
2025年6月22日 説教「心の着替え」 “Hearts Redressed”
箇所 Text:エペソ人への手紙 Ephesians 4章17~19節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:56、507、250、542番 招詞/Call to Worship:ローマRomans 6章4~8節 交読文/Line-by-line responsive reading 32番 詩Psalm 139篇
(2025年6月21日更新)
初めに
看護師、警察官、スポーツ選手、学生…皆は、制服、ユニフォームがあって分かりやすいですね。
だれなのか(立場)、どこの人か(所属)、人目で分かります。そしてユニフォームが間違ったら、大変なことになります。もし大谷翔平選手が突然、ロスアンゼルス・ドジャーズでないユニフォームを着て球場に入ったら、ざわめくでしょう。所属チームを変えたのか!?と。
パウロは4章17節から始めて6章まで続けて、クリスチャンが自分の所属チームと立場(アイデンティティ)を覚えて、それらしいように生きることを励まします。神様の子どもでしょう、イエス様のチームに所属するでしょう、だからそのとおりに生きなさい!と。
三つの部分で、かつてのむなしい心の歩み(17~19節)、キリストを学ぶこと(20~21節)、キリストに学んだ素晴らしい立場変更(22~24節)を学びます。
一、むなしい心の歩み(17~19節)
- まず、パウロはまず17節初めで「ですから私は言います。主にあって厳かに勧めます」と前の段落から移ります。16節までのとおりに、イエス・キリストが教会に宣教者を下さり、その宣教者を用いて教会を成長させることを踏まえて、これから話します。
- 17節後半「あなたがたはもはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。」エペソのクリスチャンのほとんどは「異邦人」でした(2章11節参照)。しかし、霊的な「イスラエル」は神様に心が変えられている人のことです(ローマ2:28-29)。そして、教会に加えられた者は本当の「イスラエル」に入れられ、スポーツ選手がチームを変えたように、新しい目的、戦略で生きるのです。かつての自分たちの歩みのむなしさを思い出して、そこから離れてほしいのです。
- イエスから離れ続けている人、「異邦人」の歩みはなぜむなしいのか。18~19節
- 18節 理解・考え方が暗く、むなしいです。どんなに立派な哲学も発明も、神を喜ぶには役立ちません。社会貢献を求めても、神様を離れては、ただ一時的な成功しかありません。
- 18節 「無知と、頑なな心のゆえに」神様に敵対する心です。頑固に、神を離れて成功して、生きたいのです。
二、キリストを学ぶこと(20~21節)
ところが、20、21節によると、教会はいわゆる異邦人と違う道を教えられました。
- 20節「しかしあなたがたは、キリストをそのように学んだのではありません。」21節は「ただし、…とすれば、です」と言いますが、これは曖昧な「本当に学んだのかな」という疑いを意味しません。エペソのクリスチャンが実際にキリストを学んだとパウロは思っています。
- 「キリストについて聞き」は未信者として聞いたこと、「キリストにあって教えられていると」はイエスの弟子となってから継続して学んでいることを意味するでしょう。
- パウロは22節の終わりに素晴らしいコメントを添えます。「真理はイエスにあるのですから。」私たちクリスチャンは、かつて空虚な歩みをしていました(17節)。しかし、イエス様こそ、真理であられます(ヨハネ14:6)。私たちに真理、生きる意味、意義を下さいます。むなしい人生に別れを告げることができます。クリスチャンでない方は今日にでも、できます。
三、キリストに学んだ立場変更(22~24節)
さて、イエス・キリストを学んだ人は何を学んだのでしょうか。立場の変更、それはユニフォームの着せ替え、心の着替えと言えます。
- 22節「…腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てる〈た〉こと…」クリスチャンはいわゆる古い人、古い心を「脱ぎ捨てる」のです。その古い心は衣服、スポーツのジャージーのように取り外されます。古い人は罪によって腐っている人ですが、その立場を捨てて、そのユニフォームも脱ぎ捨てます。
- 23節 古い人の衣を脱ぎ捨てる代わり、私たちの思いと心は刷新され続けます。愛をもって真理を語り合い、聖書の真理に親しみ神様に親しむと、人間関係や社会、家庭や仕事の見方も変わるでしょう。これは訳されているとおり、継続中の過程です。
- 24節「真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた…」アダムが神の似姿に造られた際、このように義と聖さをもっておられました。それを失って、むなしく歩んでいた人、いわゆる異邦人の人は、新たに造り変えらます。イエス様に似た、イエス様のチームに加わった者の立場を受けて、キリストの「ユニフォーム」を着ます。
- 24節「…新しい人を着ること…」古い、腐った心の服を脱ぎ捨ててから、新しい服が与えられています。
- 曖昧なのは、特に22・24節に学ばれたことは命令か、神のわざの説明(叙述)か、です。
- 新改訳などは「脱ぎ捨てること…新しくされ続け、…着ること」をキリスト者が教えられた、「脱ぎ捨てなさい…新しくされ続けなさい…着なさい」という命令(imperative)として捉えます。この理解だと、イエス様がしてくださったことの良い知らせ(福音)を学んだから、生き方がそれに伴うようにパウロは教えています。
- 文法的に可能ですが、もう一方で、ローマ6章前半やコロサイ3章9節、第二コリント5章17節の似た話がある箇所では、人また心の入れ替えは神がすでにになさった現実の叙述(indicative)です。断言できませんが、恐らくここでも、信者たちはすでに生まれ変わった(心の着替えをしていただいた)とパウロが言っているでしょう。脱ぎ着が終わっていて、23節の心の刷新は現在進行中です。
- 結局、22~24節が命令でも説明でも、クリスチャンへのメッセージは、神様がすでにあなたを神の子ども、イエス様のチームの者と言う、新しいアイデンティティ(所属・立場)を下さいました。だからこそ、それに見合った、意味ある歩み歩みをしなさいということです。
結び
私たちはキリストを学んだとすれば、制服に合った働き、ユニフォームに合ったプレーをしていますか。心の着替えに伴って、23節のように霊と思いは変えられつつありますし、私たちは所属と立場を変えていただいています。でも、神の民に所属しながらクリスチャンらしくない歩みを求める時はあります(出エジプト20:7、第三戒参照)。でも、大谷選手がもしドジャーズのユニフォームを着ながら、わざと空振りや下手なボール投げをしたら、どうでしょうか。警察官が銀行強盗に走ったら、どうでしょうか。罪の欲に付いて行く私たちクリスチャンはそのような者です。
しかし、イエス様に信頼を本当において、古い人を脱ぎ捨てて新しい人を着た一人一人のクリスチャンに福音があります。二章前のエペソ2章8~10節を覚えましょう。
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。
罪の歩みから離れるなどの行いの前に、新しく造られました。キリストのチームで勝利を確約されて、良い行いに励むよう、変えられました。この良い知らせを信じてください。罪が隙を狙って、何度も来ますが、主が救ってくださいます。新しい人にしてくださり、赦しを与え給うのです(讃美歌250番参照)。だから勇敢に、「悪より救いい出したまえ」と祈りつつ、主の道を歩みたいと思います。そしてもしあなたがまだイエス・キリストを受け入れず、むなしく歩んでいると感じるなら、どうか、お話しください。
礼拝の後
振り返り:罪の誘惑に会い、負けてしまうときでさえ、キリストにあって心変えられたと信じて、助けを求めますか。
参照聖句:ローマ1:21、第二コリント5:17、コロサイ3:9-11、エペソ2:8-10。