2024年7月21日「神様の聖なる子となるように、選ばれた」
説教の聖書箇所:エペソ人への手紙1章3~6節
計画することが好きですか。あるいは、縛られるのが嫌で自由に、臨機応変に日々を過ごすのが好きですか。どちらも良い事であると言えますが、どちらにも限りはあります。しかし、神は永遠で変わらない、完全で完璧な方であられます。だから、全てのことをご存知であり、さらに全てのことを計画もされました。私たちからすればそれは「縛られる」「窮屈」な事に聞こえるかもしれませんが、むしろそれは神様のご声質上、最も自由な事です。2
そしてこれは知識で終わるものでもありません。パウロが今日私たちに教えるのは、神様のご計画が人間を含める事であり、さらに、それは私たちを賛美へ導く真理だという事です。ですから、今日の箇所で出て来る、神様の三つのご計画を見たいと思います。
一、神への賛美を生まれさせるご計画(3・6節)
まず3節は14節までの箇所の趣旨として、神様への賛美とその理由があります。
3節 私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
人間は他の人を褒めるのが嫌な時もありますが、本当に賞賛に値する何かについて、私たちは喜んで褒めます。好きな音楽家、絶景、食事、また、人について私たちは「口コミ」や「おすすめ」で褒めます。
また、褒めるなら、理由がありますね。今回、父なる神様が「キリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」「霊的」はより具体的に言うと、「御霊の祝福」です。父なる神は、イエス・キリストにあって、聖霊様によって祝福を届けてくださいました。
「キリストにあって」はエペソ書を含め、パウロの多くの手紙で、よく出る、とても大事な表現です。1章1節でも見たように、私たちは自分の努力などでなく、一方的なイエス・キリストのみわざに信頼するだけで、聖なる神に近づける聖なる「聖徒」となりました。キリストとの絆によって、恵みと平安など(2節)の祝福が可能です。その絆はパウロが「キリストにあって」とよく言います。「キリストとの結合」、結び合わされること、とも言います。キリストとの深い絆に与る者は、あらゆる祝福を、それも霊的(あるいは御霊から来る、と訳して良い)な祝福全てにも与ります。神様を誉める理由がこんなにあります。
人間が神のことを誉め讃えるのは、神を喜ぶぶこと同然であり、人間にとって最高の喜びでもあります。私たちが永遠に残る喜びと楽しみが欲しいなら、それを私たちの造り主に見出すべきです。神様のご計画は私たち人間を喜ばせ、ご自分のすばらしさを明らかにするご計画です。だから、6節によると、
それは〈4また5節にある神様のご計画の目的〉、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
つまり、次に見るご計画は3節にまた戻る「賛美」という目的で計画されたものでした。
さて、今日の箇所で特にお話ししたい4と5節では、パウロはより具体的な「祝福」の二つを伝えます。二つとも遠い昔に、神様の選びのご計画によって与えられたと書かれています。これらを味わえると、確かに神を誉め讃えたくなるなるでしょう。
二、聖なる人とするご計画(4節)
4節 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。3
神様のご計画はまず、時間の外に、永遠の昔、つまり「世界の基が据えられる前から」神にありました。4 「この方」イエス様にあって、造られる前からも、後に生まれてきてイエスと結び合わされるようになる人は、選ばれました。
最近、私は棚作りに挑戦しています。できれば綺麗な木材を選びます。なおさら、もし大工の師匠が技能を披露して、さらに人を快適に住まわせる家を建てようと思ったら、上級の檜など優れた木材を選ぶでしょう。しっかりした部品で耐震基準を満たす建物を建築するでしょう。完成すると、住む人に喜ばれて褒められるでしょう。大工は快適な家を建てるに腐った藁を使うでしょうか。カビのついた化粧板を柱とするでしょうか。とんでもないです。
では、神様は良い「建材」を用いましたか。永遠の昔に選んでくださったのは私たちのような者です。弱さだけでなく、不信仰と反抗から生まれる全ての罪を持つ者です。神は予め、全てをご存知でした。最も恥ずかしくて誰にも知られたくない事も、あんなこともしてまだクリスチャンなのかと思う罪悪感の漂う失敗、罪をも。
しかし、神様の技能、知恵と力は人間には計り知れません。エペソ書2章で分かるように、私たちは腐った、死んだ心のものですが、神はキリストにあって、キリストを通して仕上げる完成品を見据えられました。「御前に聖なる、傷のない者に」なる計画を立てて、罪人を選んでくださいました。「聖なる」とは前回でもお話ししましたが、特別に神の所有、きよい、完全であることです。「傷のない」というのは、道徳的に良くて申し分がない、また、古代イスラエルでは、神に喜ばれ受け入れられるような生贄の動物についても言われることでした。
あなたは自分の人生を振り返って、自分は「聖なる、傷のない者」だと思いますか。正直に言って、天国に入る資格を持ち合わせていると言えますか。イエス・キリスト以外、誰一人も言えません。しかし、神は、私たちのような者を最終的に完全な状態で、聖なる天で立たせてくださると計画なさいました。
三、神の子とするご計画(4・5節)
それだけではありません。5節で続きます。
神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
4節と同じ「世界の基が据えられる前から」、父なる神は他に類のない養子縁組を計画してくださいました。日本でも養子縁組が稀にあります。例えば、家の存続のために婿が違う家に加わることがあります。パウロの聞き手の場合、ローマ帝国では、裕福な家はその繁栄のために、他の家庭の男子を将来の家父長として養子縁組で迎えることがありました。養子とされた人は大きな期待を寄せられながら、実家を捨てて、新しい家から立場を受けました。そこでは愛と言うより、養子縁組は家の繁栄のための手段でした。
ところが、神様はただご自分の「みこころの良しとするところにしたがって」、計画なさいました。人間にさせられてではなく、ご自身の意志、御心どおりのお定めでした。永遠の昔、聖なる者とすること併せて、子とすることを「愛をもってあらかじめ定めておられました」。これは神が不足を補うためにしたのではありません。子なる神だけで満ち溢れるばかりに無限で豊かな方です。愛のために、罪人をも子としようと決められました。
神の子とされるとは、神の御前にいつでも、遠慮なく近づいて良い、また、神の子の特権である祝福を受けているという意味です。これも、あくまでも私たちの主、イエス・キリストとの絆ゆえです。「イエス・キリストによって」は「イエス・キリストにあって」でした。
4・5節は要するに、父なる神と子なる神は永遠の昔、多くの人間を神様の聖なる子となるように、選ばれた、と教えます。父なる神が子なる神に民を下さり、子がその民を聖なるもの、神の家族とすることについて同意されました。神様の永遠の定めなので、必ず成就する、確実なものでした。
そしてイエスは十字架で犠牲を払って、復活して計画を成就されました。イエスが自分の罪のための罰を代わりに受けて、聖なる者として天国へ入れてくださると信頼し、イエスに従おうと決心する者は神様の聖なる子どもとして受け入れられます。きよくなっていく過程もありますが、すでに私たちは神様の歓迎を受けられます。神様の恵みゆえ、神様のご計画ゆえです。だからこそ、6節で神が誉め讃えられます。
適用
最後に、今日の箇所から三つの適用の質問をしたいと思います。
1)あなたは、神様が恵みをもってあなたを聖なる、聖い者にしてくださると信じますか。その永遠のご計画を信じますか。イエス様がそうしてくださったと信じるなら、あなたは実際に聖なる者であり、今罪と葛藤していても、天国でも聖徒として認められると楽しみにすることができます。そしてその前味として、今も、怖がらずに父なる神に近づいて、罪と戦う助けを受けられます。
2)あなたは、神様が恵みをもってあなたを子としてくださったと信じますか。イエス様がそうしてくださったと信じるなら、あなたは遠慮せずに、喜んで父なる神に近づいていいです。近づいていますか。
3)あなたは、神様を誉め讃えたいと思いますか。人にイエスのことを伝えたいと思いますか。私たちはそのためにも選ばれました。賛美を捧げる際、私たちは最高の喜びを味わえます。最高の相手を仰いて、満ち足ります。無限の恵みと力と知恵の方にみ栄えがありますように。
註
1 招詞:第一ペテロ2:9-10。賛美:24番、16番、506番。
2ウェストミンスター信仰告白2:1-2・3:1-2、ウェストミンスター小教理問答問4、7・8・11参照。
3新共同訳では、4節に「わたしたちを愛して」が含まれますし新改訳の註にもこの可能性が書かれていますが、新改訳の5節にある「愛をもって」がより適切と理解して、解説します。
4ウェストミンスター小教理問答でこのように聖書の教えがまとめてあります。「神の聖定(聖い定め)とは、神の御意志の熟慮による永遠の決意です。これによって神は、ご自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるのです。」(問7)