2026年3月8日 説教「虐げとさばきによって…」 “By Oppression and Judgment . . .”

箇所 Text:イザヤ53章6~8節(旧p1259)、マルコ15章1〜15節(新p102)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:75、138、173、542番  招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 150篇3~6節 交読文/Line-by-line responsive reading 2番 詩2篇(Psalm 2)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
 

 「不公平だ!」「意地悪!」そう感じることがありませんか。集団の中に良心的で縛られていない人がいれば、人が暴走しないようにできるかもしれませんが、悪気ある人が手を組めば、いじめ、「虐げ」などを横柄に行えてしまいます。また、裁判所や警察、政府は被害者を守るべきです。そのために、勇敢に働く人もいます。しかし、権力ある人がむしろ手を組み、虐げに賛同する場合もありえます。不正な「さばき」でさらに惨めな状態を作ってしまいます。

 この世の中では、イエス・キリストが裁判にかけられ、十字架刑を言い渡されたことは、多くの虐げと不正なさばきの内の一つだけ、のように聞こえるかもしれません。でも、なぜ教会は「ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け」とわざわざ、使徒信条で信じることの一つとして告白するのでしょうか。これは他の虐げとさばきを終わらせるための、重大な出来事だったのです。

 【話の流れ】

  • 15章1節で、ユダヤ人の最高法院がイエス様を創造主なる神の冒涜者と決めつけて、ローマ帝国の総督(地域の知事)に「引き渡した」のです。そして昔の多くの王のように、ピラトは行政だけでなく司法の責任者でもあり、兵隊に指示できる人でした。
  • 2節【ピラトはイエスに尋ねた。「あなたはユダヤ人の王なのか。」イエスは答えられた。「あなたがそう言っています。」】ピラトの問いをイエスはかわして、まるでピラトはどう思うかと問う形で返します。
    • 9節、12節、26節でもピラトは皮肉に、イエスを「ユダヤ人の王」とまた呼びました。最大の皮肉は、イエスが事実、ユダヤ人の王だったということです。しかし、(交読文)詩篇2章の様に、世の指導者たち、ユダヤ人の最高法院もローマの総督も、意図的でなくても手を組んで主のメシア、救い主キリストを虐げ、さばきました。
  • 3節「祭司長たちは、多くのことでイエスを訴えた。」でもピラトは、15章10節にあるように、「祭司長たちがねたみからイエスを引き渡した」訴えを見抜いて、退くべき訴訟だと分かりました。
  • でも4、5節でピラトが驚いたことに、イエス様は自分を守ろうとしません。「イエスはもはや何も答えようとされなかった。それにはピラトも驚いた。
    • イザヤ53章7節(旧p1269)が預言したようにおられました。「彼は痛めつけられ、苦しんだ。 だが、口を開かない。 屠り場に引かれて行く羊のように、 毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、 彼は口を開かない。
  • ところが、まともな訴訟ではないと分かっても、ピラトは指導者たちを恐れました。正義を守るべき立場だが、彼は状況を操って、ユダヤ人の民衆に責任を転嫁しようと思います。6~8節「ところで、ピラトは祭りのたびに、人々の願う囚人一人を釈放していた。そこに、バラバという者がいて、暴動で人殺しをした暴徒たちとともに牢につながれていた。群衆が上って来て、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。
    • 「恩赦」で有罪とされた人が釈放される制度は今もあります。ピラトはそのような制度をちょうど、過ぎ越しの祭りの頃に恩赦を行うとしていました。
    • ピラトはイエスをただ自由にするのが正しいです。でも9節で、有罪かのように、恩赦の対象候補として、ユダヤ人たちに選択を求めます。「おまえたちはユダヤ人の王を釈放してほしいのか。」イエスはユダヤ人の多くには人気だったので、イエスの釈放を求めると期待しました。
  • 恐ろしいことに、11節は続けます。「祭司長たちは、むしろ、バラバを釈放してもらうように群衆を扇動した。
    • 群衆は本気で人殺しを自由にしたかったでしょうか…さらに13節で、イエスについて、「十字架につけろ」 と叫ぶとは…。正気ではない返事でした。数日前、「ホサナ!」(救ってください!)とイエスにまた神に叫んで、エルサレムへ歓迎した人も混じっていたかもしれません。
  • 14節 ピラトは民衆の意志を盾にして、指導者たちの妬みからイエスを守りながら自分の責任を逃れようとしてもだめでした。冷や汗をかきながら(?)、何とかして、民を思いとどめようとします。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」
    • でも、群衆は狂ったように、勢いを増して怒鳴ります。「十字架につけろ〈!〉」
  • 15節 ピラトは最終的に、正義より立場を選びます。
    • それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し…」人殺しのバラバを自由にしてやります。バラバは自分に何が起きたのか、呆然としたのでしょうか…。
    • イエスには、ローマの「むちで打ってから」十字架刑、見下された犯罪人が受ける処刑を言い渡しました。ローマが使ったここの「むち」は、血を流させるほどひどいものでした。イエス様は悪い裁きによって虐げられ、苦しめられました。
    • 「…十字架につけるために引き渡した。」ユダからユダヤ人の指導者へ(14章44節)、指導者たちからピラトへ(15章1節)、ピラトから処刑を行うローマ兵隊へ「引き渡した」のです。次回、ローマ兵の悪意を見ます。

【背きのゆえに、民のために】

 あの日、ひとりの人、イエス様は群衆と指導者たちとピラトの不正の犠牲となりました。メシアに関するイザヤ53章8節の成就でした。「虐げとさばきによって、彼は取り去られた。 彼の時代の者で、だれが思ったことか。 彼が私の民の背きのゆえに打たれ、 生ける者の地から絶たれたのだと。」実に民の罪のために打たれました。「民の背きのゆえに」民のために、バラバの自由のために虐げられ、十字架に引き渡されました。

 不義の結果は身体だけでなく魂の死、人間全体を創造し愛される神から正当な裁きと刑罰を受けることです。でも、今日の話の人々は一見して、さばきを免れました。責任転嫁をしようとして恐れに負けたピラト…突然に恩赦を受けて自由になったバラバ…聖書をよく知っていても悪意に満ちた指導者たち…簡単に動かされ、人殺しと一緒に暮らそうと決めた、正気でない群衆…それらの顔を注意深く省みるなら、それは私たちの顔とよく似ていますか。

 イエス様は、永遠に裁きを免れさせるために、「虐げとさばきによって、彼は取り去られた」のです。私たちのせいで「生ける者の地から絶たれた」のですが、それが終わりではありません。意味と目的あって、主イエスがそうされようと決めておられました。イエスに信頼を置いて、イエスを通して赦しと自由を求める人の背きの赦しのために、打たれて死なれました。そして復活して、生きておられます。

 私たちが不正と虐げに賛同するようにおされる際、それと闘う必要があります。特にクリスチャンは、愛をもって真理を語り続ける、光の子らしく歩める助けを聖霊様から受けています。失敗すれば、罪を告白して、悔い改める必要があります。でも、今まで神に背いて、人を虐げて、イエスをさばいた人々に賛同した後悔があっても、イエス様に信頼を置いて神に立ち返るなら、今の歩みにおいて希望があります。私たちの罪責が転嫁されて、イエスの義を転嫁していただけるからです。恩赦以上に、正しい人、神の子どもとしての立場と歓迎を受けて、安心して祈ることができます。日ごろの罪に翻弄され、狂ったかのように神と人に背く罪に葛藤しても、聖霊様の助けで変えていただける恵みをも、受けられます。

 そして将来についても、希望はあります。国々の王などの指導者たちも群衆は、後に歌う賛美のとおりに世界の王であるイエスを見上げます。今度、主イエスが審判をなさいます。イエスを拒む人には、「おののき なげき悲しむ」出来事ですが、完全で公平なさばきで虐げと不正なさばきを終わらせてくださいます。でも、「わたしのためにイエスが取り去られ、私の背きのゆえ、背きの赦しのためにに打たれた」と認める人は、「よろこび 見つつ畏む」のです(讃美歌173番)。イエス様を通して、神のきよい子として歓迎されるからです。不正な裁判を受けられた王なるイエスが正しいさばきをなさることを、楽しみに待ち侘びていますか?(黙示録1章7節)

説教について

振り返り:イエス様が正しいさばきをなさることを、楽しみに待ち侘びていますか?なぜですか?

参考箇所:マルコ14:62、黙示録1:7、19:11

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)