
2025年8月3日 説教「永遠の誉れ」 “Praise Enduring Forever”
箇所 Text:詩篇 Psalm 111篇 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:88、185、280、284、542番 招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 136章5~9節 交読文/Line-by-line responsive reading 44番ルカ1章「ザカリヤの歌」Zechariah’s praise, Luke 1
初めに
すごい!と誰かの素晴らしさをほめたいと思うことはありますか。感心せずにいられない、素晴らしい技術や優しさ、信念を持つ人はいるかもしれません。匠、家族や人道的に労苦した人を見て、尊敬して、楽しんで、ほめたいと思います。元気をもらって、多少の希望も抱くかもしれません。
だれよりも、何よりも遥かに賞賛を受けるべき、魅了し、望みを与える創造主なる神様がおられます。私たちの最高の生きがい、生きる目的は、その神の素晴らしさを誉めるだけでなく、喜ぶことでもあります。⑴ 私たちが神様のしてくださった事(御業・みわざ)と、教えてくださった事(御言葉・みことば)を知れば、讃えて、喜ぶようになると、この詩から学ばれると願います。そしてこれによって、望みをも持つことと願います。
一、詩の流れ(1~10節)
- 主を誉めて、慕う人(1~2節)
- 1節1行「わたし」は信者ですが、特に信者の指導者、もしかして多くの詩篇の作者ダビデ王の子孫をも指すかもしれません。⑵
- 1節2行「主の会衆において」賛美し、喜び合う姿です。
- 2節「【主】のみわざ…を喜ぶすべての人」はその御業を知ろうと熱心に「尋ね求め」るのです。
- 神の御業(2~7節1行目)神の御業・行いの思い起こし
- 2節1行「【主】のみわざは偉大」、そして「威厳と威光」という特徴を持ちます。
- 3節2行「その義は永遠に立つ」いつまでも変わらない、聖なる基準の義を持っておられます。社会の基準は変わり、人の考えは変化しますが、神の義はいつも信頼できます。
- 4節 神様は「奇しいみわざ」で働かれ、人に覚えられるものとして「心に刻まれた」のです。しかも、そのわざの特徴は「情け深く あわれみ深い」心を表します。最近、あなたはどのようにそれを経験されましたか。
- 5~6節は具体的な「奇しいみわざ」を思い起こさせて、主がイスラエルの民を奴隷生活のエジプトから導き出し、「食べ物を与え」、「国々のゆずりの地をご自分の民に与え」たことを記念します。(出エジプト記からヨシュア記にかけて記述されていること)
- 神様は人の関係、歴史に関わってくださり、導いてくださいます。
- 「奇しいみわざ」をなさる理由は、5節2行の「ご自分の契約をとこしえに覚えておられる」ことです(9節参照)。神はアブラハムを祝福し、他の国にも祝福をお裾分けする人とすると一方的な契約を下さいました。その契約は、神の御業を約束する神の御言葉でした。
- 7節1行は「御手のわざは真実と公正」と、神様の行いの信頼性と義を讃えます。
- 神の御言葉(7節2行目~9節)焦点は神の御業・行いから、御言葉・教えへ。
- 7節2行「そのすべての戒めは確かである」と言います。「戒め」は神様が愛をもって命令として、教えてくださったことです。十戒にてまとめられている教えです。
- 8節「それらは世々限りなく保たれ 真実と正しさをもって行われる。」神様の戒めは今も必要であり、私たちを導きます。神様の真実と正しさが周りに見えないのが現状ですが、神様はご自分に信頼する者を正しさへ導こうとされます。
- 9節1行はまた神の御業に戻り、過去の「贖い」を喜びます。イスラエルの「御民」をエジプトの国の奴隷生活から導き出すために、神様がエジプトの王の反抗の代償としてエジプトに刑罰を下された出来事です。
- 9節3行「主の御名は聖であり 恐れ多い」は、神様に近づく資格を持たない人の方に神様が近づいて民としてくださることを、畏敬の念を抱かせる、恐れ多いことだと教えます。
- 神の誉れを信じて、喜ぶ人(10節)焦点は1節同様、神様に贖われた民にまた戻ります。
- 10節1行「知恵の初め それは【主】を恐れること」その御業と御言葉、いつまでも残る契約を思えば、畏敬の念を抱くのは意味ある知恵の基礎です。
- 10節2行「これ」は恐らく7節の戒め、あるいは主への恐れから始まる知恵のある行いでしょう。神様の戒めに従って、神様を尊び恐れる者は「賢明さを得る」のです。
- 10節3節「主の誉れは永遠に立つ」次の詩篇112篇でも書かれているように、神様を慕って恐れる人によって、神様の栄光の誉れは永遠に讃えられていきます。詩篇はこうして、喜びで終わります。
二、テーマ 神の永遠に有効な御業と御言葉に基づく、永遠の誉れ
この詩において、神の御業と御言葉に基づく、永遠の誉れでまとめられます。
- 「永遠」のテーマ
- 神様の御業は義であり、「永遠に立つ」(3節)。
- 神様が民に下さった契約(神の御業を宣言した御言葉)の関係は2回も「とこしえに」(5、9節)
- 神様が下さった「戒め」も「代々限りなく定められた」もの(7、8節)。
- 結果として、神への誉れも「永遠に立つ」のです(10節)。神様は永遠に賛美されるべき、私たちの全身全霊の賛美と奉仕と期待に価する方です。
三、キリストによる永遠の誉れ
- 結局、詩篇111篇は私たちに、神様を誉めるべき理由を教えますが、実際に神様を誉める力と恐れと愛を与えるのは「するべき」という戒めではなく、神様の恵み深い契約による贖いです。詩篇111篇はまず過去の契約を神様が守ってこられたと謳います。さらに、変わらない神様は今の私たちにも、その古代の契約に基づく新しい契約、贖い、賛美する理由を下さいました。
- 私たちは古代イスラエルのように、心の奴隷生活からの解放、贖いが必要です。神様を誉め讃えるより自分を第一にしたいという、罪の衝動が私たちを奴隷としました。
- 神の戒めを守り切れず、必ず神様の裁きを受けるべき者です。もう一つの、いわゆる古い契約がそう教えています。ところが、ヘブル人への手紙9章15節がこう述べます。
- (新p448)「キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。」
- イエス・キリストが詩篇111篇の御業と御言葉を、より良い契約の贖いで成就なさいました。十字架で死なれ、キリスト者の霊を「違反から贖い出す」御業をなさいました。(罪の刑罰から、身代わりとして)そして、復活して私たちの未来の復活と「永遠の資産を受け継ぐ」ようにする、身体の贖いの御業をもなさいました(ローマ8:23参照)。
結び
だから、神の民は今の「会衆において」、そして死んでも天国で、そして復活して新しい天と地で永遠にイエス・キリストを誉め讃えます。私たちは現世利益や安定感の「世ののぞみ」によって歌いません。神様の威光、義、恵みに満ちる御業、そして確かで真実、公正に満ちる戒めの御言葉によって罪とその刑罰から贖い出されれて、主イエスの贖いにこそ魅了されます。
私たちの「のぞみは ただ主にかかれり」と歌います。本当に偉大な神様に感謝と賛美が永遠に、私たちの歩みと口から溢れますように。
礼拝の後
振り返り:神様の御業と御言葉を信じて、イエス様を讃えたくなりますか。
参照聖句:申命記6:5、ローマ11:36・8:23、ヘブル9:15
註
⑴ ウェストミンスター小教理問答第1問参照。
⑵ 直前の110篇がメシアをダビデの主と読んでいるので、文脈からするとメシアが「わたし」と捉えるのが良いでしょう。