2026年9月20日 説教「栄光が…去った」 “The Glory . . . Has Gone”

箇所 Text: サムエル記第一 I Samuel 4章12~22節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 招詞 Call to Worship:詩篇 Psalm 29篇1~4節 讃美歌 Hymns:75、322、166、546番 交読文 Responsive reading:27番 詩118篇 (Psalm 118)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing) 

※原稿と実際の語られる説教が異なることがあります。また、短期間掲載の上、削除の予定です。ご理解ください。

 「栄光」はスポーツなど大きな賞賛を受ける人について使われますが、あまり馴染みのない言葉かもしれません。旧新約聖書では、栄光は重み、また賞賛、光の意味合いがあります。創造主なる神様が栄光あるとよく言いますが、重みある偉大さ、喜びに満ちた光、とまとめられると思います。

なぜ重要でしょうか。私たちは皆、栄光、安定と喜びを与えるものを求めていますが、どこにそれを求めているでしょうか。軽い車やバイクで強い風の中の中走ろうとすると、飛ばされやすいです。しかし重たいトラックなら、平気です。薄暗い懐中電灯があれば、山の中の真っ暗闇では怖いと重ますが、協力なランタンがあれば、安心できます。あなたと共に、そういう栄光はありますか。1

1218節 敗北と神の箱損失の知らせ

  1. 12節の男性は嘆きの印である、「衣は裂け、頭には土をかぶっていた」の姿でした。2目の見える人は、戦いの結果はすぐに悟ったでしょう。13節後半で彼が言葉でも表現すると、「町中こぞって泣き叫んだ」とあります。
  2. 一方、13節前半から18節までは特にこの男性とエリの話を扱います。13節前半 祭司エリは、サムエル記第一の2章でも3章でも、反抗的な息子たちを制せず主なる神様を蔑ろにしてきた結果として、息子たちは死に、自分の家庭が衰退すると聞いていました。でも、この日、その最優先の心配事は主との契約の入った、神様とイスラエルが関わり合うために与えられた「神の箱」でした。
  3. 14、15節で、エリがシロの住民より遅く実態を知ったことが分かります。わめきを聞いて、「この騒々しい声は何だ」と言います。15節で、彼が盲目だったことが分かります(3章2節参照)。男性の見た目が分からず、説明を求めました。
  4. 16節は、男は自分が逃げて来たと言い、負けたことを暗示します。エリは、負けたと知るだけでは不十分です。17節で男の人は順番に、四つの悲劇を述べます。①イスラエルの軍全体が逃げいている。②イスラエルの人々の多くが殺された。③その中にエリの息子たちも殺された。一つずつ、エリにとってより痛ましい知らせです。最後の打撃は④「神の箱は奪われました。
  5. 18節でエリは、民の敗北、民の虐殺、息子たちの死にも耐えられたが、契約の箱を失ったと聞いては、「あおむけに倒れ、首を折って死んだ」とあります。
  6. わざわざ、著者はここでエリが「重かった」と言います。笑い抜きの「言葉遊び」です。すでに触れたように、「重い」はヘブライ語で「栄光ある」と同じ語です。エリの体の重さは死に繋がってしまいました。2章29節によると、彼は息子たちの不正な行いによって太くなって、彼らを主より重んじていました(栄光ある者として扱っていました)。その結果、ひどい頭打ちをして、亡くなりました。エリにとって皮肉な、悲劇的な結末です。

1922節 「栄光がイスラエルから去った」(21節)

  1. 19節 エリの嫁の名は知られていませんが、彼女はこの4章の悲劇を総括する、悲しみと知恵深い声を持ちます。
  2. 20節でそこにたった女性たち(助産師)は励まそうとして、「恐れることはありません。男の子が生まれましたから」と言います。彼女たちは、男子の誕生による支援と社会的安心を喜びます。嫁はもっと大きなな問題を見て、絶望します。エリの嫁は息子に、「栄光はどこか」という意味の名イ・カボデを付けます。
  3. エリの子孫は、2章の預言者の予告どおり、22章で大多数虐殺されて、細々と生き残ることになります。しかし、21節でしゅうとのエリ、夫のピネハスを嘆く以上に、神の言葉の入った箱を失ったイスラエルのために嘆き、亡くなります。
  4. イスラエルは神様との関わりを保証し、イスラエルと神の間に来る箱がないと、関われる確信できないと分かりました。神様の素晴らしさ、栄光、重みが奪われると望みはない、とよく分かりました。3栄光はイスラエルから去った。神の箱が奪われたから。」(22節)イスラエル、祭司、家族の繁栄は全て、神の栄光にかかっていて、神の栄光が消えたなら、他はどうでもよいと彼女は悟っていました。

栄光を経験する

  1. 私たちは、何の「栄光」に安心しようとしているでしょうか。言い換えると、何を失うと、一番動じますか。それが失えるかどうかで、そのものの安定感、重み、栄光の価値が分かりますそして言うまでもありませんが、本当の栄光は、創造主なる神様のものです。
  2. ローマ人への手紙1章23節によると、人間は自分を本当に満たし喜ばせる神の永遠の栄光をポイと捨てて、造られた色々なものから、頼りにならない、軽い「栄光」を求めてしまいます。
  3. 神様の栄光を軽んじて他の何かを栄光として求めるなら、エリとその嫁のように動じて当然です。最も栄光ある神様を捨てたら、私たちが手がかりとするどの成功、賞賛、体験でも、不安定で重みもない、薄っぺらい「栄光」で、私たちの幸せは同じです。神様以外に、私たちは皆、何かをそのように求めて、それを失いかけたり失ったりする度、立ち行かなくなります。
  4. ところが、聖書の良い知らせ「福音」は、使徒パウロによって「神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音」と呼ばれています(コリント人への手紙第二4章4)。2節後に、それは神の栄光でもあると言われます。私たちが神様の不動の栄光を、イエス・キリストにあって見え、持つことができます。
  5. なぜ、神ご自身の重みと輝きの栄光を要らないと拒んだ、恩知らずな人はイエス・キリストにあって安定と喜びを与える栄光を経験できるでしょうか。キリストは先に私たちのような人に代わって、神様の愛から切り離されて呪われたからです。そして復活して、空しい栄光を手放してイエスを求めるする人の心の内に、」聖霊様によって入ってくださるからです。
  6. パウロが語った良い知らせは、そういう知らせです。コロサイ人への手紙1章27節の後半(新p402)にあります。「あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
  7. シロから運ばれて失われた箱とは違い、イエスは、信頼を置いて神様を求める一人一人の心から離れません。聖書の福音を知り信じると、自分を愛して、自分のためにいのちを捨ててくださったキリストの栄光が分かってきて、望みと安心を抱けます。
  8. 主イエスを何よりも「いとうるわし あめつちの主」(讃美歌166番)、重く偉大な方として受け入れるなら、揺らがされることはますます、なくなっていくでしょう。日々の悩みであなたを支えられる「栄光」は、イエス・キリストです。

説教について

振り返り:日々の悩みであなたを支える「栄光」は、どこにありますか。イエス・キリストですか。

参照箇所:サムエル第一2:29、ローマ1:23、コリント第二4:4-6、コロサイ1:27

1  讃美歌322番の歌詞は、創造主なる神様の栄光を楽しめず、礼拝の場から離れた人が書いた詩篇42篇から来ています。その人は最終的に、どこに望みを置いたか振り返ったら、それは神様の栄光を信じて自分に安心しなさいと命じて、望みを抱きました。

2 David Toshio Tsumura, The First Book of Samuel, NICOT (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2007), 197-198.

3 Tsumura, The First Book of Samuel, 201.

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)