
2025年11月2日 説教「苦しんだ王の祈り」 “A Prayer of a Suffering King”
Text:詩篇 Psalm 70篇 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns (Romaji link here): 89、320(1・2節)、140、312、542番 招詞/Call to Worship:イザヤIsaiah 43章1〜2節 交読文/Line-by-line responsive reading 31番 詩130篇(Psalm 130)
初めに
誰かに一度二度とでなく、繰り返し苦しめられると、そういう人に不幸を願うことはあるかもしれません。でも聖書が敵を愛する様にも教えられた、と多くの人はご存じです。だから今日の詩篇の様な祈りを、「イエス様は祈られたかな」、また私たちも、祈っても良いだろうかと疑問はあるかもしれません。
これは重要な課題です。私たちが祈りで神様の喜ぶ事、イエス様の喜ぶ事を祈りたいからです。また、旧新約聖書の全体を私たちに有益かという問題もあります。旧約聖書によく出る「神の裁きと怒り」は、新約聖書の後、なくなって、私たちに無縁の箇所なのでしょうか。そして私たちを苦しめる人について、私たちはどう祈れば良いのでしょうか。本日は、多くの教会で「迫害下の教会のために祈る国際祈祷日」とされています。私たちは迫害される人のために当然祈りますが、迫害する人についてどう祈りましょうか。
昔に苦しんで悩んだ王ダビデの祈りに耳を傾け、考えましょう。
一、箇所の意味
- 【構造】2〜3節と4節は対照的なセットをなし、祈りの中心です。3節までは悪い人の裁きを求め、そして逆に4節は神を信じる人の救いを求める構造です。それらを挟む1節と5節は別の対です。すぐに助けてくださいという同じ願いで湧き出ます。※⑴
- 【最初の叫び】ダビデは必死に神様に叫び求めます。1節 全能の神様が全ての人の生命と歩みを手の中に持っておられます。お相手は天におられる神ですから、敬意を払うべきです。でも、遠慮せず、はっきりと祈ることもできます(マタイ6章9節参照)。
- 【敵に関する願い事】次にダビデは急いで、神様に敵の裁きを繰り返し求めます。2〜3節
- 主語(敵)は「私のいのちを求める者たち…私のわざわいを喜ぶ者たち…あざ笑う者たち」。似た表現の繰り返しにより、内容は詳しくなります。ダビデに死と災い、そして恥を与えようとする者たちに対して…
- 願いは「恥を見 辱められ…卑しめられ…恥をかいて」敗北するように、です。相手が恥じる程に打ち負かされることを求めます。
- 武士道とその影響を深く受けた日本でも、生命より誇りと名声が尊ばれることはあります。ダビデは敵について、恥をかく程に徹底的な敗北と裁きを求めました。
- 【民に関する願い事】もう一方で、4節でダビデは自分に付く民の喜びを繰り返し求めます。
- 主語は「あなたを慕い求める人たち…あなたの救いを愛する人たち」。ダビデの敵の多くは同胞、さらに息子だったりしました。本当に神を愛し、神に選ばれた王(メシア)と共に神様に拠り頼む人は一部だけでした。
- 全人類は最初の罪以降、神様に信頼する民か、神様に敵対する反逆者かに別れ、霊的に戦争状態にいます。平和に暮らし、家庭や社会で見える相手と和を保っていると思っている日本人は、最も大切なお相手、神様に対して戦争している「あざ笑う者」なのか、平和と持つ「神を慕い求める人」なのかを確かめる必要があります。
- 願い事は「あなたにあって楽しみ 喜びますように。…『神は大いなる方』と いつも言いますように。」
- 2、3節の祈りと、この祈りは表裏一体です。神が崇められる為に、敵の恥をもたらす裁きをなさり、正しい方だと示しご栄光を表てください、とダビデは懇願しました。
- 同時に、神様を信じる人が信仰の対象「にあって楽しみ 喜びますよう」、賛美するように求める祈りでした。
- 主語は「あなたを慕い求める人たち…あなたの救いを愛する人たち」。ダビデの敵の多くは同胞、さらに息子だったりしました。本当に神を愛し、神に選ばれた王(メシア)と共に神様に拠り頼む人は一部だけでした。
- 【苦しむ王の個人的な願い事】
- 5節前半 「貧しい者」は金銭的以上に、苦しみや弱さを認め、神様により頼む謙遜を意味する「貧しい者」です。ダビデは裕福な王となりましたが、敵に命を狙われ追われて、民の為に心を痛め「苦しむ者」でした。心の貧しさと認め、神様に信頼を告白しました。
- 5説後半 最後に、ダビデは神様を「私の助け 私を救い出す方」と呼びます。何度も絶体絶命の中、神様に助けられたと詩篇やサムエル記に告白したことを、思い起こさせます。
- 最後の願いは、「遅れないでください」です。焦った感じで、祈りを閉じます。
二、箇所の現実(教え)と課題
- ダビデは熱心な、緊急の試練の中で必死にで祈りました。二つの祈り方を学びます。
- 嘆きの祈り。周りの悪を指して、正直に弱さを認め、必死に神様に助けを求めました。
- 正しい裁きを求める祈り。ダビデは一方で敵の敗北と恥、他方で神に信頼する人の助けと喜びを求めました。前者は「呪いの詩」と言われます。注意点:
- 個人的な復讐を求めるのではなく、神を愛する、自分の民の為でもある祈りでした。
- ダビデの勝手な思いつきでもありませんでした。神様がすでに、神に背く人に怒りと呪いを警告なさっていました。神がその警告のとおりにしてください、と言うのは聖書的な「呪いの詩」です。多くの詩篇、預言書、使徒パウロにも見られます。
- では、今もダビデの時代の様に、悪とそれを行う人についてどう祈ったら良いでしょうか。現代も陰謀、虐待、悲惨の多い世界です。私たちはそれにどう対応するのでしょうか。無視、怒りと暴力、社会活動、あるいは平和の為の曖昧な祈りできます。呪いの祈りは今、どう適用されるでしょうか。
三、箇所の成就と実践
さて、イエス・キリストは究極の王でした。先祖ダビデ同様に詩篇70篇を祈られ、その上、それを成就なさいました。ご自分をに信頼を置いた、社会的地位の低い女性たち、十字架上の強盗、臆病な弟子たち(つまり、5節「貧しい者」の様な者)に喜び楽しみを下さいました。
その為に、イエス様は全ての信者の代わりに、呪いを受ける者、「苦しむ者 貧しい者」のかしらとなられました。イエス様を神として信じ、罪の赦しと神様に従う助けの為にイエス様に拠り頼む人の罪を背負い十字架で屈辱に苦しまれました。それによって、神様は詩篇70篇の呪いと祝福のとおり、なさいました。コロサイ人への手紙2章13〜15節(新p403)が述べます。
…私たちのすべての背きを赦し、私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。そして、様々な支配と権威〈悪魔・悪霊〉の武装を解除し、それらをキリストの凱旋の行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。
十字架の処刑でさらしものとなったイエス様は復活して、その敵を辱めました。悪魔に恥を与えられました。私たちの恥を語る罪の「債務証書」は、処分済みです。イエス様が詩篇70篇の語り手、そして答えであられます。さらに未来の事ですが、イエス様が世の終わりに正義の報復と審判をなさると黙示録などは明記します。それはイエスの「救いを愛する人たち」には、恐怖の日でなく切望の日です(4節)。
私たちクリスチャンはイエス様のようにできなくても、詩篇70篇を適切に祈ることは可能です。敵を愛するべきです。個人的復讐で正義をなせません。しかし、メシア・イエス様の敵について正義を神に委ねて、彼らが悔い改めないなら正当な結果を受けるようにも、詩篇70篇のように祈って良いです。世界中で何億ものクリスチャンを迫害する政府や個人に、私たちを信仰ゆえに苦しめた人に。「『神は大いなる方』と いつも言いますように。」(4節)
ただし、こうも祈りましょう。「御心であれば、私たちが受けた恵みを彼らにも。罪を認め、イエスを主と認め、イエスに信頼を置く恵みをお与えください。」神様が正しく裁くのを期待しましょう。イエス様が天から「来たりて、生ける者と死ねる者とをさばきたまわん」時が来るのを待ち望み、必死に、熱心に祈りましょう。
「一方的な神の「救いを愛する者たち」としてください。イエス様の救いを神様の敵に対して、どちらかを与えてください。神の正義を表す為に、徹底的な、完全な正義の裁きを与えてください。又は、神の正義と恵みを表す為に、キリストが受けた完全な正義の裁きによる永遠のいのちを与えてください。主に復讐を委ねる様に、助けてください。迫害に苦しむ兄弟姉妹を助けてください。」
説教について
振り返り:キリストの恵みと正義を信じて、悪を行う人について、どう祈り求めますか。
参照聖句:コロサイ2:13-15、第二コリント5:10、ローマ12:19-20
註
※⑴ 詩篇の多くはこの様に、最初と最後が似たテーマ、それぞが挟む次と最後から次の部分も似た(対照的な)テーマ、という「サンドイッチ構造」で書かれています。交錯配列法・交差対句法(Chiastic structure)と、用語で言う。
※⑵ 状況は明記されていませんが、覚えられるべき「記念」と70篇の前書きに書かれています。ダビデはここで、列王記第一1章に記録されている三男のアドニヤがダビデまた後継者ソロモンから王権を奪おうとし陰謀の時に祈った、という説はあります。手遅れではないかというところまで謀反が進んだところでダビデが知り、即座に部下に指令を出しましが、その中で神様に、どうにかしてすぐにでも助けてください、と叫んだとは確かに想像できます。James Hamilton, Psalms vol. 2 (EBTC, 2021), 618-619.