2025年8月24日 説教「光の子ども② 明るみに出され、明るみに出す」 “As Children of Light (2), Brought and Bringing into the Light”

箇所     Text:エペソ人への手紙  Ephesians 5章8~14節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:19、185、358、540 (Romaji in link)番 招詞/Call to Worship:イザヤ60章1~2節 交読文/Line-by-line responsive reading 詩27篇(Psalm 27)

初めに

【たとえ】防災グッズに懐中電灯やランタンはありますか。暗い所を照らして、障害物を避けて、安全な道を確かめるのに大変役立ちます。嫌な物を見せるかもしれませんが、自然災害があった場合、それは私たちを助けます。

【前置き】今日の箇所を簡単に言うと、光なる神様の子供たちは周りの人に神様の光を照らします。なぜかと言うと、神の子供たちは過去に神様の明るみに出された経験、そして将来にも照らされる約束を受けています。

【振り返り】前回、エペソ書5章8節でキリスト者は「光の子どもとして歩みなさい」と言われるのを見ました。創造主なる神様に対する反抗という「罪」で暗かった人々をきよくして、ご自分のように光に輝く者に立場を変えてくださったのです。その結果、前回私たちは主イエスの喜ばれる歩みを求めて、そういう生き方を吟味する(①聖書の基準の中で自由に、ただ②知恵を求めて)と9、10節で見ました。こういう、内向きの変化はクリスチャンの特権の一つです。

一、闇の行いを避けて、明るみに出す(10~12節)

  • さて、次に11~12節は光の子の歩みのもう一つの特権、外向きの面を示します。 
    • まず、7節のように、キリスト信者は未信者と異なった歩みをするべきことがあると教えます。「実を結ばない暗闇のわざに加わらず」に歩むのです。
      • 9節の光の実りと対照に、「暗闇のわざ」は空しい結果しか出せません。3、4節の性的不適切や貪りに限らず、神を愛し人を愛する命令の枠の外の全てについて言えます。
    • 暗闇のわざは、12節によると「…口にするのも恥ずかしい…」ものも含まれます(3節参照)。でももしそれが行われていると気づいたら、正しく扱う必要があります。
      • 罪は言いふらすのではありません。しかし、見て見ぬふりするタブーでもありません。11節後半「むしろ、それを明るみに出しなさい。」「諭す」あるいは「正す」、要するに「指摘する」意味合いがあります。
      • 神様が愛を持って、下さった律法に違反することは、人を最終的に惨めさと神のきよい怒りとを被らせます。ここも「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい」(10節)適用の機会です。ときには指摘して、神様の光の内の歩みを推薦することは、愛をもって明るみに出すことです。
  • 注意ですが、見過ごしても良い事、赦すべき事もあります。
    • 特に、文脈からするとここの暗闇の行いは特に未信者の行いを指します。聖書に慣れ親しめず、暗闇に慣れた生活をしていると、人生で霊的に倒れてもあまり気になりません。
      • ですからクリスチャンは上から目線で話してはいけません。私たちも罪ある者です。見下す態度や噂話で人を卑しめないように態度に深く注意する必要はあります。
    • しかし、愛は、見て見ぬふりできません。第一コリント13章6節「不正を喜ばずに、真理を喜びます。」だから「実を結ばない暗闇のわざ…を明るみに出しなさい。

二、闇の行いを明るみに出された過去と明るみに出す目的(8、13~14節)

 次にパウロは、教会の者、キリスト者が闇の行いを明るみに出す目的を教えます。それは、私たちは先に(過去に)、明るみに出された経験を踏まえて、他の人に同じ経験が与えられる希望です。

  • 13節「しかし、すべてのものは光によって明るみに引き出され、明らかにされます。」(11節・13節前半は「指摘」意味合いの動詞、13節前半・14節は単純に明らかになる・される意味合いの動詞です。)
    • 真っ暗な押し入れ、あるいは震災後の停電の中、どんなゴミや瓦礫があるか知れませんが、明るみに引き出して、「さて、どうしようか」と考えることができます。
    • 神様は人に健全と平和をもたらすこと(道徳的な意味の光)を、聖書で教えてくださいました。それを受け入れるかは聞く相手の問題ですが、教会の者は伝えると、相手は神様の正しさと愛にどう応答するか考えることができます。
  • 14節前半「明らかにされるものはみな光だからです。
    • パウロは他人事ではありません。キリスト者は数節前の8節で言われました。「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子ども…」です。
    • 14節を8節と組み合わせると、あなたがたは以前は暗闇でしたが、明るみに出されて自分の罪に気づき赦しを受けて、光に入りました。聖霊様が私たちの暗い心に光を当ててくださいました。結果として、光によって歩める者、他の方を明るみに出せる者となりました。知識の光だけでなく、キリストを通して、罪の赦しを受け入れる人が増えるように、キリスト者は語って、暗闇の行いを明るみに出す目的を受けました。まず自分たちが光を当てられて、救われたことを感謝しましょう。

三、明るみに出される希望(14節)

  • 14節後半でパウロはもう一つの観点から、霊的道徳的暗闇に歩んでいる人に神様の教えの明るみに出す特権を教えます。すなわち、キリスト者は別の意味で神様に照らされる将来の希望を受けています。「それで、こう言われています。 『眠っている人よ、起きよ。 死者の中から起き上がれ。 そうすれば、キリストがあなたを照らされる。』
  • 言われています」とありますが、一つの旧約聖書箇所をそのまま引用しているのではありません。イザヤ書の26章19節と60章1節によく似ていて、イエス・キリストがその預言を予想以上に成就してくださったことをパウロが述べています。イザヤ26章19節と60章1節とその文脈は、主なる神様の栄光が死者たちに昇り、彼らが復活し、神の民の都が輝くという内容です。パウロは、それがイエス・キリストによると示す表現に調整しました。
  • 私たちは過去に罪が明るみに出されて、私たちが光の子に変えられました。でもさらに、究極的に死の闇から永遠のいのちの明るみにも出される希望を抱きます。イエス・キリストが将来に再び地上に来られる(再臨)とき、すべての人を死から起こされます。特に、キリストを信じて亡くなった人々を永遠の喜びと交わりに生きる新しい天と地、神の国に入るようにと復活させていただきます。だからこそ、罪の闇と今、たたかう意味があります。

結び

【課題】キリスト者もそうでない方でも、神様の正義、光の基準に照らされることを恐れます。それを伝えることは勇気も必要ですし、伝え方に注意も必要です。でも、震災の暗い現場に光を当てるように、罪ある歩みははぜ神様の御心と教えに反するかを指摘して、愛をもって光の道を指し示す特権があります。

【福音】もし神様が今、あなたの心にそのきよい律法の光を当てて、何か指摘しておられるなら、どう応答されますか。罪を認めますか。赦しを受けて実りと意味のある歩みをするために、イエス・キリストを自分の王として認めますか。復活してから私たちをも「死者の中から」起こし復活させてくださる王としてキリストに信頼を置きますか。

 置くなら、神の子、光の子です。自分に罪はまだあると認めつつも、神様の助けによって明るみの内に歩む特権に与っています!そして復活の希望にも与っています!暗闇のわざをに溺れている人に愛の言葉で指摘するように聖霊様が助けてくださいます。

【適用】だから、私たちクリスチャンたちは今日、希望の内に派遣されます。神様の義の光の明るみに出され続けて、自分の罪に対して死ぬための派遣です。もしかしたら、近くのだれかに、聖書の教えを分かち合う為の派遣です。「光なる」神(讃美歌358番)が私たちの背負うべき十字架をすでに背負い、私たちを闇から救い出しました。この光なる神様を分かち合えますように(第一ペテロ2章9節)。

説教の後

振り返り:あなたが神様のみ言葉の明るみに出された罪を悔い改めますか。キリストの赦しを信じますか。他の人にもみ言葉が当たるように語るよう、決心しますか。

参照聖句:ガラテヤ6:1、第一コリント13:6、第一ペテロ2:9

鳴門キリスト教会
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