2026年10月18日 説教「【主】の箱の転送」 “Passing Around the Ark of Yahweh” 

箇所 Text: サムエル記第一 I Samuel 5章11節〜7章1節   聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns: 66、461、271B、542番  招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 136篇10〜12節 交読文/Line-by-line responsive reading  32番 詩139篇(Psalm 139) 

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing) 

※原稿と実際の語られる説教が異なることがあります。また、短期間掲載の上、削除の予定です。ご理解ください。

 自分の失敗でどうしようもないと分かった大問題を抱えたことがありますか。もう、逃げたい、誰か他の人に始末してもらいたい、と思いますか。自分ではどうしようもないのです。何によってでも、自分では償えません。神様は、私たち皆がそうだと教えます。神ご自身のきよさに直面する私たちの罪がそれを生じさせます。でも、私たちはいつまでもそこから逃げたり、回したりする必要はありません。

一、手探りで【主】の箱を送り返すペリシテ人たち(6章1〜12節)

1 ペリシテ人たちは、ヤハウェ(エホバ)の契約の箱の扱いを分からず、無礼に扱って、自分たちに疫病のような罰を招いていました。6章1節によると、彼らは7ヶ月も、戸惑いながら、まだ保有し続けていました。

2 なんとかして災いを逃れたいので、2節で自分たちの「祭司たちと占い師たち」に相談します。真の主なる神様以外の霊的な力を利用する人でしたが、自分たちの常識を基に、助言します。

* 3〜5節 金の像での償いを提案します。「…そうすれば、あなたがたは癒やされるでしょう。」(3節)本当は、イスラエルに尋ねて、悔い改めて赦しを求めたら最善ですが、彼らの常識では、「利息」の償いと一緒に送り返せば十分でした。腫物とねずみは関連していると思われたようで、その像を出すように助言します(4節)。それでイスラエルの神の反対を免れるかもしれない、と推測します。  ※⑴

* 6節「なぜ、あなたがたは、エジプト人とファラオが心を硬くしたように、心を硬くするのですか。…」数百年前の出エジプトの噂を聞いていました。(招詞参照)今度、ペリシテ人に似たことが起きています。より酷い目に遭わないよう、早く対処せよと祭司たち、占い師たちは勧めます。

* 7〜9節で彼らは、実験を提案します。「乳を飲ませている雌牛」は本能で、自分の子牛へ戻ろうとします。イスラエルの神【主】の契約の箱を別方向のイスラエルへ引いて行くなら、それは主の導きだと分かり、さらに主がわざわいを下していたと分かるでしょう。逆に、牛が自然に元の場所へ戻るなら、わざわいは主の箱と関係ない偶然だとも、推測します。

3 10〜12節でペリシテ人は提案どおりに行ってみます。10節で雌牛をその子牛から引き離します。11節で、(本当はイスラエルの祭司だけが四人で担ぐべき)箱を、金の像と一緒に載せます。12節で、雌牛たちは嫌でも仕方なくかのように、「ベテ・シェメシュ《近くのイスラエルの村》への道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった」。

二、【主】の箱の返送のシーン(6章13〜18節)

1 13〜15節でイスラエル人たちは【主】の箱を喜び迎えますが、怪しい様子です。13節によると、農家さんたちは「それを見て喜んだ。」

2 14節で彼らは祭司を呼ばないようです。律法では雄の動物をいけにえとして献げるべきですが、都合よく箱と一緒に来た雌牛を屠ります。 ※⑵

3 16〜18節は話の16節でペリシテ人たちはホッとして帰ります。締契約の箱を無事に、送り返せました。ペリシテの地の中での、【主】の箱の「転送」は返送で完了します。17・18節は、おさらいとして、ペリシテ人たちの金の像と、歴史的な場所の説明があります。

三、【主】の箱を転送するイスラエル人たち(6章19節〜7章1節)

1 もっと大切なのは、イスラエルがそれからどうしたか、です。ベテ・シェメシュの住民は、イスラエル人でありながらも、礼拝の場の中心である箱の扱い方に疎いか、呑気か、とにかく不敬に扱って大きな代償を払います。

2 19節によると、イスラエルの人々は「【主】の箱の中を見たから」殺されました。祭司のみが扱って良かったです。常に、神殿の中の仕切りの幕でイスラエル人一般人の目からも隠され、移動させる場合があっても、祭司はあの仕切りの幕で覆い被せて、箱自体を隠して移すべきでした(民数記4章5節)。罪ある人にとって致命的なほどにきよい神の箱だったからです。

3 民は悔い改める訳ではなく、19節でただ「喪に服した」とあります。※⑶そして、転送を提案します。20節でその箱は手に負えないと言います。主を「この聖なる神」と呼びながらも、慕う方としてではなく、ただ怖いわざわいの力と見て、送り出したがります。

4 大切なことを問います。「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう。…」主の前に立つことは一方で、主に受け入れられる人はいるだろうか?つまり、十分に正しい人はここにいない、と認める思い。または、もう一方で奉仕のために主の前に立つ祭司はだれだろうか?とも言えます。

5 ですから、ペリシテの地にあったように、主の箱の転送は続きます。21節で彼らは、ペリシテからもう少し離れて東の方のキルヤテ・エアリムの住民に引き取ってもらおうとします。彼らは、7章1節で「【主】の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別した。」エルアザルはおそらく祭司アロンの子孫だったでしょう。やっと、祭司が神の箱を「守る」ことができます。 ※⑷ 

四、主の前に立つ人

1 私たちはペリシテ人にもイスラエルにも起こった悲劇を聞いて、怯えるかもしれません。聖書の神の栄光も力も厳しさも、重いものです。6章20節のように、私たちも言わないといけません。「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう。」

2 感謝なことに、私たちは答えを持っています。昔、キルヤテ・エアリムに祭司は見つかりましたが、彼は死にました。他の祭司も、そうでした。しかしヘブル人への手紙が新しい契約、新約時代の観点から、告げます。ヘブル10章11〜14節(新p449)「祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、 キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。」

3 イエス・キリストは、父なる神の前に立つ必要さえ、ありません。祭司がなすべきことを一度で、十字架の死でご自身をささげて、完全になさいました。私たちはよく、無知か怠慢から、神を軽んじて罪を犯しますが、神様に謝って、イエス・キリストに信頼を置いて赦しと助けを求めるなら、完全に安心して良いです。「一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。」

4 あなたは、この安心を受け入れますか。イエスがあなたを代表する完全な祭司であるゆえ、あなたはいつでも祈って近づいて良いと信じますか。もちろん、神様のきよさを認めてきよく生きるように求める必要は今も続きます。でも、ペリシテ人やベテ・シェメシュのイスラエル人と違って、イエス・キリストに信頼するなら、安全に神様に近づくため、自分の常識や知恵は必要ありません。祈りを聞いていただくと安心しましょう。

説教について 

振り返り:イエスがあなたを代表する完全な祭司であるゆえ、あなたはいつでも祈って神に近づいて良い、と信じますか。

参照箇所:ヘブル7:25-27、10:11-22

※⑴ 「貢ぎ」直訳は、今までよく出ている「栄光」「重み」です(新改訳2017版の注参照)。意図しなくても、異邦人たちは主に「栄光」を帰して、契約の箱と一緒に「貢ぎ」を送りました。

※⑵ Robert D. Bergen, 1, 2 Samuel, NAC. Broadman & Holman, 1996, 102. (Accordance version)

※⑶ Bergen, 1, 2 Samuel, 103.

※⑷ David Toshio Tsumura, The First Book of Samuel, NICOT (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2007), 229. 祭司エリと神殿があったシロはこれ以降、出てきませんから、たぶん、シロはすでにペリシテ人に滅ぼされ、とにかくキルヤテ・エアリムに安置することが最善策だったでしょう。Bergen, 1, 2 Samuel, 104.

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)