
2026年10月11日 説教「軽んじてはいけない神」 “A God Not to be Treated Lightly”
箇所 Text: サムエル記第一 I Samuel 5章1~6章1節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 招詞 Call to Worship:詩篇 Psalm 136篇5〜9節 讃美歌 Hymns: 5、301、520、541番 交読文 Responsive reading:31番 詩130篇(Psalm 130)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
※原稿と実際の語られる説教が異なることがあります。また、短期間掲載の上、削除の予定です。ご理解ください。
ホームスタジアムで地元のファンはもちろん、熱気を帯びて地元チームに声援を送ります。ときどき相手チームをなめて悪く言うほど、熱くなります。そういう中、地元チームはいちおう有利とされますが、遠征チームが圧勝することもあります。遠征の相手をなめてはいけない、軽んじてはいけないのですね。
なおさら、創造主なる神様は、軽んじてはいけない相手です。今日のペリシテ人たちは、その正義と威厳による罰について、知りました。
5章1〜5節 偶像への裁き
- 1、2節 ペリシテ人は4章の戦いでイスラエル打ち負かして、創造主なる真の神の契約書が入った箱(神の箱)を奪って、意気込んで担いで自国へ持ち帰りました。当時、戦争で相手の国の像など大事なものを奪えたら、完全な勝利と考えていました。よく、自分の神を誇って、神殿の宝物として持ち帰りました。1 >ペリシテ人はイスラエルの西南端に、特に五つの町に住でいたました。ペリシテ人たちは神の箱を、ペリシテ北部の海岸の町アシュドデの、ダゴンという神の神殿に奉納しました。ダゴンの神殿にイスラエルの神の箱を入れることにして、ダゴンはヤハウェ(イスラエルの神)より強いと思って、夜に眠りました。2
- 3節 スポーツにたとえてみれば、ホームスタジアムでの惨敗です。ダゴンの像は自分の神殿の中で…「主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。」その信者たちは、無力な像を立たせないといけません。
- 4節 ダゴンの再び、偶像は神の箱の前で落ちて、胴体しか残っていない状態でまたうつ伏せでした。結果として、5節によると、ペリシテ人は迷信ゆえに、偶像が壊れた場所の敷居を避けて神殿に出入りしていました。ヤハウェはダゴンを徹底的に倒した、と言えます。
5章6節〜6章1節 人々への裁き
- 6節以降 主なる神は、ご自分の箱、またご自分を軽んじている人々に厳しい罰を下されました。像だけにでなく「主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人たちを腫物で打って脅かした」とあります(6節)。「重く」は今まで何回か聞いた「栄光」「重み」と同じ言葉から来ています。神様は軽んじてはいけない方です。
- 7節 アシュドデの住民はその疫病の苦しみはヤハウェの箱と関係していると悟りました。
- 8節 ペリシテの町々を治める連合の「領主」が会議します。少し内陸の町、ガテへ神の箱を回そうと決めます。3 しかし、神の箱はただの箱はそう軽んじてはいけません。全世界の王がおられるところでした。
- 9節 ガテの町はアシュドデと同じ疫病に襲われます。「非常に大きな恐慌」があり、パニックのうちに、別の町エクロンへ回そうとします。ところが10節でエクロンの住民は、「私と私の民を殺すために、イスラエルの神の箱をこっちに回して来たのだ」とわめき叫びます。
- 11、12節 ペリシテの当惑と恐怖が描かれています。何とかして、イスラエルの神の処罰を逃れたかったです。しかし、6章1節によると、「【主】の箱は七か月間ペリシテ人の地にあった」ので、彼らは戸惑いながら、時間をかけたようです。6章4節によると、首領たち「全員」の町が襲われたとあります。南部のあと二つの町にも、主が恐慌や疫病を下された訳です。虜になったはずの主は、遠征試合で圧勝しました。
真の神様と会う備え
- ペリシテ人たちはイスラエルの神をよく知らないで、その箱を軽率に扱ってしまいました。見える像はなくても、担いで、置いて、操れるただの神と思っていました。
- 古今東西、人間はそのような神を持ちたいと思いがちです。(お守りでも、クリスチャンが「良い行いや献金」を根拠に創造主に何かを求める場合でも…。)多くの神々は、そうされても構わない、生ぬるくて、地理や能力の範囲が限られた神として、奉られます。
- しかし、聖書の真の神、ヤハウェは軽んじてはいけない神です。他の神々と比較にならないほど、唯一の真の神です。どこでも、圧倒的です。4章でその「栄光」の重みが語られました。私たちに全ての信頼と従順を求めておられます。
- 真の神は、聖書を知らない人をも正しく扱って、結果的にお裁きになります。ペリシテ人に、即座にされました。彼らも、聖書を見たこともない日本人でも、創造主の存在を心の底で知っていて、密かに拒絶して生きる、とローマ1章18〜23節が述べます。神様は全ての事情をご存知で、必ず正しい報いを一人一人に与えられます。それは、罪の報いとして体と魂の死、神様に拒絶される永遠の地獄です(テサロニケ第二1章8〜9節、ローマ6章23節)。
- 真の神様と真剣に、向き合っていますか。今の公の礼拝だけの神ではありません。家に帰って、安息日全体をこの方と一緒に、この方のために過ごすか。毎日、主なる神様の前で過ごしていて、主なる神様のために用いると意識しますか。
- 神様を軽んじてしまった私たちには、交読文31番でも読んだ詩篇130篇3、4節は希望を与えます。つまり、主に対する罪がある者も赦しを受けられます。主イエスに望みをかけて、父なる神様に立ち返ろうとするなら、神様の前に出て歓迎されることができます。神様と会う備えは、主の恵みに頼って、キリストに信頼してその完全な義に頼って、受けます。
- ローマ人への手紙5章2節(新p304)「私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。」敵として神様に接してきてしまった人は、真の神イエスの前にひれふして自分を委ねるなら、主の前に平和の歓迎のうちに立ちます。初めてそうする人も、クリスチャンとして罪を悔いている人も、できます。
- 軽んじてはいけない創造主なる神の義と罰の隣に、イエス・キリストによって神と平和を持たせる恵みもあります。これを軽んじないで、むしろ尊んで、喜んで、受け入れて、今週を過ごしてください。
説教について
振り返り:創造主なる神様を大切にしなかったとき、イエス・キリストに信頼して悔い改めていますか。きよく扱われ、きよめられる望みはあります!
参照箇所:テサロニケ第二1:8-9、詩篇130:3-4、ローマ5:1-2
注
1 David Toshio Tsumura, The First Book of Samuel, NICOT (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2007), 203-204. サムエル第二8章11〜12節、
2 上掲書、188, 204.
3 疫病が船で漂流した鼠から感染された可能性はあるが、断言できません。Tsumura, The First Book of Samuel, 208-210.