
2026年1月25日 説教「イエス様の血の契約」 “Jesus’ Blood of the Covenant”
箇所 Text:マルコの福音書 Mark 14章22~25節 聖書 新改訳2017©2017新日{聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:4、136、271B、540番 招詞/Call to Worship:ヘブル Hebrews 10章22~23節 交読文/Line-by-line responsive reading 19番 詩84篇(Psalm 84)
English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)
キリスト教の教会の初めの頃から、聖餐式、主の晩餐という儀式が記録されています。教会で洗礼と並んで、「礼典」と言われるものです。クリスチャンでなくても、礼拝に出て、一緒に歌ったり宣教(宣教)を聞いたりすることはできますが、主の晩餐については、信仰告白して、かつ洗礼を受けた方などと限定はあります。
毎月(あるいは毎週)行われる儀式ですが、聖餐式の意味がよく分からないことがあります。また、意味を知っていても、心であまり実感せずにただ参加することもありえます。今日、聖書から、イエス様御自身から、その意味を確認します。これは福音を表現して、五感を使って体験できるものであり、「見える説教」と呼ばれることもありますので、主の晩餐の意味を知り、初めて、あるいは新たに、聖書の中心のメッセージである律法と福音に耳を傾けましょう。
【主の晩餐の意味】
- 22節「さて、一同が食事をしているとき…」主の晩餐の時期は大切です。主の晩餐は過ぎ越しの祭りの出来事と重なる、救いの歴史に最重要の出来事を指します。
- 現在「最後の晩餐」と呼ばれる、イスラエルの重大な行事、過ぎ越しの祭りの食事の終わりに、初めての主の晩餐が持たれました(12節)。イエス様は意図的にそのようにされました。先週の繰り返しですが、出エジプト記に記録されているとおりに創造主なる神様がイスラエルの民を奴隷生活から救い出すために、エジプト住民の長男を処刑する、という恐ろしいさばきを下されました。しかし、子羊を屠り、その血を家の入口周りに塗った人々は、神様の裁きの天使は過ぎ超えて、処刑をされませんでした。そして次の日、自由になりました。
- イエス様は同じような、もっと偉大な救いの出来事は主の晩餐を定めてくださいました。主の晩餐はそれ同様、いや、それ以上の出来事を意味するのでした。
- 22~23節「…イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしのからだです。』」主の晩餐は、イエス様が意味あってからだの死を通られたことを意味します。
- イエス様の表現は、御自身が死ぬことをご存知でした。からだはパンのように割かれると暗示されました。だから今でも、主の聖晩餐でパン(ウェハ)を頂きます。キリストのからだは殴られ、ギザギザの石や鉄の鞭で傷付けられ、釘で十字架に掛けられました。
- ペテロの手紙第一3章18節(新p469・今月の「みことば漬け」箇所)「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。」
- 23~24節「また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、彼らにお与えになった。彼らはみなその杯から飲んだ。イエスは彼らに言われた。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。」主の晩餐は、イエス様が罪びとのために神と契約を結ばれ、私たちを「神に導く」犠牲を払ってくださったこと(第一ペテロ3章18節)を意味します。
- 「感謝の祈りをささげた後…」過ぎ越しの祭りでもその決まりはありました。主の晩餐が教えるもう一つのことは、感謝です。過ぎ越しの祭りと同じく、すでに神様がなさった救いを記念します。イエス様が十字架に掛けられたのは自分の罪ですから、悔い改めるべき罪を神に告白する時間でもあります。しかし、感謝。感謝する理由もここに、大いにあります。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。」(24節)
- 「契約の血」は古代の中近東では不思議な抽象概念ではありませんでした。強い王と、それに忠誠を誓う王の契約を思い起こさせました。彼らは動物を屠り真っ二つに切り裂き、厳かに誓い合いました。約束を破れば、弱い立場の王はその儀式の動物のように割かれても良いとしました。(創世記15章参照)動物の死は契約の確かさの象徴・証印となりました。
- エジプトでの最初の過ぎ越しの出来事前に子羊が屠られました。しかし、その結果、自由になったイスラエルはシナイ山で主なる神と出会い、神との絆を確かなものにして、契約によって誓いました。1)モーセは、神との契約の条件を確認しました。出エジプト24章3節「モーセは来て、【主】のすべてのことばと、すべての定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えた。『【主】の言われたことはすべて行います。』」これも古代の契約に似ています。出エジプト24章5節によると、次に動物を屠るいけにえをささげました。モーセはその血を取っておいて、「民に振りかけ、 そして言った。『見よ。これは、これらすべてのことばに基づいて、【主】があなたがたと結ばれる契約の血である。 』」(8節)。つまり、「契約の血」で契約を締結させ、保証しました。
- 十字架で血を注がれ、神様と別の契約を結ばれることを、イエス様はご存知でした。しかし、旧約聖書の「旧約」つまり「旧い契約」と内容は飛躍的に、より素晴らしいものとなりました。(1)授けた人、そしてそれぞれに伴う(2)ささげものの回数(ヘブル9章25~28節)。そして(3)条件。モーセの契約では神様の律法を守ったうえで血を振りかけられました。イエス様は弟子たちに従うことを求められましたが、主の晩餐ではただ、受け取り、信じていただくことを求められます。
- ちなみに、パンとぶどう酒の物体の本質がキリストのからだと血に変わるのではなく、霊的にキリストのからだと血として用いられ、信者の魂を養うという意味です。
- 25節「…神の国で新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは、もはや決してありません。」主の晩餐は、希望と期待に満ちています。
- 全地の再創造で「神の国」は完成されます。(今でも神の国が始まっていますが、その完成はやがてイエス・キリストの再びのご到来=「再臨」で来ます。)
- イエス様はそれまで、わざわざ待ってくださっています。イエス・キリストは再臨を期待しておられます。信じるあなたとの宴会を楽しみにしておられます。
【適用】
自分は善い人で神様に受け入れられるはずだと自負する、いわゆる強い人には、主の晩餐はチンプンカンプンで気持ち悪い儀式に見えるかもしれません。しかし、自分に何の正しさ・義、成功(功)、力がないと認めて、イエス様を通して(信じて)神様に近づく者には、それは神様に赦され、歓迎され、助けられる保証です。
1)主の晩餐は過ぎ越しの祭りの出来事と重なる、救いの歴史に最重要の出来事を指します。
2)主の晩餐は、イエス様が意味あってからだの死を通られたことを意味します。
3)主の晩餐は、イエス様が罪びとのために神と契約を結ばれ、私たちを「神に導く」犠牲を払ってくださったことを意味します。
4)主の晩餐は、新しい天と地で永遠に神を喜び楽しむ希望と期待に満ちています。
あなたは信じますか?イエス様の契約の血にのみ希望あると信じて、イエス様を通してみもとに行きましょう(讃美歌271番)。
ヘブル10章19・22節「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。…心に血が振りかけられて、…全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。」
説教について
振り返り:イエス様が主の晩餐で示されたとおりに、あなたはイエス・キリストに頼って神様に近づこうとしていますか。
参考箇所:創世記15:7-18、第一ペテロ3:18、ヘブル9:25-28・10:19-22。