
2026年3月1日 説教「ペテロ証言」 “The Testimony of Peter”
箇所 Text:マルコ14章29~31・66〜72節(新p99・101)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns::67、187、249、250、540番 招詞/Call to Worship:エペソ Ephesians 3章20~21節交読文/Line-by-line responsive reading 34番 出エジプト20章 (Exodus 20 the Ten Commandments)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
(3月1日午前8:49更新)
信仰を棄ててしまわないかと恐れたことがあるかもしれません。私もあります。何か迫害やプレッシャーに屈してしまわないかと心配します。それは状況のせいではなく、最終的に私たちの心の問題です。ペテロのように、私たちの心が何を隠しているかは、痛みや脅かしの中で、出て来てしまいます。何が出るのでしょうか。
【ペテロの自信と不安】
- 最近、イエス・キリストの苦しみを予告していた預言的な旧約聖書はマルコ書の箇所と併せて朗読されています。今回はイエス様ご自身の預言がありました。「まことに、あなたに言います。まさに今夜、鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います。」(マルコ14章30節)それはさらに27節の預言、弟子たちが「つまづき」、イエスを置いて逃げ出すという予告の後でした。
- ペテロはそのどれも受け入れられず、忠誠を誓いました。
- 「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません〈!〉」(29節)
- 「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません〈!〉」(31節)
- でも、高ぶり・威張りという表・面に不安・恐れの裏がよく隠れます。ペテロも、切羽詰まって、ゲツセマネの園へイエスを捕らえに来た人に切りかかってしまいました(47節)。そして、逃げ出しました(50節)。でも、ペテロはこのままではまずいと思って、54節で「遠くからイエスの後について、大祭司の家の庭の中にまで入って行った。そして、下役たちと一緒に座って、火に当たっていた。」園で居眠ったように、焚火の温もりを求めて、恐る恐るとでもイエスの行方を見届けようとしました。いちおう良いことですが、(私たちのように?)自信と不安のを両手に持ってさまよっていました。
【ペテロの罪と後悔】
- でも屋内でイエスが尋問され迫害される間、ペテロは新しい脅かしに直面してます。66~67節【ペテロが下の中庭にいると、大祭司の召使いの女の一人がやって来た。ペテロが火に当たっているのを見かけると、彼をじっと見つめて言った。「あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね。」】イエスの仲間と分かれば、一緒に尋問されるかもしれません!
- 68節【ペテロはそれを否定して、「何を言っているのか分からない。理解できない」…】召使いそして女性なので、社会的に地位は低いが、ペテロは否定して、立ち去ろうとします。
- 69節【召使いの女はペテロを見て、そばに立っていた人たちに再び言い始めた。「この人はあの人たちの仲間です。」】 しつこい召使いは他の人にも関わってもらおうとします。
- ペテロにより多くの人の目が向くと、さらに焦ります。70節「ペテロは再び否定した。」
- でも、70節後半で、その他の人も問いに来ます。そばに立っていた人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの人たちの仲間だ。ガリラヤ人だから。」
- ガリラヤの地方はユダヤ人が多く住んでいましたが、首都エルサレムから離れたところで田舎者の所という評判がありました。方言・なまりもあったでしょう。イスカリオテのユダ以外、イエス様の弟子たちはガリラヤ出身だったそうです。「ことばのなまりで分かる」とマタイ26章73節で、ペテロが突っ込まれたとより詳細に書かれています。
- 71節【するとペテロは、噓ならのろわれてもよいと誓い始め、「私は、あなたがたが話しているその人を知らない」と言った。】のろいと誓いは聖書で比較的よく使われる、究極の証言でした。人の攻撃が創造主なる神ののろいより怖いと本当に思ったはずはないが、数時間前イエスに言った威張りの言葉を棄てて、恐らくパニックしてイエスを知らないとのろいをかけて、誓ってしまいました。
- 心から出て来たことは、イエスより自分を愛する偽善でした。三度も、何人かに、嘘をついてしまいました。
- 72節「するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた。…」イエス様の預言(30節)の成就でした。
- 72節続き【ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた。】30節の預言の成就です。ペテロは自分の恥ずべき罪に悔しさと悲しみに打たれました。
- 「心の中ではイエスを知っているけど、免れるために違うことを言った」という言い訳ができないと分かりました。いざとなって、心に前からあった自己防衛、自己中心の思いが脅威に対して不安と恐れになり、偽りの証言として出ました。
- 私たちも表向きに善い人のつもりも、ぼそっと言って人を傷つけたり、約束を守らなかったりする場合も、「状況が大変でそうしてしまったけど私は良い人だ」と言い訳できません。プレッシャーや環境は私たちの過ちの要因また引き金であっても、私たちの過ちのせいではありません。端的に言えば、状況はすでにあった心の本音を引き出しただけです。
- イエス様はマルコ7章20~23節(新p80)ですでに言われました。「人から出て来るもの、それが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心の中から、悪い考えが出て来ます。淫らな行い、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪行、欺き、好色、ねたみ、ののしり、高慢、愚かさで、これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。」ペテロは「欺き」で自分を守ろうとしました。それは「悪」、聖書で定義される神の教えに対する不従順、「罪」でした。
- 私たちも日々、人生で証言しています。イエスを知っているか知らないか。快楽や身を守るために、「嘘」をつきますか。主の聖晩餐式を受ける前に、クリスチャンは吟味するように教えられます。心から、最近何が出ましたか。十戒をどのように破りましたか。
【ペテロが味わった良い知らせ】
- 他の福音書から分かるように、イエス様を裏切ってしまったイスカリオテのユダは悔しさを抱き、自分で責任を全うしよう、始末しようとして、自殺を選んでしまいました。でもペテロは、悔い改めた時に神の赦しを受けました。後に、教会の指導者として遣わされました。
- 私たちも神に対して反抗して罪を犯したなら、ペテロの様に涙するだけでなく、神様に立ち返り、イエス様に信頼を置きなおすことが大切です。そうすれば、確実な赦しがあります。
- ペテロは後に、自分を含めて「私たち」クリスチャンを、信仰と悔い改めへ招きました。第一ペテロ2章22・24節(新p468)「キリストは罪を犯したことがなく、 その口には欺きもなかった。…自ら十字架の上で、 私たちの罪をその身に負われた。 それは、私たちが罪を離れ、 義のために生きるため。 その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」
- イエス様の口に欺きがありませんでした。ペテロと違う、私たちと違う、完全にきよい歩みをなさいました。そのみことばは先週聞いたとおり、イエスこそ神の子、救い主だという真実な証言でした。※⑴
- 心の罪を認めて、イエスに自分を委ねるペテロ、あなた、また私の罪を、イエス様が「その身に負われた」。私たちを霊的に「癒やされた。」
- 私たちが罪に留まって本当でない幸せに縛られるのではなく、「罪を離れ」私たちを平安と喜びに導く「義のために生きるため」でした。
- すでにイエス様がペテロのような、私たちのような人の代表として義によって生きて、罪のために死なれました。そう信じて、悔い改めて、主の救いの恵みをいただきませんか。
説教について
振り返り:あなたの心から何が出て来ますか。罪を赦され、聖霊の助けを受けるためにイエスがしたことを感謝して、信じて、悔い改めますか。
参考箇所:マルコ7:20-23、第一ペテロ2:22-24、エレミヤ17:5-10
※⑴ マルコの書き方ですでに「サンドイッチ型」作文方法に言及したことがあります。ペテロの偽りの証言(マルコ14:66-72)は、イエスの敵の偽りの証言(14:55-59)と一緒に、イエスの真実な証言(14:61-62)を挟みます。ペテロの罪を扱える唯一のことは、イエス様が証言通りに救い主として治めておられる現実です。