
2026年元旦礼拝 New Year’s Service, 2026
2026年1月1日午前11時より元旦礼拝を持ちます。(日曜日の主日礼拝の開始時間10時と異なります。ご注意ください。)
旧年を振り返り、創造主なる神様と共に新年に歩み出す機会です。クリスチャン信者でなくても参加できます。
New Year’s Service from 11 am. You do not have to be a Christian to join.
前 奏
招 詞 ヨハネ14章1~3節(新p213)
* 賛 美 讃美歌457番「楽しき声を」
開会祈祷
*主の祈り
* 賛 美 讃美歌194番「さかえに満ちたる」
聖書朗読 ペテロの手紙第一 I Peter 1章1~2節(新p465)
説 教 「故郷を想う人たち」
* 賛 美 讃美歌488番「遥かに仰ぎ見る」
牧会祈祷
* 使徒信条
* 頌 栄 讃美歌541番「父、み子、み霊の」
* 祝 祷
* 後 奏
礼拝後、報告
説教「故郷を想う人たち」“Those Yearning for Home”
箇所 Text:ペテロの手紙第一 1 Peter 1章1~2節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:、488、540番 招詞/Call to Worship:章~節 交読文/Line-by-line responsive reading
ペテロの手紙第一1章1~2節 1イエス・キリストの使徒ペテロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアに散って寄留している選ばれた人たち、すなわち、 2父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ。恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。
日本のお正月と言えば、初詣で、おせち料理、大掃除、長期休暇など、沢山のことが思い浮かびます。特に、故郷に帰りお正月を過ごそうとする習慣を思います。実家、故郷で家族と時間を過ごすために、都会から地方へ、大混雑の大移動があります。当然、家庭の不幸で楽しくない、帰らないという方もおられます。しかし、多くの日本人は大切な場所で大切な人と会おうと、故郷を想って帰ります。
また、故郷に暫く帰ることができない人の辛さをも覚えます。今日の箇所は、クリスチャンは皆、最も大切な故郷(まだ見たこともない故郷)に暫く帰らないことを思い起こさせます。
1節「イエス・キリストの使徒ペテロから…」イエス・キリストとその復活について証言して、教会の土台作りに任命された使徒のペテロはこの手紙の冒頭で、どんな意識をもって手紙を読んでほしいかを書きます。現代のトルコの⻄部になった地域(「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア」)のキリスト者たちを「散って寄留している選ばれた人たち」と呼びました。
【散って寄留している】
1章1節で「散って」いということは、諸事情によって、自分の国から出て、別の国に住む人を指すことばでした。現代でも英語は「ディアスポラ」としてそのギリシャ語の言葉を、逃亡、出稼ぎなど色々な理由で母国から離れて暮らす人を指します。 知らない言葉や文化を習い、葛藤しながらも、頑張る人々です。
「寄留」の捉え方は状況によって、肯定的だったり否定的だったりします。仕事等の関係で映る場合はあります。でも、帰ろうと思えば故郷に帰られます。しかし、逃亡を余儀なくされる難民、また拉致や人身売買で取り去られる方もいます。家族の元に、故郷に帰られません。
ペテロの手紙を受けた人々の意識はどちらだったか知りません。心地よく各地に住んでいたかもしれません。けれども、ペテロの手紙は、世の中の難しい状況でも生きる課題と希望を教えます。ペテロはここで手紙の初めに「あなたは故郷にいませんよ。本当の故郷にいるべき寄留者だと意識して、居心地悪さを覚悟しなさい」と、言っているようです。
【永遠の故郷】
全ての人はいつか、この世を去ります。そして後にイエス・キリストが再臨なさり、全人類を復活させられます。それから全ての人は神様より審判を受けます。心で何を愛し、誰を愛し、人生で何を求めて行ったかで裁かれます。その審判結果をもとに、永遠の「故郷」のどちらかに入ります。そういう意味で、だれでも旅をしています。
二つの永遠の故郷があると申しました。場所の違い以上に、中心に誰が居るかで異なります。神を拒絶しイエス・キリストを拒絶した人は、自分中心の所(「燃える池」「地獄」)で、悔やみながらも神を憎み続けます。神を慕い、イエス・キリストと活きる関係を持った人は、神中心の「新しい天と地」で、慰めを受け、喜びをもって神様と共にいます。(黙示録20章11節~21章8節は裁きとその二つの場所を語ります。)永遠に住みたいと思う「故郷」はどこでしょうか。
【永遠の故郷の備えは今!】
私たちは日々、今、永遠の故郷に行く備えをしています。良い備えをしていますか。人生と未来の永遠は、神を愛する方がそうしない方より、言葉に表せないほどに良いことです。
今年の人生を楽に過ごしたいかもしれません。けれども、私たちは故郷にまだ着いていません。そしてイエス・キリストを信じるなら、この世は悪魔の領土に所々、教会という「神の国の拠点」があるぐらいです。社会や家庭では、永遠の故郷を無視し、神様を蔑ろにする人は多くいます。クリスチャンなら、心地よいはずがありません。
【永遠の故郷への備え方】
天の故郷はに入る者は「帰化」して、この生涯で天の故郷に入る備えをします。慣れない「言葉」と「文化」を習得しないといけません。目で見えない永遠の故郷を想って、求めるのは自然ではなく、超自然の変化を経験するのです。
自然に、また楽に人生を過ごすのが目的であれば、私たちは結局自分中心に生きて、世の流れに従うことになります。(あるいは、世と関わりを絶ってきよくあろとしても、世の中の悲しみに目と耳を閉ざす別の自己中心に陥ります。)
その代わり、天の言葉である聖書と天の文化を教える教会の交わりに浸ります。世で神の子として葛藤しながら神の愛によって生きます。こうして、永遠の故郷に良い備えはできます。悩みと涙をしながらも、故郷を想って希望を持つように、ペテロが励まします。
【神様の恵みによる寄留】
私たちは天の故郷に本当にたどり着く力を持っていません。だから、三位一体なる神の恵みに頼って寄留するのです。神様が恵みによって寄留の歩みを整えて、現実としてくださいました。1節の最後と2節の前半を見ましょう。
一、クリスチャンは「父なる神の予知のままに…選ばれた人たち」です。聖書によれば、神は出来事をただ予見するだけでなく、確実になるように計画し、実現させます。信仰が弱いと悔やむクリスチャン、罪悪感に打ちのめされそうなクリスチャンでも、神様の恵み深い選びを信じてください。
二、「御霊による聖別によって」聖霊様なる神がクリスチャンを、聖別、すなわち神様にとって特別で聖いもの、としてくださる力を発揮されます。私たちは自分の努力、気力に拠らず、聖霊に頼って、聖別された寄留、すなわち聖書の教えを信じて歩む生活をできます。
三、「イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受け」たクリスチャンは、従うためにまず、罪の赦しとを無償で、信仰によって受けるのです。そのために「血の注ぎかけ」が必要でした。古代イスラエルの⺠も地上で神様に近づくために、雄牛のいけにえの血を「かけ」られて、神に従う、聖なる、選ばれた⺠とされました(出エジプト記19章1~6節、24章3~8節)。あなたも、罪の赦しのためにイエスの十字架での死に希望を置くと、神に近づいても良い、完全な義の資格を持つ民です。新しい天と地に入る備えをしています。
【新年にも恵み】
新年にも神様が以上のような恵みを与え続け、私たちの旅を確かな希望で満たしてくださいますように。聖書と教会と日常生活で天を想うことにより、永遠の故郷の前味を楽しめますように。
第一ペテロ1章 2 節終わり「恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。」