
2025年8月10日 説教「御国を受け継ぐ者」 “Those Who Inherit the Kingdom”
箇所 Text:エペソ人への手紙 Ephesians 5章3節~6節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:3、140、158、544番 招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 136篇23~26節 交読文/Line-by-line responsive reading 詩24篇(Psalm 24)
English speakers: To sing along, you may view our collection of Romaji transliterations of the hymns (sambika).
初めに
あなたの最高の居場所はどこですか。だれでも、子供たちでも、一番好きな場所はあると思います。家族団欒のときかもしれません。まだ行ったことのない場所かもしれません。休みの時に訪れた旅行先かもしれません。教会の集まりかもしれません。でも、最高の居場所は私たちがまだ行っていない所です。聖書によると、創造主なる神様といつも一緒にいられる、神様の支配によって完全な愛と平和と正義のある、「神の国」「御国」です。行ったことがないが、そこが最高です。そして行くには、一泊二泊する泊りがけではなく、永遠に行く方法以外に行く方法はありません。
でも今日の箇所は、多くの人はそこへ行かない理由を示します。子供にも、行きたい所にはなぜいけないか、理由は色々あるかもしれませんが、神の国に入れないのは、私たちが神様より外の事を大切にするからです。パウロはこの注意をしながらも、まだ神の国に入る希望はあると教える箇所を見ましょう。
一、六つの罪(3~4節)
3、4節は六つの罪に触れます。それらは、神様が下さったことで満足しないで何か、刺激や満足を得ようとするさまよいや放蕩を表現すると言えます。
- 3節の「…淫らな行いも…」と4節の「わいせつなこと」は第七戒、「姦淫してはならない」(出エジプト20:14)に当てはまります。「汚れ」もそうかもしれません。
- 思いでも言葉でも行いでも、神様が贈り物として下さった性を大切にして人を大切にする命令は聖書にたくさんあります。 そして結婚の中で夫婦の性的関係は神様のご計画において良く、美しいものです。
- ところが、神様が愛をもって下さったそういう関係に背いて、軽んじると、人を傷つけ、恥をかかせてしまいます。淫らな行い(浮気など)かそれを求める思いでもそれに仕向ける言葉でも、神様からすると罪です。※⑴
- 他に書かれている罪「貪り」(3節)と「愚かなおしゃべり、下品な冗談」(4節)は、関係があるかもしれません。
- 第十戒は「…すべてあなたの隣人のものを欲してはならない」(出エジプト20:17)と教えますが、与えられているものへの不満を神様に示し、求めてはいけないものまで求めてしまいます。
- エペソ5章5節は、貪りは「偶像礼拝」にも当たると指摘するように、神様による満足でなく他のもので満足を求める罪です。
- 健全な話でつまらないと思って刺激を求め、「愚かなおしゃべり」や役に立たないユーモアを用いるかもしれません。あるいは、食事や持ち物あるいは経験、体験をより多く求めて、幸せになろうと思うかもしれません。
- 第十戒は「…すべてあなたの隣人のものを欲してはならない」(出エジプト20:17)と教えますが、与えられているものへの不満を神様に示し、求めてはいけないものまで求めてしまいます。
- また、背景には、もう一つの十戒、第三の「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない」(出エジプト20:7)もあります。クリスチャンはキリストの名を掲げる者、神の国の国民、神の家族の一員として、何がふさわしいかも考えます。
- 3節「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく…口にすることさえしてはいけません。」要するに、教会の中ではそういう人がいるという噂もないように歩みなさい、です。
- 4節の罪は「ふさわしくありません。」
二、御国を受け継ぐか怒りを受けるか(5~6節)
今までの六つの罪はなぜ、問題なのでしょうか。5~6節は、3、4節の手段の罪で求めるのは的外れ、また損害でもあることを教えます。
- 罪がある程度の楽しみを与えるかもしれないが、遥かに重要な喜びである「キリストと神との御国」を受けられないようにします。
- 「キリストと神の御国」は聖書の大切なテーマです。完全な秩序と喜び、正義と愛によって導かれ、神様の直接のご支配は完全に明らかにされる国です。私たちの今の寂しさ、不愉快、不足の多くはこの世の不十分そして人間の罪によってもたらされていますが、それを全て取り除き、完全な世界に造り変えられるのは神の王国です。
- イエス様は約2000年前にそれを建国されました。イエス様が再び来られて、最後まで神様を拒んだ人々を裁いてから、御国は完成します。
- 「キリストと神との御国を受け継ぐことができません」とは、そこに入り住む特権を持たないということです。3節の三つの罪を犯す人はそうだと言います。
- 「キリストと神の御国」は聖書の大切なテーマです。完全な秩序と喜び、正義と愛によって導かれ、神様の直接のご支配は完全に明らかにされる国です。私たちの今の寂しさ、不愉快、不足の多くはこの世の不十分そして人間の罪によってもたらされていますが、それを全て取り除き、完全な世界に造り変えられるのは神の王国です。
- その代わりに、義なる「神の怒り」に価すると6節は述べます。「不従順の子」として、怒りを受けるはずです。エペソ2章1~3節参照。聖書が教える地獄は、神様の燃える怒りを受け、永遠に神に敵対する悲惨な状態です。
- では、この手紙は基本的にある教会の内の人々に書かれているものですから、クリスチャンはこの罪を犯したら、神の御国から突き落とされるのでしょうか。そう教えていません。
- パウロは多くの箇所で、教会に向かって語りますが、目で見える(信仰告白を同じくする)教会の全員がちょうど、「御国を受け継ぐ」人と同一とは見做しません。信仰告白したがまだ本当に神様に立ち返らず、イエスに信頼を置いていない人がいるかもしれないから、教会の中の人にも今日のメッセージを発します。
- 同時に、教会の外の方には、神様の注意そして立ち返るように招きます。
三、御国を受け継ぎ、感謝する者たち(4~5節)
- 今日の箇所は注意と警告でいっぱいですが、御国を受け継ぐ者たちもいることを前提としています。でもそれは誰でしょうか。私たちは、罪びとばかりです。贈り主神様への期待と感謝の代わりに、神の贈り物に満足を求めてしまいます。思いと言葉と行動で刺激を求め、楽しみを求め、神様の善さを蔑ろにします。つまり、今日の六つなどの罪を犯してしまう罪びとです。
- ところが、御国を受け継がせるのは私たちの行いではなく、キリストと神の御業です。
- エペソ3章6節(新p387)「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」(参照:1章13~14節、2章3~6節)
- 2章3節で教会の中の人もかつてはて「不従順の子ら…御怒りを受けるべき子ら」だったのに、神の怒りをイエス・キリストが十字架の上で代わりに受けてくださいました。だから、どの背景でも、神の国を受け、入る資は「キリスト・イエスにあって」与えられます。自分の罪を認め、イエス・キリストが怒りからの救いと御国を与えるために神様の怒りを代わりに受けて復活してくださった主だと信じて自分を委ねるだけで、「共同の相続人になり…ともに約束にあずかる者になる」のです(ローマ10:9)。それにふさわしく歩むように、聖霊様が変え続けてくださいます。
- だからこそ4節で「むしろ、口にすべきは感謝のことばです」とあります。苦しい状況はクリスチャンに与えられます。しかしどの状況にあっても、神様が良いことをなさると信じて感謝するように、聖霊様が助けてくださいます。
結び
課題 私たちは与えられたモノで満足せず、神様以外を求めて、神の国に入れないような者たちです。 福音 しかし、イエス・キリストを信じる教会よ、私たちは御国を受け継ぐ者たち、神の怒りから救われた者たちです。まだ信じていなかった方は、神様の恵みと助けにより、同じように受け継ぐ者になることができます。 適用 従って、神の怒りから救われ、むしろ私たちを救ったイエス・キリストそして父なる神様の御国に入る特権をいただいたものとして、私たちはどうしましょうか。4節のとおり、感謝しましょう。「天なるさかえに入らせたまえり」キリストに感謝して、次の賛美も歌いたいと思います(讃美歌158番)。
説教について
振り返り:神の国を受け継がせるイエス様に、生き方で感謝を表していますか。
参照聖句:ローマ6:23、第一コリント6:9-11、エペソ1:14・2:3-10・3:6
註
※⑴ マタイ5:27~30、ウェストミンスター小教理問答第72問。