
2025年10月12日 説教「妻たちよ。夫たちよ。」(“Wives . . . Husbands . . .”)
箇所 Text:エペソ人への手紙 Ephesians 5章21~28節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:87A、121、142、539番 招詞/Call to Worship:ヨハネ John 15章9 ~13節 交読文/Line-by-line responsive reading 41 第一コリント13章より (1 Corinthians 13)
エペソ Ephesians 5章21~28節
21 キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。 22 妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。 23 キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。 24 教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。 25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。 26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 27 ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 28 同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。
初めに
子どもたちは、結婚したいと思いますか。結婚は素晴らしいことでありえると言いたいです。しかし、結婚すると幸せかという疑問が多くの人の中に刻まれている時代であると思います。多分、大多数の人の心に、自分あるいは親、知り合いの夫婦関係からの傷を負って、疑問は刻まれているかもしれないとお察しいたします。
エペソ人への手紙の中で説教しにくい箇所の一つ、夫婦関係の話に来ました。慎重に扱遺体と思いますが、短い礼拝説教の中であらゆる状況に対して具体的に語ることはできません。礼拝後、気がかりな事を、信頼するクリスチャン友人あるは百瀬にぜひともお話しくださればと思います。
でも、同時に今日の箇所は、本来、教会にいる全ての人に感謝と希望を与える箇所です。不幸な結婚が多い事は、聖書が教える、創造主なる神様との関係、教会の内の関係、そして結婚関係の道からどんなに離れてしまっているかを物語ります。結婚を下さった神はこの箇所で、革命的な模範を伝えてくださいます。結婚していてもしていなくても、教会全体を包む愛の話です。
一、理解するための手助け・前置き(21節)
- 5章22節から6章9節までの夫婦関係、親子関係と主人・しもべの関係は全て、いわゆる上下関係ですが、5章21節「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」が枠組みを与えます。どの関係でも、イエス・キリストを見上げて歩むことがクリスチャンの大前提です。- いわゆる目上の人も、謙遜に目下の人の事を思い、益を求める責任があります。※⑴
 - 従う人の価値は低い、導く人の価値は高い、という構造は聖書に認められません。人間は皆、創造主の似姿として神と関係を持つように創られました。皆は神様の前で平等に価値あり、また、弱さと罪あり和解を受けなければ裁きを受けるべき人です。
 
- どの聖書箇所を読んでも、時代背景などをするのは大事です。著者パウロは当然、事情を念頭に置いて、この教えを記しました。けれども、見ていくとおり、それは神様が伝えられた真理を基にした、事情に拠らない大原則です。具体的に、キリストと教会中心の真理が規範です。適用の仕方に幅はあっても、これは古今東西のクリスチャンが守るように言われていて、現代の私たちの益のためにも、神が愛をもって下さった、幸いな歩みの道しるべです。
二、妻たちの責任の模範(21~24節)
- 22節「主に従うように、自分の夫に従いなさい。」- 「従いなさい」は無言で考えずに言われたことをやれ、という意味合いではありません。(24節でまた触れます。)
 - また、絶対的な、全面的な命令ではありません。なぜなら、第一に従うべき相手は、主イエス御自身です(21節参照)。目上の人に殺人、偶像崇拝や嘘つきをするように求められても、クリスチャンの妻(子、部下、市民)はまず神様に従う任務を受けています。
 
- 紀元1世紀のローマ帝国社会では、妻は離婚を求める権利を得つつありましたが、まだまだ、大きな男女不平等はありました。女性は大体12と17歳の間で、父親の決定で自分よりかなり年上の男性に結婚することがよくありました。※⑵そんな中、 表面的にパウロは保守的な教えを保持します。
- しかし、その動機付けを聖書特有の、革命的な根拠から導き出します。23節「キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。」- 1章23節、4章15節の繰り返しでもあります。「教会」は神様の一つの民として、神の国を受け継ぐ全ての人を含みます。イエス・キリストがその全体のかしらです。
 - 「かしら」を「源」と訳して、夫に妻は従わなくても良いと主張する学者もいますが、当時の他の文献や文脈からして、導く責任ある人の意味で「かしら」と訳すべきです。
- 適用ですが、教会は決して、牧師や他のカリスマ性ある会員のファンクラブであってはいけません。教会は、キリストを中心またかしらにして集合され、成り立ちます。
 
 
- 24節「教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。」キリストと教会の関係は結婚関係の規範です。- キリストとの関係において、教会は嘆きを捧げて、「いつまでですか?なぜですか」などと聞くことは歓迎されます(第二コリント12:8、詩篇13など)。同様に、妻は夫と対話する必要があり、議論もしても良いです。ただ、キリストに従っているゆえ、最終的に夫が神の前で責任を負うという事を信じて、夫に従うように、とパウロ・神様が教えます。
 - キリストに救われて恩を着せられたから、妻は夫の奴隷になれという、社会の決まりの正当化ではありません。もっと根本的に、神様に信頼するかどうかが問題です。
 
注意:夫に虐待されている妻がいるなら、他の人は妻を守り、助け出すべきです。妻は自分や子供のいのちを守るという使命をも受けていますから、逃げても良いです(第六戒)。
三、夫たちの絶大な模範(25~28節前半)
- 次回、夫の責任をより詳しく見ます。パウロも、夫に対して2、3倍長く戒めますから、今日カバーしきれません。しかし、25~28節に触れて置きます。
- 25節「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」- パウロの時代の夫は妻を家の存続のために持ちながらも、愛する相手として認めるのは主流でなかったようです。でも神様は、妻は夫に従うべきと言う一方で、クリスチャンの夫に強烈な制限をかけます。聖書に従う「かしら」なる夫は、妻を愛するべきです。
 - 模範はイエス・キリストの自己犠牲的な死です!夫婦関係でも、キリストを信じ従おうとする夫はそう考える責任はあります。妻が従うこと同様に、難しいことです。
 
- 26・27節のキリストの規範によると、夫は妻が今よりきよく、輝かしく歩めるように、自分を犠牲にして生きなさいという事です。間接的に、クリスチャンは皆、イエス様の熱心な助けに応答して、自分のきよめをも求めなさい、とも言うべきです。
結び:夫婦関係とキリストと教会
【まとめ・趣旨】キリストと教会を規範として、クリスチャンの妻と夫は互いのために自分を捧げるように教えられています。妻は夫に最終的責任を委ねて付いて行き、夫は妻を自己犠牲的に大事にするべきです。(繰り返しですが、その適用の形は詳細に於いて、各夫婦で異なります。)
【課題・問題】しかし、これは何と難しいことでしょうか。今も、男尊女卑が残る心は多くあります。色々な側面で、聖書の教えに反発する考えが世の中の常識あるいは選択しとされています。そしてそれが大きな要因で、希薄な結婚関係は多くあります。虐待や離婚という悲しい経験もあります。また、結婚していてもいなくても、イエス様が熱心に求めるきよさをクリスチャンは二の次にしがちという課題もあります。
置かれた状況をじっと見つめる必要はありますが、心が最大の問題です。しかし、最終的に幸せな結婚、そして幸せな教会生活には、第一に「この人」、イエス様を見上げてこそ希望はあります。
【福音】パウロが示すように、キリストが教会を愛し、教会は応答として服従するのです。服従できていない皆様と、まずキリストの愛の福音をまた共有したいです。25~27節 イエス様は教会とその一人ひとりを愛して、そのためにいのちを捨ててくださいました(25節)。26節「教会をきよめて聖なるものとするため」にそうしてくださったし、(26節)。27節 もしキリストが教会を「しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないもの」にしようと、十字架に死なれ、復活され、今も、絶えず教会を支え、執り成しもしておられます。
ですから、夫婦関係の話の前にまず、信者にも未信者にも良い知らせです。この様に愛する方に付いて行きたくありませんか。自分の罪をも、希望をも、落胆をも委ねてはどうですか。互いのきよさを求めて、その中で確かに夫も妻も互いのことを思い、善を求めるように動機付けられます。(ヨハネ15章12~13節、ガラテヤ2章20節)
【適用】キリストが男女老若のためにしてくださったことにより、妻も夫も互いのためにささげるべきものを捧げるようにできます。教会はキリストのからだとして、共にこのために励み、励ましの言葉を掛け合い、涙を流して祈りを捧げることを願います。
礼拝の後
振り返り:あなたがキリストが愛するからだの一員なら、夫婦関係が栄えるためにどんな祈りと行動を起こせますか。
参照聖句:ヨハネ15:12-13、コロサイ3:18-19、ガラテヤ2:20
註
※⑴ 『ウェストミンスター小教理問答』問い64「第五戒は、目上の人、目下の人、あるいは対等の人として、さまざまな立場と関係において、すべての人に伴う名誉を守り、[その人に対する]義務を果たすことを求めています。」(袴田約・日本キリスト改革派教会公認訳、2023年、29頁)。※⑵ 以上の諸事情については、S. M. Baugh Ephesians, Evangelical Exegetical Commentary, 2016: Lexham Academic, 466-471、483。
※⑶ 興味深いことに「教会・救い主」と「からだ・かしら」の対は混ざり、救われた教会は本当にキリストのからだである強調されます。