられますが、それは私たちの益となるくびきです。神様の愛を疑う必要がありません。愛を示した十字架を思い出してください。神の愛から引き離す私たちの罪は十字架で処罰済みです。だから、処罰を受けたイエスのもとに行きましょう。

 苦しみ悲しみの中で疲れた人、罪悪感の重荷を負っているなら、イエスの招きに応答して、荷を下ろしましょう。神の「翼の下に身を避ける」(詩篇91:4)のはイエスに自分を委ねて、イエスから学ぶこと言えます。日々の地味な生活でも神様がその子供たちと共におられ、導いておられます。この最高の出会いを味わいつつ、日々の生活に神の恵みを経験しましょう。

1現代にそれが直接適用されなくても、その原則と精神を私たちも適用してみることはクリスチャンとして受けている特権また責任と言えましょう。ウェストミンスター信仰告白19:4参照。

2 神様はレビ記19章10節にご自身が「あなたがたの神、【主】」であると思い起こさせて、イスラエルの民は各自の収益について心配する必要がないと念押しで語られました。また、畑はそもそも神からの割り当てられた委託でした(レビ25:23-38など参照)。主のものでした。民は安心して、貧しい人や相続の畑地を持たない「在留者」を応援するように神は教えられました(申命記14:27-29など参照)。

3詩篇17:8、57:1、61:4、91:4など。逆に、ご自分を拒む人を、雌鶏から逃げる雛にたとえるイエスのみことば、マタイ23:37参照。

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)