
2026年5月24日 説教【ゲスト説教者】「良い働きを始められた方は必ず完成させてくださる」 “He Who Began a Good Work in You Will Bring It to Completion”
箇所 Text: ピリピ1章6~8節(新p394)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:若生秋夫(交野キリスト教会代理牧師)Guest preacher Akio WAKOU 讃美歌/Hymns: 11、228、502、543番 招詞/Call to Worship: 詩篇 Psalm 138篇8節(旧p1080) 交読文/Line-by-line responsive reading 45番 コリント前書13章(1 Corinthians 13)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
きょうは、ピリピ人への手紙も特に1章6節を中心に学んでみたいと思います。ピリピ人への手紙は「喜びの手紙」とも言われていまして、わずか4章しかないのに「喜び」とか「喜びなさい」という言葉が16回も出てきます。この手紙はパウロがカエザルにローマ市民として訴えたはいいが2年間も放っておかれ、自分で家を借りてそこで訪問者に思うように福音を語ることができました。しかしローマの官憲が監視していてそこを出ることはかないませんでした。その辺のことは使徒28章に出てきますが、いつカエザルからの判決が下るか分からない。処刑か釈放か、そのはざまにあったときに書かれたと思われます。捕らわれの身であっても、自分のことよりもピリピ教会の人たちのことを覚え、4:4で「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います、喜びなさい。」と書いているところを見ますと、ピリピ教会のことは勿論のこと、彼らだけでなく、この手紙を読む私たちも困難の中にあっても喜びなさいと言われているようで、心がはっとさせられ、励まされ、温かい心になって来るのを禁じ得ません。
6節に
「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」
とあります。この6節はピリピ人の手紙の中でも単独でよく引用される聖句です。この6節は二通りの解釈ができそうです。
(1)ピリピ教会の人たちは最初の日から今日まで福音を広めることに与ってきました。それほどに信仰が成長したとは言えませんが、彼らの信仰は決して完全なものではなかった。勿論、このピリピ教会の人たちに限らず、回心したからと言ってすぐ誰しもが完全な、欠点のない人になるものではありません。それを思い、パウロはもっともっとピリピ教会の兄弟姉妹が信仰的に成長していくように願っています。それで6節、
「あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。」
と言っているのではないか。そう見ることができます。
「あなたがたの間で良い働きを始められた方」とあります。パウロは確かにピリピ教会の生みの親であったかもしれません。しかし、パウロはそれを自分の手柄のようには言いません。「あなたがたの間で良い働きを始められた方」と言います。彼らを信仰的に霊的に誕生させてくださったのは自分ではなく神ご自身、御霊の働きと言っているわけです。
私たちはどうしても相手に自分を認めてもらいたくて自分はこうもした、あーもしたと手柄を強調しがちです。しかし、そんな時、パウロの態度に学ぶべきですね。自分はただ主の御用に用いていただいただけなのだ、主の御用を果たす器に過ぎない、という態度です。そして、もっともっと主のことばの通りやすい管、器として用いられるようにと願う姿勢こそ大切なのだと示されたいものです。
さてパウロの宣教の働きが用いられて救われる人が起こされていったわけですが、この救いの働きのことを「良き働き」と表現しています。この良い働きは主イエスを信じるよう心が開かれ、生まれ変わる時に始まります。御霊がそのように働いてくださる。この良い働きは主イエスを信じるようになったらおしまいというのではありません。始まったらずっとそれが続き、やがて完成の時に至るのであります。その完成の時というのは、イエス・キリストの再臨の時であります。
この6節「キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる」というのはキリストの再臨までによい働きが完成すると言っているように見えます。
しかしここで意味しているのは、そうではなくて、神の救いの働きは始められてから完成に至るまで、良い働きを私たちに内に行っていてくださる、ということであります。
私たちの信仰基準、ウェストミンスター信仰告白13章2・3節ではこう言っています。
2節「この聖化は、全人にわたるものであるが、しかし、それはこの世においては不完全で、どの部分にも腐敗の残部が残っている。そこから、肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するという、継続的で和解不可能な戦いが生じる。」
3節「この戦いにおいて、残っている腐敗が、一時、大いに優勢になる事もあるが、しかし、聖化するキリストの霊から継続的に力が供給されるので、再生した性質の側が、必ず勝利する。かくして聖徒たちは、恵みにおいて成長し、神を畏れつつ、聖性を完成していく。」
人は回心によって、則、罪を犯さなくなるなどと言うことはありません。私たちの内に良い働きを始まられた方によって、徐々に、あるいは行きつ戻りつして聖潔へと向かっていくのです。神の救いの働きは回心の時で終わりではない。それからもずっと完成に至るまで御霊の働きを私のうちに続けてくださるのです。なんと感謝なことでしょう。この御霊により頼みつつ、御霊の助けに確信をもって信仰生活を送ることです。さて以上が6節の「良い働き」を「救いのみわざ」と解釈した場合のことです。
(2)更にもう一つ、ここは次のようにも解釈できそうです。「良い働き」をピリピ教会の人たちが「福音を伝えることにともに携わってきたこと」(5節)を指すと見ることもできそうです。パウロにとって福音宣教の働きは一時的なものでは決してなく、継続的なものであり、それを始めてくださった方、つまり主なる神が、終わりの日までに必ずや完成させてくださる、と確信していた。そう解釈することもできます。そうしますとピリピ教会の兄弟姉妹における「良い働き」というのは、もっと具体的になります。その一例が7節に出てきます。
「あなたがたすべてについて、私がこのように考えるのは正しいことです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人たちであり、そのようなあなたがたを私は心に留めているからです。」
ピリピ教会は捕らわれの身のパウロのために、パウロの裁判のために祈り、また、経済的な支援をし、身の回りの世話をするエパフロデトを遣わしました。これらが「良い働き」に相当するでしょう。それをしてくれたピリピ教会の兄弟姉妹を、パウロは、「私とともに恵みにあずかった人たち」と言っています。これは何よりもピリピ教会の人たちがパウロとともに福音宣教のために苦楽を共にしてきた間柄であったことを示しています。だからこそパウロは「そのようなあなたがたを私は心に留めている」というわけです。「心に留めている」。たとえ口には出さなくても、あるいはたとえどんな状況になっても心に銘記され、決して忘れることがない。ピリピ教会とパウロはそういう間柄だったのです。しかもパウロの慕い方は8節によりますと「キリスト・イエスの愛の心をもって」です。「キリスト・イエスの愛の心」というのは実に深い愛です。友のためとあれば自分のいのちさえも惜しまない愛です。すべてを投げ打っても尽くそうとする愛です。たとえ周りから何と言われようとも友のためにはすべてを耐え忍ぶという愛です。パウロはこのキリストの愛の心をもってピリピ教会の兄弟姉妹を慕い、祈り、感謝していたのでした。パウロは本当にすごいと思います。
しかし、パウロをそうさせたのは、やはり、ピリピ教会の人たちにも「キリストの愛の心」があったからではないでしょうか。パウロが異教の地で果敢に福音宣教に邁進しているときだけでなく、官憲に捕らわれているときも決して見捨てず、祈り、捧げ、身の回りの世話する兄弟をも送った。これは「キリスト・イエスの愛の心」がなければできないこと。それに呼応してパウロの「キリスト・イエスの愛の心」があった!お互いの、この主に在る愛の心こそ、苦しい時も喜びの時も共に担い合う力となるものです。ローマ12:15に
「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい」
とあります。その通りです。同じ仲間と分かち合うならどんなにつらいことも心は和らぎます。そればかりか励まされ、力が与えられ停滞ではなく前進へと変えられるでしょう。そうです。お互いの「キリスト・イエスの愛の心」こそがすべての困難に勝利をもたらします。その模範を示し、今もその心をもって私たちを導いてくださるキリスト・イエスにこそ誉あれ、です。
さてこれまで、「良い働き」は、一つに、ピリピの人たちや私たちの心のうちに主イエスを信じるよう働きかけて下さる御霊の働きを指している、と言いました。二つ目は、ピリピ教会の人たちが、パウロが捕らわれた時も、福音宣教の時も、彼のために祈り、捧げものをし、兄弟を送ってまでして援助してきた。それを「良い働き」と見ることもできる、と言いました。
しかし、二つは区別して考えないで、むしろ合わせて考えて、救いの御業の流れの中で見て見ますと、御霊の働きで主イエスを救い主と信じたら、その次は救いの恵みは自ずと、心の中だけでなく、自分の生活の中にも変化をもたらし、家族、友人、知人、同信の兄弟姉妹、そして救いのみことばを実際に伝えてくれたパウロへの愛へと広がっていく。キリストの十字架の愛はこうしてパウロの困難の時も実際の様々な援助を行うことになったのではないでしょうか。それこそ神のなせるわざです。キリストの愛に生かされる者のあるべき姿でしょう。
こうして良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを継続しやがて完成させてくださると確信していると断言します。何と心強い言葉でしょう。
ピリピ教会には喜びだけでなく、会員同士の対立や(2:3・4)、ユダヤ主義者の危険(3:2・3)などがあり困難に見舞われていました。しかしたとえそうであってもよい働きを始められた方は、教会を守り、キリスト・イエスの日が来るまでにその働きを継続し、完成へと至らせてくださるのです。それと同様に、私たちの中に救いのみわざという良い働きを始められた方は、たとえ様々な苦しい戦い、困難があってもイエス・キリストの日が来るまでに、その働きを継続してくださり、やがてキリスト・イエスの日には完成へと至らせてくださるのです。なんと幸いなことでしょう。
この約束のみことばを確信し、教会の一致、信仰の一致にしっかり立って教会形成に
邁進したいものです。
祈 り
私たちの中にイエス様を信じるという良い働きを始めてくださった御霊なる神様。愛する独り子イエス様を身代わりの十字架につけるほどに私たちを愛して下さっっておられることを心より感謝します。このイエス様の愛が私たちの中に強く宿らされ、困難の中にある兄弟姉妹や教会、福音宣教の働き人のために祈り、捧げ、ある時はからだをもって奉仕する、そんな主に在る「良い働き」が少しでもできる者へと押し出してくださいますように。「良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまで」継続して私たちの内に働き、やがての日には必ずや完成に至らせてくださると確く信じて、信仰の道を歩ませてくださいますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。