
2025年10月19日 説教「キリストのからだは、キリストの愛妻」(“Christ’s Body is His Beloved Wife”)
箇所     Text:エペソ人への手紙  Ephesians 5章25~30節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:73、191、249、540番 招詞/Call to Worship:イザヤIsaiah 61章10~11節 交読文/Line-by-line responsive reading 21 詩91篇 (Psalm 91)
エペソ人への手紙5章25~30節
25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。 26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 28 同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。 29 いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。 30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
初めに
夫婦関係に関する話ですが、既婚者だけあるいはクリスチャン配偶者いる既婚者だけのためではありません。これは、夫婦だけでなく、イエス・キリスト、そしてキリストがご自分のからだ、さらに愛妻と見なす教会の関係をも語るからです。
教会がキリストのからだとして数回、エペソ人への手紙ですで出ましたが、キリストのからだはさらに、キリストの愛妻だということを見ます。キリストが愛妻なる教会をどう扱うかを知ると、夫がどのように妻を愛するべきかだけでなく、教会に加わっている人がキリストによって大事にされていることも学ぶことはできます。ですから、これは教会全体の為の話です。そして教会外の人への招きでもあります。
一、キリストが愛妻に向ける愛と期待(25~27節)
- 25節でイエス様がご自分を教会のために「教会のためにご自分を献げられた」とあります。
- 26節にイエス様が妻に何を用いるかが書かれています。「みことば」は、清くされてキリストと永遠に共に生きられる恵みを差し出す、福音の言葉です。それに「より、水の洗い」、すなわちバプテスマ(洗礼)も用いてくださいます。洗礼を受けても、自動的には救われません。ところが、聖霊様はそれを用いて、罪の赦しと新しい歩みを求めて自分をキリストに委ねる者を聖別してくださいます。なお、洗礼を受けるのは個人ですが、洗礼によって共同体としての「教会」として清められることをここが教えます。
- 27節はイエス様が愛妻なる教会のために持たれる目標を教えます。「しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会…」- 旧約聖書が教える古い契約の下でも、聖なる創造主なる神様と人が親しい関係を継続させ、人が神の近くにいるために、求められた動物のいけにえも、しみなどが無いという条件がありました。要するに、その人もきよい、聖別された者であることが求められました。
 - 神なるイエス様は今も、聖なる相手、愛妻を求めておられます。私たちが霊的に浮気を犯してしまうとご存知です。私たちに罪があることをイエス様は十字架で身代わりとして死ぬことにより、示されました。しかしそれを通して、悔い改めて信じる罪びとをなおも歓迎してくださいます。イザヤ61章10節(招詞)のように、私たちに「救いの衣」、結婚の着飾りを下さって、喜んでくださいます。イエス様は愛妻教会のために全ての条件を代わりに満してくださいました。私たちは信仰によって、主の救いを受け取り着用して、共に歩むだけです。
 
- ですから、キリスト者の夫は、妻が神様の前できよく幸せに生きるように熱心に、自己犠牲的に求める使命があります。夫やそうなろうと思う兄弟たち、私たちはこれを目指します!
二、隣人、また自身のからだのような愛妻(28~29節)
ただ、夫は霊的な面だけに妻を愛するのではありません。魂と身体をも持つ人間にとって、全面で愛を実践することが夫の使命です。
- 28節前半「自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。」レビ記19章18節の有名な「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」をほのめかします。妻は夫にとって誰よりも身近な隣人です。
- 28節後半「自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。」夫にとって、妻は自分と同一のように身近と認める必要があります。二人は一心同体のチームです。これを念頭に、結婚したい独身者は相手を検討する必要があります。
- 29節上「いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。」悲劇的なことに、苦しみから抜け出すために自害を選んでしまう人もおられます。でもその場合でさえ、自分をもっと惨めにしようとする人はおらないという原理はあります。心地よく、嬉しくなろうと思います。
- 29節半ば「むしろ、それを養い育てます。」人は自分の身体のために食べ物、衣服、肌のケアや薬など惜しまずに揃えます。そこで、最も親しいはずの隣人のことを、自分同様に大切にするべきです。パウロが書いた当時、ローマ帝国に住む女性は栄養失調、衛生問題や妊娠の困難に苦しみ、30代までに亡くなることがよくある程でした。気配りを必要としていました。今でも、夫は自分の心地よさを求めるより、妻の願いや必要を顧みるように諭されます。
- ところが、29節下は「キリストも教会に対してそのようになさるのです」と、神学的な動機付けに戻ります。ご自分を犠牲にして自分を養われるイエス様に拠り頼み・従い、妻を養い、愛しなさいという事です。キリストの愛を受ける教会の一員の夫は心地よさを優先させないで妻の心地よさと成長を優先させてこそ、自分も成長して幸せになれます。
キリストの愛妻は、キリストの「からだ」そのもの!(30節)
- 30節は、キリストが愛妻と見なす教会を、同時にご自分の「からだ」として扱ってくださると教えます。「私たちはキリストのからだの部分だからです。」キリストは教会をご自分のからだそのものと見做し、隣人のからだを愛する以上に、ご自分のからだとして大切にしておられます。キリストが教会とどんなに密接な絆(結合)を持ってくださっているか!
- 今日の箇所は夫婦関係に留まらず、キリストが教会を見る眼差しを伝えます。一人でも教会から離れたら、からだ全体は痛みます。互いを必要としていて、イエス様に尊いものです。
まとめ・現代と夫婦関係
まとめますと、イエス様は教会を最も親しい隣人、愛妻、またご自身のからだのように愛し、まず罪を指摘しきよめ、さらに養い育ててくださる、最高の「花婿」です。キリストの義と愛を信じてこそ、夫や妻、そのどちらでもない方への適用に進むことができます。
さて、今日の適用は五つのグループに向けます。中で、夫婦・男女関係から心の傷を思い出したりする話でしたら、おゆるしください。礼拝後、それを他のクリスチャンか私に分かち合っていただけますか。「私たちはキリストのからだの部分だからです」(30節)!また、自分に直接該当しない部分でも、該当する人をキリストのからだの一部として、祈っていただきたいです。
- 夫(夫になりたい人)へ。あなたと一心同体の愛妻として、妻がきよく、元気に心身共に栄えることを自己犠牲的に求めますか。愛の感情を超えて、キリストに似た愛の行動を起こせていますか。そうするために、今できる準備や変化、悔い改めのポイントは何ですか。行動を起こすために、イエス様に拠り頼んでください。
- 妻(妻になりたい人)へ。あなたの夫(将来の夫)があなたを大切にすることを感謝しますか。大切にされないとき、赦す助けを神様に求めますか。これにも感情を超えての愛、イエスの愛が必要です。イエス様に拠り頼んでください。
- 未信者と結婚している方へ。霊的な支えを相手に期待できなくても、イエス・キリストがあなたを、どの伴侶より遥かに深い愛で、教会の一員として、清めて養うと約束されました。イエス様に拠り頼んでください。
- 結婚相手を失った(まだいない)兄弟姉妹、そして教会全体へ。結婚できない人は不幸とは限りません。結婚(又は独身)の幸せは一時的です。神様との関係が究極です。幸せな結婚が欲しくて感情が付いて行きにくくても、イエス様の愛が何にも優ると信じるなら、今の苦難で主の慰めまた助け、喜びを抱くことができます。イエス様に拠り頼んでください。
- クリスチャンでない方へ。今までの話を聞いて、あなたもキリストのからだ、愛妻である教会の絆に入れられたいと思いますか。創造主に反抗してきた罪からきよめられ、神との愛の関係を受けたいなら、イエス様に拠り頼んでください。
私たちはどの立場にいても、神様また互いに罪を犯しす者です。威張り、恨み、妬み、神への疑いと不満はあるかもしれません。しかしイエス様が私たちのような人々を各地域教会に集めて、きよめて、養ってくださいます。教会はイエス様と確かな絆で結ばれています。信じて、共に歩みたいと思います。
「天の神様、私たちを愛し、心身共に養い、きよくしてくださるイエス様を感謝いたします。イエス様がこよなく愛されるその「からだ」、また「愛妻」に加えて頂ける恵みを感謝いたします。教会に入っている一人ひとりが愛され、きよめられつつあると神の約束を信じて、立場に見合った形で歩めるよう助けてください。夫、妻、結婚相手いない方一人ひとりを教会の貴重な兄弟姉妹として置いてくださり、ありがとうございます。共にいない、あるいはまだ加わっていない方々をどうか、キリストの愛妻の交わりへとお導きください。キリストの尊い御名によって、アーメン。」
説教について
振り返り:イエス様の自己犠牲的な愛はどういう信仰の応答に、あなたに呼び起こしますか。
参照聖句:イザヤ61:10、レビ19:18、ピリピ2:1-5