2025年12月28日 説教「祈り、祈り、祈り」 “Prayer, Prayer, Prayer”

箇所     Text:エペソ人への手紙  Ephesians 6章18~20節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:67、249、354、540番 招詞/Call to Worship:詩篇113章1~4節 交読文/Line-by-line responsive reading 10番 詩32篇 (Psalm 32)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)

 今年が幕を閉じようとする今頃、教会員や客員に、来年の霊的な目標を尋ねるアンケートを出しています。目標を立てる際、今までを振り返ることもとても大切です。そして私自身が来年の目標を考えるとき、今年、神様が祝福してくださったことでもあり、私がよく失敗したことは、祈りです。個人として、家族のリーダーとして、牧会者として十分に祈ってきたとは思いません。しかしそもそも、祈りの力は私たちにありません。神様にある力であるから、するべき律法として祈りを見るより、神様がなしてくださる恵みの福音の一部として、一緒に祈りについて、考えていただきたいです。

 そもそも、祈りの定義とは…瞑想や、曖昧な「力」や「運」への願い事は聖書が求める祈りから程遠いものです。祈りは、真の活ける、創造主なる神様との対話の半分です。神様の語りかけは聖書で私たちへ来て、人間の応答は祈りが中心です。

 ウェストミンスター小教理問答は良くまとめています。「祈りとは、神の御心にかなうことを求めて、キリストの御名により、わたしたちの罪の告白と、神の憐れみへの心からの感謝と共に、わたしたちの願いを神にささげることです。」※⑴ 賛美と感謝、罪の告白もありますが、今日の聖書箇所を見て、特によく祈る願い事を学びましょう。(とりなしの祈りとも言います。)

  • 【霊的戦いと祈り】まず使徒パウロはエペソ人への手紙の終わりの方で、悪魔の策略に立ちはだかるように、霊的な武具を取るように激励していました。6章10~17節までです。13、14節で「対抗」と「堅く立」つことを3回も言い、キリストの教会が立ち上がる必要性を教えました。しかし18~20節(原文)に3回も、祈るように言われます。
    • 祈り、祈り、祈り。堅く立つために、ひざまずきます。
    • 私もですが、人はよく、問題や課題に追われて、急き立てられて、慌てます。行動ばかり考えます。行動は必要、悪魔の脅かしや誘惑に立ちはだかることは必要です。しかし、全て祈ってする必要があります。
  • 【祈りの特徴】祈りの特徴(18節)、祈られる人(18~20節)、願い事(19~20節)があります。まず、祈り方、祈りの特徴です。
    • 「全て」を要します!18節に四回使われます。「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも…すべての聖徒のために、忍耐の限り」祈りは中途半端では勿体ないのです。この熱心で私は失敗します。
      • 真剣に神様と向き合って祈りに集中できる様に、断食も可能です(マタイ6章16節)。
      18節「御霊によって祈りなさい。」教会は聖霊様によって、頼って、祈ります。
      • 聖霊様が教会の愛ある一致を生まれさせます(4章3節)。聖霊様がクリスチャンの内に住まわれる(1章13・3章17節)ので、「聖霊を悲しませてはいけません」と言われました(4章30節)。他のものではなく、聖霊様に満たされて従うように(5章18節)。特殊な体験ではありません。御霊によって祈ることは単純に、聖霊様に頼って祈ることです。聖霊様が助けられると信じて意識することは大切です。※⑵
      そのために、目を覚ましていて…」祈りは生温くすると、途絶えてしまいます。居眠りのような、呑気なあるいは諦め気味の祈りをしないように、私たちは聖書に養われてその刺激を受ける必要があります。そして、意識して祈ります。これは長く祈ることです。
    • 「…忍耐の限りを尽くして祈りなさい
  • 【祈られる人】誰のために祈るのか。
    • 18節で「すべての聖徒のために」祈ります。「聖徒」は、イエスを信じる人のことです(1章2節)。他の箇所は、イエスを信じない人のためにも祈ることを教えますが、エペソ書全体は教会が神様の働きの中心にあると教えて来ました。まず教会は聖徒たちのために祈って、教会が愛の内に成長することを求める使命を受けています。それは当然、新しい人も加えられることを意味します。
    • 19~20節で「また、私のためにも」祈ってほしいとパウロは言います。18節の様な祈り方で、熱心に、です。偉い先生と思わないで、パウロやパウロのような牧会者のために、どうぞ祈ってください。牧師にも祈祷課題はあります。
  • 【祈る願い事】パウロは、何のために祈るかにも触れます。
    • 何のためか。パウロは個人的な祈りの課題を知らせます。19節「私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように」。(20節「語るべきことを大胆に語れるように)は同様。」誰にでも当てはまることです。口を開く際、本当に神様について大胆に語る機会はあります。「聖書は…」と言えない環境でも、自分について語る際、救い主から受ける平安や喜びに触れる機会があります。
      • これは特にパウロのような牧会者、宣教者に当てはまります。牧師など、教える人の為にお祈りください。パウロでさえ、2回も大胆さを願うように求めるほど、恐れることがありました。
    • 20節でパウロは当時の人に驚かれることを言います。「私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。」今でもそうでしょうが古代でも、王の使節を悪く扱うことは大きな恥、政治的な罪でした。パウロは、そう見えないが、王の王なるイエス・キリストの使節として語る「務めを果たしています」と言いますが、なんと、侮辱され「鎖につながれながら」語ります。クリスチャンがその証しのためにどういう目に遭っても、イエス・キリストを代表する特権を持っています。その中、軽蔑されても、大胆に語る使命を果たせるように祈るのは、大切なことです。
    • 他にも多くの祈りの課題はありますが、パウロは宣教者として、昔また今のクリスチャンに、祈るべきことを教えました。

【課題】私たちの祈りは、2025年でどうだったでしょうか。2026年にどう祈れば良いのでしょうか。色々な可能性はあります。もっと早く起きて祈ることに挑戦すると良いかもしれません。他の人の具体的な祈りの課題を書き留めて、忘れないで「どんなときにも」祈ると良いかもしれません。既存の祈祷会、または別の時間を取って人と一緒に祈ることは、刺激になるでしょう。あなたは何を目指すでしょうか。(アンケートか個人的に、ぜひ教えてください。)

 でも…私たちの祈りは不完全です。熱心でなく、自己中心になり諦めたり、祈らないことを選んだりするでしょう。だから毎年祈りは私の課題や抱負に上がります。私たちの祈りそのものが人を救いません。私たちをも救いません。

【福音】しかし、三位一体の神様が祈りを私たちの内に起こされ、それを用いて私たちを変えて、神様御自身との関係を深めてくださいます。

(1)【父】なる神が祈りを求め、歓迎されます。

(2)【御子】イエス・キリストは、祈りを教えてくださっただけでなく、主の祈りの祝福を求めることができるように、罪ある人に祈る資格である神の義を、転嫁してくださいます。間に立って、とりなしておられます。ヘブル人への手紙7章24~26節(新p445)「したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。 イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、毎日いけにえを献げる必要はありません。イエスは自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。」完全な主イエス様が不完全な人のために、御自身を献げてくださいました。神様に近づけるように(第一ペテロ3章18節)。皆様、信じてください。

(3)そして【御霊】によって祈るべきですが、祈れないことまで御霊がご存知で支えておられるとローマ8章26節は教えます。私たちは神様に聖霊様の助けを祈り求めることはできます。

 父なる神様の歓迎、イエス様のとりなしと義、そして聖霊様の助けを信じて、祈り、祈り、祈りましょう。

説教について 

振り返り:祈るのが難しいのはなぜですか。神様の助けを信じて、祈りを深める挑戦をしたいですか。

参照聖句:ヘブル7:24-27、ローマ8:26

※⑴ 問い98、日本キリスト改革派教会公認訳(2023年)、40ページ。
※⑵ S. M. Baugh, Ephesians, Evangelical Exegetical Commentary (Bellingham, WA: Lexham Academic, 2016), 558.

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)