
2026年11月1日 説教「パウロから…テトスへ」 “From Paul . . . to Titus”
箇所 Text: テトスへの手紙 Titus 1章1〜4節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns: 4、514、191、401、545A番 招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 117篇1〜2節 交読文/Line-by-line responsive reading 34番 出エジプト20章(Exodus 20, Ten Commandments)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
※原稿と実際の語られる説教が異なることがあります。また、短期間掲載の上、削除の予定です。ご理解ください。
あなたは誰に一番親しく感じますか。困った時は、多くの人がやはり家族と思うでしょう。良い家族関係に恵まれていれば、それは本当に素晴らしいことです。しかし、より良い関係がありえます。創造主なる神の一方的な憐れみと恵みの愛によって、です。
パウロは、1〜3節で、なぜイエス・キリストを人に伝える使徒となったかを知らせました。①神様が選んでくださった人々が信仰を抱くために。②神様が教えてくださった真理に沿った、神様を喜んで喜ばせる生き方を求めるために。③永遠のいのちを持っていると確信するために。
今日、そのパウロと手紙の宛先であったテトス、それから彼らの関係を見ましょう。溢れ出しているのは、キリスト者同士が持つ「恵みと平安」の愛、「聖徒の交わり」と言えます。
一、パウロとテトス(1・4節)
1 パウロの背景。ピリピ3章5〜6節「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエル民族、ベニヤミン部族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法についてはパリサイ人、その熱心については教会を迫害したほどであり、律法による義については非難されるところがない者でした。」そういうパウロ(ユダヤ系の名はサウロ) は、異邦人と深く関わるはずがありませんでした。せめて、割礼を受けてユダヤ人にならなければ、一緒に親しく関わることは考えにくかったです。
2 パウロの活躍。しかし、かつてのサウロはイエス・キリストを王として宣言するために、使徒として、「神に選ばれた人々」の信仰と成長のために遣わされました(1、2節)。しかも、永遠のいのちを持つ望みが土台にあるとも言いました。(2、3節)「選ばれた人々」はユダヤ人だけではありませんでした。パウロは、異邦人への宣教師となっていました。
3 テトスの背景。もう一方で、テトスはパウロの共同労働者でしたが、異邦人でした。ガラテヤ人への手紙2章3節で、パウロはエルサレムへの旅について、「私と一緒にいたテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を強いられませんでした」と言います。つまり、テトスはユダヤ人儀式を通らなくても良いとされ、イエスを信じていたユダヤ人たちに認められました。
4 テトスの活躍。第二コリントの手紙8章などによると、テトスはパウロの為にコリントの街の教会に行き、献金を集めて管理する重大な役目を担いました。テトスへの手紙が書かれた時点(恐らく、紀元60年代前半)では、6節に示すように、パウロは彼を現代のギリシャとトルコの間の南に位置するクレタ島で大事な対応を頼んでいました。
二、パウロとテトスの関係の土台(4節前半)
1 4節前半 これまでの背景を知っていると、パウロの挨拶の「真のわが子テトスへ」にはまだ、驚きます。クレタには、ユダヤ教の背景を持つ人は居ましたが、彼らはパウロと同じ信仰を持っていない立場です。テトスこそパウロにとっての「同じ信仰による、真のわが子テトス」です。信仰が最も強い、深い共通点です。
2 2、3節のパウロの使命と関連させて言うなら、二人ともは信仰を抱き、正しくて愛ある歩みを目指して、永遠のいのちを持つ望みを共にしていました。パウロは自分の履歴やテトスの異なった背景を見ず、共通のアイデンティティに目を向けることができました。
三、恵みと平和(4節後半)
1 最後に実際の挨拶文があります。「父なる神と、私たちの救い主キリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。」パウロ書簡の全てに、このような挨拶があります。パウロにも聞き手にも共通の天の父なる神様と子なるイエス様が、「恵みと平安」を下さる祝福で始めます(祝祷に似ています)。また、パウロの他の手紙の挨拶と比べると独特な点はあります。ここでイエスを「私たちの救い主」とわざわざ呼ぶことです。この短い手紙に、あと5回も「私たちの救い主」が出ます。
* 「私たちの」は再び、異邦人キリスト者テトスとユダヤ人キリスト者パウロの共通のいのち、聖徒の交わりを意識した表現です。
* 「救い主」は、後5回もこの手紙で、神とイエスについて使われて、この手紙でイエスを救い主として認めることはとても大切です。
さて、この短い箇所から、何を覚えて、礼拝後の時間を過ごし、世の中へ出て行きましょうか。
1 パウロがテトスの交わり、共通の永遠のいのちの深さを覚えます。「血は水より濃い」と言うように、家族はとても大切な単位です。聖書もキリスト教も、家族を守り、規定をしています。ただし、血縁関係より大切な関係はあります。それでも、さらに濃い血の関係があります。
* ご存知でしょうが、イエス・キリストご自身の血がどの関係にも勝る関係を生み出しました。恵みの契約、新しい契約ともいう契り、絆です。パウロとテトスのように敵意満ち得る関係が愛情と熱心な協力に変わりました。私たちの教会にも、多様な職種や年齢、文化背景からも人は集められて一つの家族となっています。エペソ人への手紙2章でパウロはキリストについて、述べたとおりです。2章16章後半、18〜19節(新p)「十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。…このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」
* 神に敵対する、蔑ろにする心を赦し和解させるために、イエス・キリストは罪の赦しの代償を十字架で背負い、払ってくださいました。だから「御父に近づくことができるのです。」そして、キリストは聖霊様(御霊)の働きによって、この赦しを適用させて、私たちが人間同士としても和解するようにできます。だから「私たち二つのもの」は「同じ国の民であり、神の家族」となっています。
2 さて、これを踏まえると、私たちは「縦」の関係と「横」の関係について、何か必要でしょうか。聖餐式の前と、パンと葡萄ジュースが配られている間、神様に対して罪を告白して、イエス・キリストを通して和解させていただいていると確認するために使ってください。また、教会内、あるいは教会の外のだれかと和解を求める必要があると気付かされたなら、それをも、イエス・キリストに信頼して、求めましょう。
3 神との平和、お互いとの平和を、私たちの救い主イエス・キリストによって受けようではありませんか。こうして、私たちはテトスへの挨拶をパウロから、また三位一体の神から、受けていることを経験できます。「父なる神と、私たちの救い主キリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。」
説教について
振り返り:神との平和、お互いとの平和を、救い主イエス・キリストによって受け入れて生きますか。
参照箇所:ピリピ3:4-6、第二コリント8、エペソ2:11-19