
2026年9月13日 説教「お守り型の信仰?」 “An Amulet Faith?”
箇所 Text: サムエル記第一4章1~11節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 招詞 Call to Worship:ゼパニヤ Zephaniah 3章14~15節 讃美歌 Hymns:88、283、260B、545A番 交読文 Responsive reading:24番 詩100篇 (Psalm 100)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
※原稿と実際の語られる説教が異なることがあります。また、短期間掲載の上、削除の予定です。ご理解ください。
お守りをクリスチャンは全く要りませんし、むしろそれは創造主なる神様が嫌われるものですが、それに魅力があるのは分かります。簡単に、特定の問題のために手に入れ(作り)、少し安心する訳です。しかし、それは何かだれかと親しさを与えません。主なる神様と持つ生きた関係においても、私たちは、機械的な、お守り型の信仰で良いと勘違いすることはあり得ます。
1〜4節 民の敗戦と戦略
- 1節 サムエルは預言者として認められていたところで3章は終わりましたが、同時期にイスラエルの西南部に当たる、地中海の海岸沿いに勢力を増していたペリシテ人がイスラエルに攻め込みます。
- 2節の戦いでイスラエルは打ち負かされて、3節で、イスラエ導いていた長老たちが協議します。神様ご自身がペリシテ人を通して、自分たちを裁かれたと理解しました。神との契約上、それは正解の理解です。
- しかし、主の教えに立ち返るような態度を示す代わり、別の作戦に思い当たります。「シロから【主】の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、その箱がわれわれの間に来て、われわれを敵の手から救うだろう。」主なる神様はその箱と共に連れて行かれてイスラエルの味方になり戦いでだ助ける、と考えます。1今でも人が携えるお守りのように…。
- 4節 神殿のあるシロへ行き、「ケルビムに座しておられる万軍の【主】の契約の箱を担いで来させた。そこに、神の契約の箱とともに、エリの二人の息子、ホフニとピネハスがいた。」
・「主の契約の箱」に神様が語られた言葉。
・「ケルビム」はエデンの園など、神様の清さを侵す者を罰する番兵の天使2
・神の礼拝を軽んじていた祭司「ホフニとピネハス」が同行。神の言葉と清さを守る天使の箱を持ちながら、それを否定するように、ただ機械的なお守りとして担いで行きます。
5〜11節 戦いの成り行き
- 5節で陣営は盛り上がります。箱があるだけで勝利できると安心して、でしょうか。
- 6節でペリシテ人たちは気になり、訳を知りました。怯えます。8節 ペリシテ人たちは複数の「神々」と言ったり、出エジプト記の歴史的事実の詳細を知らないが、イスラエルの偉大な神が契約の箱の中から自分を打ち負かすのではないかと恐れます。
- それで勇ましく戦おうと励まし合って、ペリシテ人は戦います(9・10節)。そして主は、契約の箱さえ敢えて守ろうとはせず、イスラエル軍をその敵の手に引き渡されます。10節にイスラエル軍の惨敗が書かれています。11節 2章34節の預言「二人とも同じ日に死ぬ」のとおりに、殺されました。お守り型の信仰で真の神を利用して苦境から抜け出そうとした民・長老たち・祭司たちはさらに苦しくなりました。
民の問題は何だったのでしょうか。私たちは似た罠にもかかりやすいのでしょうか。
- 近くに置けば大丈夫…「主」の名を挙げたら大丈夫…祭司が一緒に行けば大丈夫…そうかのように、イスラエルは主を軽んじてしまいました。3主との絆、親しい関係に立ち返る必要性を無視しました。
- クリスチャンについても言えます。教会員として登録されていたり献金をしていたりしただけでは、神様にあって喜びがあるとは限りません。クリスチャン信仰はただ買って、鞄や車に付けておけば良いお守りではありません。4
- また、苦しみと罰のことですが、今日の話のように古い契約では、すぐに苦しみの処罰はよくあるました。新しい契約においても、神様に反抗する結果としての苦しみはあり得ます。しかし、決定的に違うことは、恵みが今、前面に出ています。神様から来る苦しみは、愛の内の懲らしめなのです。ヘブル人への手紙12章6節は、「主はその愛する者を訓練し、 受け入れるすべての子に、 むちを加えられるのだから」と励まします。私たちが罪を離れるために、悩み苦しみを、神様の親しい愛を求めさせる刺激として受けます(ヘブル12章4〜7節)。
- 本当の信者であっても、神様を小さく評価しているなら、私たちの喜びは小さいでしょう。苦しみは、それを私たちに指摘するものです。しかし、そこで「神様をまた自分の味方に回すにはあれこれの努力をしよう」という結論は筋違いです。先に神様が私たちを愛した故、私たちは愛を受け、また喜んで立ち返るべきところです。
- その喜びは、ゼパニヤ書3章15節(旧p1606)に現れます。これは旧約聖書で言われたことですが、イエス・キリストの完全な成就によって、なおさら私たちへの言葉でもあります。
- 「【主】はあなたへのさばきを取り除き、 あなたの敵を追い払われた。」私たちの敵、悪魔も神様から引き離そうとする人も悩みも死さえも、神様は十字架と復活で叩き潰されました。キリストが人となり、代わりに苦しんだゆえ。
- 「イスラエルの王、【主】は、 あなたのただ中におられる。 あなたはもう、わざわいを恐れることはない。」本来イスラエルが求めたことです。神様はあなたの心のただ中に住まわれ、慰められます。私たちを本当に満たせる唯一の方です。キリストが代わりに完全に正しい歩みをなさり、私たちの近くにいられるように私たちにその義を転嫁させてくださるゆえ。
だからこそ、お守りではなく、神であり人であられるイエス・キリストに祈って、歌います。
振り返り:あなたお本当に満たせる方がイエス・キリストだと信じ、苦しみをキリストに委ねて従おうと思いますか。
参照箇所:ガラテヤ6:7、出エジプト20:7、へブル12:4-7、ゼパニヤ3:14-17
注
1 「契約の箱」の「それ」なのか「かれ」(神様)が主語かは曖昧ですが、主が主の箱と一緒におられると理解されていたでしょう。
2 創世記3章24節。契約の箱の「宥めの蓋」に付けられた二つのケルビム像の間に主が降りられ、預言者モーセに語られたと記されています(民数記7章89節)。
3 ガラテヤ6章7節「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。」
4 十戒の第三戒「あなたは、あなたの神、【主】の名をみだりに口にしてはならない」(出エジプト記20章7節)を破らないように、本当に心から主を慕い求めて、重んじる心が必要です。