2026年7月5日 説教「すべての人への重要な知らせ」 “A Vitally Important Message for All People” 

箇所 Text: ローマ Romans 3章23~24節   聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns: 4、214、271B、502、541 番  招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 47篇1~2節 交読文/Line-by-line responsive reading  18番 詩67篇 (Psalm 67)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
 

 世界中で宣教師は「福音」を宣べ伝えています。富や名誉をあまり得なくても、豊かな能力や経験をそのために活かしています。この一週間の「世界宣教週間」に彼らを覚えて祈ること、機会的に今日の席上献金を宣教に指定するのは、簡単です。しかし、祈り続けて、また惜しまずに献げるためには、私たちはまず福音の重要さを心の底で受け止めないとできません。

 もっと言うと、福音の宣教に対する私たちの犠牲的な熱心さの度合いは、私たちが福音を心で受け止めている度合いを示す測りと言えます。福音が私たちの心に根ざしているなら、これを他の人に伝えるための犠牲を惜しまなくなるでしょう。

 ローマ3章21〜26節は、聖書が良い知らせとして掲げる「福音」を理解するために、素晴らしい箇所です。先月その最初を見ました。今日、その真ん中を見ます。いくつか重要な用語を見ます。

一、23節:人は罪を犯して、神様と敵の立場を持っていて、自ら歓迎され得ない

1 23節前半には「すべての人は罪を犯して」と断言されます。「罪」の定義は?

  • 1. この世の考えでは、宇宙は大概、人間のみ、そして仏などの霊の存在もあるだろうと言います。この宇宙で完結します。そして罪は社会が決めた決まりの違反だけになります。
  • 2. しかし、聖書が教える宇宙は、人間も天使・悪霊また宇宙の外に、これらを造られた創造主なる神様の支配下の宇宙です。神は正義を持って、善悪を定義されています。そして、人との関係を非常に大事にして、愛あるいは敵意の関係にある、と教えられました。神様は善悪の基準の(道徳)律法をも心に刻み聖書で教え、全ての違反を「罪」と宣告されます。

2 その神の前で、誰しも罪を犯したことがあります。

  • 1. 最初の人間の罪責は皆に行き渡った、とローマ5章は教えます。つまり、過去の出来事に基づいて、皆は罪びとです。(原文で過去形)
  • 2. ローマ3章の9〜18節に私たちの心から、具体的な罪が出て来ると指摘されました。

3 23節は「…神の栄光を受けることができず」と終わります。注に書いてあるように、「受けることができず」は「達せず」とも訳されます。※⑴ 英語の聖書では大体、そう訳されます。

  • 1. 「神の栄光」をどう理解するかで訳は変わります。それが神のみが持っておられるきよさの栄光であれば(ローマ1章23節・3章7節参照)、人はそれに似たきよい歩みに「達せず」にいることになります。つまり、全ての人は神様の栄光ある基準に至らず、不義である、義に欠けた、ということが強調される理解は可能です。
  • 2. また、「神の栄光」が神様から来る賞賛の「栄光」であれば(ローマ2章7〜10節・5章2節参照)、失敗するゆえ賞賛を「受けることができず」にいます。つまり、全ての人は不義であるゆえ、歓迎と栄光を受けられないその結果が強調される理解は可能です。

4 どちらにしても、結論は似たものです。私たちは今も以前も、神様に背いて罪を犯してきました。正しい歩みの基準である律法を基に、皆「有罪」と明確に言い渡される者です。神様の義のご栄光に達せないので、神様から来る栄光を受けて歓迎されるはずがありません。

二、24節:キリストを通して、義と栄光の立場を受けて歓迎される恵みがあります!

1 逆転です。23節の悪い知らせを踏まえた良い知らせです。ここにも重要な用語があります。

2 「神の恵みにより…」日本で、自然の「恵み」などと軽く使われがちです。キリスト教で「恩寵」「恩恵」とも訳されますが、分かりづらいかもしれません。聖書の多くの文脈から分かるその意味合いは、神様は、刑罰に値する人に対して逆の幸いを与えるほどの優しさのことです。

3 「…キリスト・イエスによる贖いを通して価なしに…」恵みが与えられる根拠。

  • 1. 「贖い」は代価を払って、買い戻すという意味です。聖書の文脈では具体的に、罪ゆえに刑罰を受ける立場から買い出され、罪の問題が取り扱われたことです。
  • 2. 贖われる者にとって「値なし」、ただです!贖い主イエス・キリストに信頼を置いて、受けます。イエス様に信頼して従う弟子として、ささげるものや受ける苦しみはありますが、神様と愛の関係を持つための代価はすでに、全部払われたのです!

4 「…義と認められるからです。」神様の裁判で無罪さらに神様の義の「栄光」の基準を満たした、と言われて歓迎されることです。

  • 1. 神様の道徳律法を完全に守る義によってそのように歓迎される人は、イエス様の他に、誰もいません(20節)。でもイエス様の義は、罪ある人も義と認められる根拠です。
  • 2. 十字架にかかって贖ってくださったイエス様は罪を代わりに償っただけではありません。その義によって義と認められ歓迎される資格を代わりに獲得もしてくださいました。(22節)
  • 3. だから一方で、イエスに信頼を置く人は自分の罪がすでに罰せられ、神様に近づく障害物になりません。もう一方で、義を全うできたイエス様と同じように見なされ、歓迎されます。「有罪」の言い渡しが神の聖なる裁判で、「無罪」さらに「完全な義」の言い渡しと入れ替えられます。(第二コリント5章21節)

三、福音を信じたら、私たちはどう応答するのか

1 「罪」「栄光」「恵み」「贖い」「義と認められる」と難しい表現が続々と出ましたが、もう少し分かりましたか。それだけではなく、信じますか。

  • 1. あなたが神の前でどんな不義を犯したか知りませんが、皆さんに尋ねます。イエス様が代わりにあなたの罰を受けたと信じますか。主に希望を置いて、聖なる義の栄光の神に赦しと歓迎とを求めますか。そうならば、神様の裁判所で正しいとして見なされて、生きることができます。
  • 2. クリスチャンは「もちろん、信じます」と答えるかもしれませんが、徐々に熱意を失って、何かの形で神様から離れ、神を蔑ろにしてきたかもしれません。きよい生活を求めていないかもしれません。でも良い日でも悪い日でも、「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められる」ことができます。価なしの恵みの結果です!

2 あなたの歩みはどうでもよくなくなります。義理や恩返しではない、感謝と喜びの応答に導かれるはずです。今日の箇所の真理を信じるなら、身近な所から世界の果てまでの宣教に熱意を持たずにいられないはずです。そこでこの箇所は世界宣教の全ての人に繋がります。

  • 1. 23節から罪がどんなに深刻か分かり、他の人に伝える熱心な努力が必要だと分かります。
  • 2. 24節から神様の恵みがどんなに力強いか分かり、望みを持つことができます。
  • 3 この重要な知らせをあらゆる人に伝えるために、文化の壁を越えて、言葉の壁を越えないとできません。惜しみなく努力し、ささげる意味がここにあります。

4 あなたも行く日が来るかもしれません。ここに残る人はあなたを涙と望みをもって、送り出します。願わくば、献金と熱心な祈りをもって、送り出します。

5 惜しみなく祈り献げるほど価値のある、すべての人への重要な知らせを聞きました。私たちはそれぞれ、どう応答するのでしょうか。

説教について

振り返り:惜しみなく祈り献げるほど価値のある、すべての人への重要な知らせを信じますか。どう応答しますか。

参照箇所:ローマ3:9-22、第二コリント5:21、ローマ10:9-10, 13-15

注 ※⑴ ジョン・パイパー『義認の未来−N・T・ライトに対する応答』中台孝雄訳(いのちのことば社2020年)、96ページでは「欠ける」とされていて、BDAG辞典でもそうなっています。

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)