2025年12月14日 説教「霊的な武具」 “The Armor of God”

箇所     Text:エペソ人への手紙  Ephesians 6章13節~17節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:85、271B、286、542番 招詞/Call to Worship:章~節 交読文/Line-by-line responsive reading ルカ1章(ザカリヤの歌 Luke 1, Zechariah’s song)

English Aids: Scripture (ESV Bible), Japanese hymn transliterations (some songs may be missing)

初めに

 命を守るために、あなたは安全策をしていますか。防災グッズ、車の安全装置など、念のために色々持っているかもしれません。戦争ではなおさら、身を守る手段に注意するでしょう。日本の戦国時代を考えてみてください。侍など兵士の武具を見たことがあるかもしれません。兜も、鎧も、刀も…全て大事でした。

 創造主なる神様は教会の一人ひとりにも、不可欠な武具を下さっています。心を守り抜くためのものです。前々回、クリスチャン(教会)は霊的な仇、悪魔と悪霊、と格闘しているとエペソ6章10~12節で読みました。その敵は非常に強く、ずる賢く、私たちの心が神様から離れるように色々な罠を用います。私たちを助ける神様はそれに対して、心を守り抜く武具を用意してくださっています。私たちはそれを用いているかどうか、が問題です。感謝なことに、神様が下さる霊的な武具は本当に優れたものです。

一、堅く立つ秘訣

  • 13~14節【立ち続けるように】
    • 13節「邪悪な日に際して対抗できるよう…」悪魔・悪霊との格闘であると12節が注意したところです。したがって、悪魔の誘惑と脅かしに立ちはだかる必要はあります。真理を曲げたり、愛を捨てて自分だけを守ったり、十戒を破って人を喜ばせたりする誘惑は日々あります。日ごろから「邪悪な日」です。意識する必要があります。
    • 13節「また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。」一日中神様を愛して人を愛そうとした末、疲れ切って、倒れることがないように!しかしこれは私たちの力においてするのではありません。悪霊に対しては、神の武具は必要であり、さらに、神の霊的武具は備えられてもあります。
  • 14節初めに再度、「そして、堅く立ちなさい。
  • 14節【着るもの】11節に、着るように言われた武具ですが、これはだれが用意するのでしょうか。
    • 武具は、聖書がすでに神様が持っておらると伝えたものです。(イザヤ11章5節、59章17節など参照。)その背景を踏まえて、この箇所でパウロは単純に私たちが自力で強く闘うべきだとは言っていません。
    • むしろ、エペソ4章24節(新p389)で言われたように、私たち教会はは新しい人、また、イエス・キリスト御自身を着るのです。「真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。」イエス・キリストを信じて従うことによって、私たちは神様の霊的な武具を身に付けて、悪魔に立ち向かえます。
  • 14~17節【武具の内容】
    • 14節「…腰には真理の帯…」服を整えてまとめる帯は、真理です。神様の真理です。そしてパウロはすでに、教会が真理を語り合う中で成長すると4章15、25節で述べました。
    • 14節「…胸には正義の胸当て…」内臓を守る胸当てのように、正義は人の心を守ります。神様が求める完全な義は、イエス・キリストの他にはありません。悪魔は罪ある人に義はないと指摘して、諦めさせようとしても、イエス様の義を持つ者として扱われていてこそ、守られます。そして、キリストが喜ぶ義を求めるように、エペソ5章9~10節は確かに教えます。
    • 15節「…足には平和の福音の備え…」エペソ2章14節、「実に、キリストこそ私たちの平和です」と言われました。どこへ歩いても、攻撃はあるかもしれません。でも、イエス様が十字架で犠牲を払って、神様との敵意を取り除いて平和を打ち立ててくださったという良い知らせ(福音)をしっかりと信じて、靴のように履いているなら、大丈夫です。
    • 16節「…信仰の盾…」これは、「それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。」悪魔(悪い者)はいつ、どこから攻撃を仕掛けてくるか分かりません。ドンドン、火矢のように焼き払うような誘惑はあるでしょう。どれでも、不信仰(神様に頼らなくてもよい、頼っても意味がない)の攻撃です。その「火矢」に対して、私たちの力でなく神様に頼る信仰だけが良いです。
    • 救いのかぶと…」頭が打たれたら、致命的です。今までのことの言い換えでありますが、何と言っても、神様による救いだけで助かります。私たちは
    • 「…御霊の剣、すなわち神のことば…」私たちの信仰に意味を与え、また真理であるのは、「神のことば」即ち聖書、聖霊様がくださった武器です。聖書を掴んでいないと、悪魔に対して防衛も反撃できません。
  • 18節も「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい」と、防衛の最終の手段を宣べます。次々回により詳しく扱いますが、祈りも、守りのために神様が下さっているもう一つの手段だと覚えて、祈りに励む必要はあります。

二、武具を用いること

  • 私たちは、霊的な武具を用いているのでしょうか。
    • 「神のことば」、聖書の「真理」を握って、「平和の福音」を抽象的でなく現実として身に染みて受け入れていますか。神様からの「義」を受け、「救い」を受けていると信じますか。このような生きた信仰で悪魔の快楽または恐れの誘惑を拒むことができていますか。祈っていますか。
  • でも、神様が下さる霊的な武具は、イエス・キリストが用いられたものです。
    • イエス・キリストがこの武具を身に付けて、悪魔を決定的に打ち倒されました。御言葉と真理をもって、悪魔を追い返されました。完全に義をもって父なる神様を愛され、人を愛されました。を弱く、反抗的で義を持たない人に、救いを与えるために、不義を転嫁されて十字架で代わりに償ってくださいました。私たちは自分をイエスに委ねて神様に赦しを求めると、平和を持つという良い知らせによって、堅く立つことができます。
    • 立ち続ける必要はあり、武具を用いる必要はあります。しかし、ここの武具とは、私たちの成功ではなく、勝利者イエス様にかかっているものです。私たちは、すでに用意された助けを用いることだけで、立ち続けられます。勝利者イエス様に信頼し、付き従うことです。
  • 旧約聖書で、創造主が海を真っ二つに分けてイスラエルの民をエジプトの軍より助け出した際の、モーセのことばどおりです。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。」(出エジプト14章13節)立つ必要はあります。武具を使う必要はあります。そして主なる神様はそれらを有効な守りに用いて、立たせてくださいます。悪魔を恐れないでください。すでにあなたのために行われた主の救いを見ましょう。

説教について

振り返り:キリストに信頼を日々、置いていますか。

参照聖句:イザヤ11:5・59:17、エペソ2:16-18、出エジプト14:13

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)