
2026年6月21日 説教「二心の民」 “A Double-Minded People”
箇所 Text:ヨシュア記 Joshua 24章19〜33節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:88、312、250、539 番 招詞/Call to Worship: イザヤ Isaiah 55章6〜9節 交読文/Line-by-line responsive reading 6番 詩23篇(Psalm 23)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
「真心を込めて」と宣伝でよく聞きます。ただし、気になるのは、それほどお金にならないと分かっても、同じ心でされるのでしょうか。打算的に、心の持ち方を変えることはあり得ます。
心苦しい話ですが、教会に通いながら育った人でも、洗礼を受けた人でも、教会また神様を離れることがあります。あるいは、教会に通っていても、本心からそうしているのではない事もあり得ます。信仰がなくなったとも限りません。その人のせいでない場合もあります。でもどのクリスチャンにも、神様より何かを優先させる「二心」元々あった二心がただ浮上する状。
一、主なる神様がイスラエルの民を導き、豊かにしてくださっても、その関係が長続きするかどうかは常に課題でした。(ヨシュア記全体)
1 将軍ヨシュアの話は有名です。前回の申命記34章に出たエリコの町をまず占領して、主(ヤハウェ)なる神様に命じられたとおりに、約束の地の先住民の罪の裁きとして、戦争をしました。イスラエルの全部族に(神様が導いた)くじで、「割り当ての地」を分譲しました。
2 21章45節は神様の働きをまとめます。「【主】がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。」では、イスラエルは、主と愛の関係を維持するのでしょうか。
3 申命記は33章まで、言うならモーセの遺言でしたが、ヨシュア記24章はヨシュアの遺言のような、最後の大演説でした。彼は24章前半で(13節まで)民の歴史を振り返ります。主が先祖アブラハムなどを選び、守り、導き、さらに預言者モーセを通してエジプトでの奴隷生活から導き出してくださり、荒野で守り、また敵を討ち負かせてこられました。
4 次にヨシュアは14節以降、呼びかけました。14節で「【主】を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え」るように、と迫ります。それに対して、民は16〜18節まで、自信満々に忠誠を誓い、「このお方が私たちの神だからです」と宣言します。
二、しかし、ヨシュアは民の二心を指摘し続け、ついに契約を再び結びました。(19〜28節)
1 今日の箇所19節「あなたがたは主に仕えることはできない。【主】は聖なる神、ねたみの神であり、あなたがたの背きや罪を赦さないからである。」民はどんなに言い張っても、ヨシュアはモーセのように、この民は二心だと知っていました。
2 20節 神様は背くイスラエルに容赦なく「わざわいを下し、あなたがたを滅ぼし尽くす」、と。19節のとおり、「聖なる神」です。私たちは自分だけでなく他の人についても、神様への背き・反抗・軽蔑である「罪」を軽く見ます。そんなに悪くない、神様は見逃すだろう、良いことをすれば償える、とクリスチャンさえも甘えてしまいがちです。しかし、本当に受けるべき結末は滅びです。新約聖書を見ても、同じです。
3 21節で民は再び、大丈夫だと言い張ります。
4 22節でヨシュアは「言ったとおりに責任を負いなさい」という意味で「証人はあなたがた自身です」と忠告します。
5 23節でヨシュアは突っ込みます。すでに、イスラエルの民は偶像を大昔から携えてきていました。「今、あなたがたの中にある異国の神々を取り除き…なさい。」浮気性、二心の民でした。(父祖たちの時代まで遡る問題です。(創世記35章4節など)
6 24節で繰り返します。「私たちの神、【主】に仕え、主の御声に聞き従います。」そして25節でヨシュアは彼らの主張にしたがって、契約を新たに作りました。(礼拝自体でも、教会は現に私たちも神様と恵みの契約を交わしていることを確認します。26〜27節で契約の記録を書き留めてました。おそらく、ヨシュア記に入っているこの文章も含まれたでしょう。ヨシュアはさらに、証人として石を据えました。民の誓いの責任を問う石、忠告を思い起こさせる石でした。
三、ヨシュアの世代が亡くなり、民の二心を抑える影響力が薄れました。(29〜33節)
1 29節「これらのことの後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。」そして30節でヨシュアは割り当てられた、約束の地に葬られました。
2 31〜33節はイスラエルの世代交代を述べます。
1. 31節「ヨシュアがいた間、また、主がイスラエルのために行われたすべてのわざを経験して、ヨシュアより長生きした長老たちがいた間、イスラエルは主に仕えた。」ヨシュア自身の影響は当然大きかったです。そして他の長老たちは真の神様を信じて、民を導いた間、民は彼らの目を気にして、建前としては従順でした。
2. 32節はついでですが、エフライムとマナセの部族の父祖ヨセフがその地で葬られました。ヨセフは約束の地に入ることを信じ、預言して、そこでの埋葬を求めたことがありました(創世記50章24〜25節)。その遺体はそれまで、主の誠実と救いの預言を思い起こさせましたが、それも漸く、地に埋められ、忘れられることとなりました。
3. 最後に33節では、先輩世代の大黒柱であった祭司、「アロンの子エルアザルは死んだ。」信仰者の将軍ヨシュア、長老たち、そして大祭司がいなくなりました。無言の証人のようなヨセフも葬り去られました。
3 イスラエルの民の本心は、次の士師記で凄まじくあらわれることとなりました。ヨシュアの予言どおり、彼らはたやすく他の神々を拠り所として求めて、主なる神様を蔑ろにする歩みに繰り返し向かってしまいました。
4 しかし、同時に、主なる神様はそのすべてをご存知でも、民と関わり続けるのでした。浮気性な民を愛し続ける心は何と不思議でしょうか。
四、私たちの二心は神様の一心の愛だけによって、変えられます。
1 イスラエルの民の二心を自分の日常の生活や神様との関係に重ね合わせてみると、どうですか。創造主なる神様が常に見ておられ、一心、真心を求めておられると信じるなら、恐れずにいられません。私たちは皆、神様を蔑ろにして、神様を全身全霊で慕って仕えるより楽な歩みを選びがちです。
2 今日の話はもちろん、クリスチャン一世代目と後の世代の違いとも関連します。いちおう熱心なクリスチャンの子どもや孫にはその熱さが継がれないこともあります。
3 でも、どのクリスチャンにも、二心はあります。神様との関係より他の何ものでも優先させる思いは、いわゆる「異国の神々」を慕う罪です。これを抑えるものが人の目であれ、「立派なクリスチャン」として勝手に抱く自尊心であれ、神様に裁かれる恐れであれ、本当に神様を慕う愛ではありません。罪深い心の浮気性です。
4 良い知らせは、神様はヨシュアの時代にも後の世代でも、イスラエルと契約を持ち続けられた、恵み深い主であることです。その真心とは、神の子イエス様は死なれるほどの愛です。ヨハネの手紙第一4章10節、19節(新p483・484)「私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、 宥めのささげ物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。…私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」
5 ここに真心の愛があります。私たちが受けるべき罰を受け、私たちを歓迎するために私たちに全く欠けた正しさを与えられます。そして今、私たちが神様と共にいるように、聖なる御霊なる神様が心の内に住まい、二心の私たちを変えつつある真心です。
6 自分が二心だと認めますか。それでも愛してくださる神様に信頼を置きますか。そうすれば、心から従おう、信頼しようという心がますます起こされるでしょう。一心に神を、そして人を大切にする心を育んでいただけるでしょう。二心から真心へ、神様にすがって歩みたいと思います。
説教について
振り返り:自分が二心だと認めて、それでも愛する神様に信頼を置きますか。
参照箇所:士師記2:1-23、第一ヨハネ4:9-10, 19