2026年2月22日 説教「イエス様の真実な証言」 “The True Testimony of Jesus”

箇所 Text:詩篇 Psalm 27章12~14節、マルコ Mark 14章53〜65節  聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:19、85、162、539番 招詞/Call to Worship:黙示録 Revelation 1章5~6節  交読文/Line-by-line responsive reading 33番 詩146篇 (Psalm 146)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
 

  イエス・キリストはだれですか。人によって、答えは色々出るでしょう。そしてクリスチャンの回答をしても、私たちの生き方はその方に本当に服従する態度でしょうか…。今日の箇所で、イエス様ご本人が究極の預言者として証言して、猛烈な反発の応答を受けられました。私たちは、そこにいた気持ちになって、自分の応答を考えてみましょう。

 【人間の偽りの証言】

  • 53節「祭司長たち、長老たち、律法学者たちがみな集まって来た」のです。これが非公式な尋問か正式な裁判かについてはっきりしていませんが、イエス様の敵は揃って、とにかく早く、イエス様を排除しようとしていました。
  • 55~56節「さて、祭司長たちと最高法院全体は、イエスを死刑にするため、彼に不利な証言を得ようとしたが、何も見つからなかった。多くの者たちがイエスに不利な偽証をしたが、
    • 詩篇27篇はダビデによって書かれましたが、ダビデだけでなく、特にイエス様が経験し成就された祈りです。詩篇27篇12節「私を敵の意のままにさせないでください。 偽りの証人どもが私に向かい立ち 暴言を吐いているのです。
    • 旧約聖書は死刑に値するような犯罪の裁判には、二人以上の目撃者・証人を条件としました(申命記17章6節など)。神殿とイスラエルの半自治的な議会として最高法院の構成員はだれよりもよく知っていたはずです。ところが、彼らは正義を歪めて、偽りの証言を出す他、イエス様に訴えることができませませんでした。
    • 二人以上が作り話を語ると56節後半「それらの証言が一致しなかったのである。」58節で言われた発言の証しは一見現実のように聞こえても、せいぜいイエス様のことば(ヨハネ2章19節)を曲げたものでした。※⑴ そしてたとえ58節の発言も、結局他の証言と一致しませんでした(59節)。
  • 60~61節前半 「そこで、大祭司が立ち上がり、真ん中に進み出て、イエスに尋ねた。「何も答えないのか。この人たちがおまえに不利な証言をしているが、どういうことか。」しかし、イエスは黙ったまま、何もお答えにならなかった。」
    • イエス様はご自分を守ろうとせず、詩篇27篇12節の続きを全うされました。「待ち望め 【主】を。 雄々しくあれ。心を強くせよ。 待ち望め 【主】を」と、詩篇27篇14節のとおりに信仰を守り続けました。

【イエス様の真実な証言】

  • 61節後半「大祭司は再びイエスに尋ねた。『おまえは、ほむべき方の子キリストなのか。』」逆効果のある証言を諦めて、大祭司は、イエスが自分を神様(ほむべき方)と同等だと言って、冒涜者と見えるように切り札を出しました。と言っても、イエスがいいえと言えば、無意味です。
  • 62節でもイエス様はやっと、私たちにも答えなければいけない質問に憚らずに答えられました。
    • まず「わたしが、それです。」直訳すると、「わたしは、ある」つまり聖書で神様が特別に用いられる呼び名の語源を用いられました。」
    • さらに、当時のユダヤ人たちが大切にしていた希望の預言であるダニエル書7章に現れる救世主、メシアの箇所をご自分が成就すると言われます。「あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」ダニエル7章13~14節からです。「見よ、人の子のような方が  天の雲とともに来られた。…その主権は永遠の主権で、 過ぎ去ることがなく、 その国は滅びることがない。
    • イエス様はこの引用をもって、ご自分は神様と同等である、とはっきりと証言されました。

【イエス様の証言への応答】

  • 63節から65節までは、イエス様の証言への応答です。大祭司は悲しみと憤りを表すために、63節で「自分の衣を引き裂いて」、イエスのことばを冒涜と言い張り、判決を求めました。
  • 64節「すると彼らは全員で、イエスは死に値すると決めた。」もし嘘だったら、旧約聖書の律法によると確かに罪でした。しかしクリスチャンは、イエス言われたとおりの方だと認めます。
  • 65節は見勝手な、決して法的ではない暴力です。
    • 尊敬された議員たちの「ある者たち」は四つの行為をし出しました。①侮辱を表すために「唾をかけ」…さらに、②イエスが預言できないかのように、目を覆ってから「拳で殴り」、「当ててみろ」と預言できないかのようにからかいました。
    • そして議員ど同じ軽蔑で、「下役たちはイエスを平手で打った。
    • この箇所は以前の箇所同様、旧約聖書の預言や、旧約聖書の預言者が受けた仕打ちと同じです(第一列王記22章24節参照)。イザヤ50章6節「…侮辱されても、唾をかけられても、 顔を隠さなかった。」イエス様はモーセが預言した、究極の預言者です(申命記18章15節)。

【主イエスの証言の成就】

  • 今回のエピソードで嘘をついた証人、指導者たち、下役たちは普段、一見して立派な人々、真面目な人々だったはずです。でも、彼らは自分の都合に合う、本当の主ではない「主」を望んでいました。
    • 彼らは政治的救いをもたらすただの人を求めていました。私たちならそうでなくても、日常的に、自分の心の闇である「罪」からというより、恥からの?疲れからの?救いを欲しがるかもしれません。
    • イエスの証言を受け入れたら、自分の都合に合わない方に、日常生活で従う必要があります。「人の子」は、全ての人の主であるからです。
    • 当時の最高法院と下役たちは自己中心な自尊心(プライド)を守るために、イエスを嘘つき、冒涜者として片付けようとしました。必死に、言葉と行動で偽りの証言を貫いてしまいました。突き詰めれば、私たちも同じように、イエスでなく自分は主かのように生きたいのではないでしょうか…。裁判官の席を盗んで、イエス様を軽んじてしまいがちです。「そこまで従わなくても良い」「でも、これに関しては自分に頼れる」と言う態度はそうです。
  • でも、イエス様の証言は、真実です。その正体は「わたしはある」、主です。別の時になされた証言(マルコ8章31節)どおり、祭司長たちの手で十字架の死を通ってくださいました。しかし復活され天に昇られ、また近いうちに「…天の雲とともに来られ」ます。「…その主権は永遠の主権」で、ご自分を裁判にかけた人々をも私たちをも、全人類を審判なさいます。そして「…その国は滅びることがない」(ダニエル7章13~14節)人を神の国に入れてくださいます。
  • では、私たちは今日、そして最後の審判のときに、裁判官なる神様、イエス様に何と言えるでしょうか。十分に、つまり完全に、従っていない私たちは、神の国に入る資格を得ることはできません。でも、主イエスの恵みによって、信じて、受けることはできます。
    • 招詞、黙示録1章5~6節が教えます。「…地の王たちの支配者であるイエス・キリストから恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方」です。イエスは愛して、イエスを拒むような罪の刑罰をも十字架で代わりに受けられました。イエス様に信頼を置いて従う者はイエスの国民、また祭司です。最後の裁判の日では、イエスが証人となって、弁護して、認め、歓迎します。ですから、イエスを日々、認めて、信頼を置いていきましょう。

説教について

振り返り:イエス様の正体を受け入れて、具体的にどの罪を悔い改め、何について信頼を置こうと思いますか。

参考箇所:申命記17:6・18:15、イザヤ53:7-8・60:6、マルコ8:31、黙示録1:5-6

※⑴ ヨハネ2章19節でイエス様は他の人がご自分を滅ぼしても復活する、と暗示する預言でした。

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)