2025年8月17日 説教「光の子ども① 主に喜ばれることを吟味する」 “Discerning What Pleases the Lord”

箇所     Text:エペソ人への手紙  Ephesians 5章6~10節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:87A、301、354、540番 Romaji transliteration of songs 招詞/Call to Worship第一ヨハネ3章1節 交読文/Line-by-line responsive reading 6番(詩篇Psalm 23)

初めに

 子供たちへ、また皆様への質問です。兄妹姉妹、あるいは先輩や先生を見て、憧れたことがありますか。後から相手に落胆してしまったかもしれませんが、一時期、私たちはきっと、皆、誰かのようになりたいと思ったことがあるでしょう。その人を喜ばせてあげたいとも思ったでしょう。

 パウロは今日の聖書箇所で、イエス・キリストに信頼して従おうとする人(クリスチャン)はいつも光のようにきよくて明るい創造主なる神様の家族で子供になったと言います。私たちは神様の家族になって、きよくて明るい歩みがしたくなります。そしてそれは、お兄様イエス様を喜ばせる歩みだと言います。

一、警告(6~7節)

  • 6節「だれにも空しいことばでだまされてはいけません」とパウロが警告します。クリスチャンは未信者に囲まれて生活すると、現実を疑いやすくなります。世の中では、人間は基本的に善良であり、神様は(存在していても)人に怒って罰することはあまりないとされるでしょう。
    • しかし、神様は罪に対して、そして罪びとに対して怒られます。その愛は恵み深い愛、かつ、聖なる愛であるからです。5節の「淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者」に、「神の怒りは…下るのです。
    • 神様は人を愛するゆえに、正しい事(律法)を教えてくださいました。それは神を愛し人を愛する道でした。その律法に背くことは何でも「罪」であり、永遠の悲惨の悩みに導く毒です。騙されませんように!
  • 7節でパウロは「彼らの仲間になってはいけません」と言います。
    • 「仲間」と訳される言葉は友だちになるなという意味ではありません(第一コリント6:9-10参照)。しかし、3章6節で同じ言葉は「ともに…あずかる者」と訳されます。深い関係に入るな、そして罪を共にするな、ということです。
    • クリスチャンがエペソ5章3~4節のような性的な罪、人を傷付ける言葉、偶像崇拝である貪欲を一緒に楽しむようににプレッシャーをかけられるから、妥協しないように、です。

二、神様の家族へ移された(8節)

 パウロはただ罪に共にあずかるな、と言っていません。神様の家族へ移されて、光なる神様の子供ともされたから、罪に共にあずかれない素晴らしい理由があるのです。

  • 8節前半「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。
    • アイデンティティ(立場)の革命。キリスト者の基本的な立場は「光」と変わりました。
    • 聖書がここで言う「光」は(他宗教と違って)唯一の生ける神御自身に由来するきよさを意味します。「神は光であり、神には闇が全くない」と第一ヨハネ1章5節が言いますが、善悪の観点から善、義、きよさを意味する「光」であられます。
  • 8節後半に、前半に基づく命令があります。「光の子どもとして歩みなさい。
    • 5章1節では、イエス様を通して神様に赦された人は「愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい」愛される子どもに立場を受けています。8節は同じ言葉を使って、「光の子どもらしく〈と、註にある別訳〉歩みなさい」と言います。
    • 言い換えると、「闇」という姓を持っていた人に、神様はきよさの光で照らしてくださいました。聖霊様がその心に、イエス・キリストは本当に自分にとって必要だと悟る「目」をくださって、養子縁組で「光家」へ移されました(第二コリント4章4~6節参照)。そして光の子ども、神のこどもとして、「らしい」歩みを学びます。

三、光の子どもの歩み(9~10節) 

さて、その歩みなどういうものでしょうか。9、10節は短く説明します。

  • 9節は詳しくありませんが、私たちクリスチャンが求めるべき歩みの特徴を、三つの目安として教えます。「あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。
    • 新鮮な桃や林檎の実には芳しい香りがあります。
    • 光の子は愛(善意)も正しさ(正義)も真理(真実)の香りを放つ歩みの実を結ばせます。自分の力ではなく、自分を光の子にしてくださった神様の御霊の助けによります(ガラテヤ5:22-23参照)。
  • 10節は別の観点から、今日の箇所の終わりに「何が主に喜ばれることなのかを吟味し…」と言います。(吟味するという特徴づいた歩み)
    • 」は具体的に、イエス・キリストのことです。
      • 主イエスは罪びとの罪の「闇」を背負い、身代わりとしてその刑罰(6節の怒り)を受けてくださり、日曜日の朝に復活してくださいました。
      • そしてイエスに自分の罪の赦しと永遠のいのちのために信頼を置き、従おうと決心している者なら、主イエスが私たちの憧れのお兄様です。5章4節に勧められた感謝は、主イエスを喜ばせたい気持ちに現れます。
    • 「吟味」するために二つの事が必要です。
      • 聖書にある、はっきりした教えを学ぶ必要があります。愛の基準、十戒が原則を教えます。9節の「善意と正義と真実」もそうです。これが大枠です。
      • 聖書が多くの箇所で伝える、状況に見合った知恵。原則をどのように自分の状況、社会に当てはめるかには、聖書は細かい説明を下さらないことがあります。むしろ、信者は「吟味して」、主イエスはこの状況で何を喜ばれるかを考えないといけません。
    • 聖書が下さる枠組みの内に歩む必要はあります。聖書に書いてあることに矛盾して、背くように、神様は決して導かれません。でもその枠の内(例えば、十戒を守れる範囲内)には、自由があります。霊的に健康なキリスト者は「何が主に喜ばれることなのかを吟味」する、神の変わらない御言葉である聖書を、現代の自分の状況に照らして当てはめるように祈り考え抜く知恵の能力を育みます。
      • それぞれのクリスチャンは光の子どもとして、「善意と正義と真実」を求める、隣人を愛する使命を受けています。ただし、人のためになる数多くの課題(正義、平和、環境、健康衛生など)に対して、関心や賜物の制限によってできる事とできない事、したい事とするべき事をわきまえる知恵が必要です。手段や対策、生活や政治を教会の間で統一させる必要はありません。一人ひとりが聖書的に知恵を働かせて生きることが重要です。神の家族のお兄様イエスの喜ぶことを吟味する、重大な使命と特権です。

結び

 イエス・キリストに信頼を置いている人に対して、第一ヨハネ3章1節(新p481)は「私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです」と言いますが、 続きす。2節によると天国で「光家」に属する子供たちは皆、お兄様イエスに似た者へと変えられます。しかし今から私たちは」憧れて、似ようとします。「キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。」今、あなたはクリスチャンとしてキリストに信頼しているなら、この望みもあります。

 あなたを愛して御自身を捨ててくださった、光の家族に入る資格をくださるイエス様に感謝していますか。導いてくださる主イエスに助けを求めて、主イエスに喜ばれることを毎日、吟味して、歩みたいと思いませんか。

説教について

振り返り:主イエス様の愛を知って、喜ばせるために吟味する努力をしたいですか。

参照聖句:第一ヨハネ1:5・3:1-3、ガラテヤ5:22-23、第一ペテロ2:9

鳴門キリスト教会
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