
2025年クリスマス・イヴ燭火(キャンドル)礼拝 Christmas Eve Service 「遠くから」 ”From Afar”
2025年12月24日(火)の午後7:00に蝋燭(ろうそく)を灯して、クリスマスの讃美歌を歌い、クリスマスの由来を覚えます(安全のため、お集りくださる方に電気キャンドルをお貸しします)。We hold electric candles for safety reasons but still celebrate Jesus, the Light of the World, from 7:00 pm Christmas Eve. Welcome!
イエス様がお生まれになったことを共に祝いましょう!クリスチャンでなくても、ご自由にお越しください。聖書のメッセージ原稿は下にあります。Scroll down for the manuscript of the message.
式順 Program (Readings in English for the service)
会衆着席 Please be seated
前 奏
朗 読 民数記 Numbers 24:17 <ヤコブの希望の星>
ミカ Micah 5:2 <ベツレヘムから来る王>
讃 美 讃美歌94番「久しく待ちにし」1・2節
朗 読 ルカLuke 1:26~38 <マリアへのみ告げ>
讃 美 讃美歌94番「久しく待ちにし」3・4節
朗 読 ルカLuke 2:1~7 <旅とお誕生>
讃 美 讃美歌109番「きよしこの夜」
朗 読 ルカLuke 2:8~14 <羊飼いへのお知らせ>
讃 美 讃美歌106番「あら野の果てに」1~3節
ろうそく点火、全員のランプ点火 Light candles
讃 美 讃美歌103番「牧人ひつじを」1・2節
朗 読 マタイ Matthew 2:1~12
お 話 「遠くから」
讃 美 讃美歌103番「牧人ひつじを」3・4節
祈 り
讃 美 讃美歌98番「あめにはさかえ」1節
祝 祷 第二コリント 2nd Corinthians 13:13
後 奏
ろうそく消火、ランプ消灯 Put out candles
お話 説教「遠くから」 “From Afar”
箇所 Text:マタイ Matthew 2:1~12 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア
イエスの誕生から直ぐのことか、聖書ははっきり言いません。もしかしたら何か月後だったかもしれません。とにかく、イエス様のお誕生に続く出来事です。
1~2節 「イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」
博士たちと彼らが見た天体について、断言できない事はたくさんあります。彼らは天文学者でした。星で占いもしていたかははっきり書かれていません。この博士たちは何人だったかも、民族も聖書に書かれていませんが、ユダヤ人と旧約聖書の預言から何か影響を受けていたと考えられます。
東の方はどこか…おそらく、ペルシア辺り、現代のイラン辺り。昔からそこにイスラエルの人が捕虜として散り散りになり、住み着いていました。彼らがなぜ「ユダヤ人の王」の誕生が起きたと突き止めたか、色々な説があります。少なくとも、旧約聖書の預言を知っていたでしょう。ユダヤ人に特別な王が生まれる約束を信じて、特定の星で時が来たと信じました。
「星」が惑星か星か、これについても色々興味深い推測はありますが、分かりません。
注意すべきことは、彼らが東の方、別の国から遥々来て、ユダヤ人を驚かせたことです。ユダヤ人たちは創造主の約束された王の到来に気づいていませんでした。
3節「これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。」やがて、聖書学者たちから、ユダヤ人でなかったヘロデ王はエルサレムより数キロメートル南に位置するベツレヘムが約束された王の出身となる預言を知りました(4~6節)。
自分の王権が脅かされると恐れたヘロデは博士たちに情報共有を求めてから、8節で「彼らをベツレヘムに送り出した」のです。
博士たちは星が確かにベツレヘムのある場所に留まるように見えるのを見ました。そして10節「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」直訳で「非常に大きな喜びで喜んだ」。来る価値があった!聖書の約束は確かだった!まだ家に入り「幼子」イエスにお目にかかる前でも、そういう大喜びに満たされました。
11節 前半「それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。」「幼子」を見ては、「礼拝した」のです。ただの乳幼児ではない方だと認めました。11節後半「そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」高額な費用で遠くから旅をして、高額な贈り物を差し出しました。凡人の家に住むイエスにひざまずいて拝んだ上で、差し出しました。
金は勿論、王に貢としで出すような、高価な金属でした。「乳香」は祭司が礼拝で使いました。「没薬」は薬でも、埋葬の臭い消しでもありました。イエスは王であり、祭司であり、古代から犠牲になる預言者であることは暗示されていたかもしれません。でも、そこまでほのめかすものでもなく、もっと簡単に、高価なもの三つとも考えられます。話の趣旨は、何人かの学者たちは費用も手間も惜しまずに、遠くから来て、赤ちゃんを拝んだという事です。
私たちはその赤ちゃんに対して、それほどの想いはあるのでしょうか。神様に会うのが面倒くさいと、言わなくても行動で示しているなら、私たちはイエス・キリストを小さな方として見ているでしょう。近くに、楽な方法で手に入る助けがあるなら、欲しいです。
逆に神様はどう見ておられるでしょうか。最高に価値ある御自身を、人のために惜しまずに、贈ってくださいました。費用も手間も惜しまずに、遠くの、天から来て、赤ちゃんとして来てくださいました。確かにその乳幼児イエスは神に送られた王でした。でも、マタイ1章21節で予告されたとおり、「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
人は生まれながら、創造主なる神様を拒み軽んじてしまう、罪びとです。礼拝は面倒くさい、献金は嫌な義務、祈りは負担にならない暇にのみする、とクリスチャンさえも思う、怠惰な自己中心な存在です。しかし、イエスは人を歓迎するために来られて、私たちがするべきだった良い事をすべてして、歓迎を準備してくださいました。私たちの様な者に命を与えるために、代わりに十字架で死に、葬られました。
博士たちは遠くからイエスに会いに来ました。しかしまず、幼子イエスが彼らそして私たちのような者のために、遠くから、天から地に来られました。その愛を分かれば、その王に対して、赦しを求めて、喜びをもって、近づきましょう。遠くに出かけて会う価値のある方です。遠くから、あなたの近くに来られて、今晩も、聖書を通して語っておられます。どう応答しますか。
祈り
天のお父様、私たちは神様に近づくことを遠慮遠慮し、面倒くさがり、恐れることがあります。しかし、人を変えるために、神様に逆らう罪の結果である裁きを取り除くためにイエス様が遠くから来られました。地上で言うと遠くから旅した博士たちの喜びが分かるよう、今晩私たちの心にイエス様を知る光を照らしてください。