2025年6月15日 説教「一人一人の特権と貢献」 “Each One’s Privilege and Contribution”

箇所     Text:エペソ人への手紙  Ephesians 4章13~16節(15~16)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:73、191、393、540番 招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 113篇1~9節 交読文/Line-by-line responsive reading:30番 127, 128篇 (Psalms 127, 128) 

初めに

 子どもでも大人でも、手伝うことは好きですか。役に立つことは好きですか。「助かったよ!あなたがいてくれてよかった」と言われたら嬉しいものです。就職したら、営業実績、製造部数実績などで、貢献がはかられて、この集団にとって有益かと見られてしまうかもしれません。

 さて、創造主なる神様は教会の一人一人を「何ができるか」という目で見ておられるでしょうか。いいえ、イエス・キリストを中心に、教会を造られたとき、愛をもって、愛されるはずがないような人を集め始めました。それは今に至ります。クリスチャンの一人一人に与えられた特権、また、貢献させて頂ける喜びを今日学びましょう。

 第一におひとりのかしらなるイエス・キリスト、第二に、教会の一人一人が受けている特権、第三に教会の一人一人にできる貢献を見ましょう。最後にまとめます。

一、おひとりのかしら(15節後半~16節前半)

 まず、おひとりの主、イエス・キリストがいてこそ、教会の歩みと成長が成り立ちます。

  • 教会はどこへ向かうか、何を目指すのか。15節後半
    • あらゆる点において…成長するのです。」人生のどの部分も、主イエスの支配下に置かれていない点は一つもありません。
      • あらゆる状況、家族や学校、職場、近所付き合い、友人関係、一人でいる時…。あらゆる点において成長できるように、キリストが教会の中心でありかしらです。
      • あらゆる思いと言葉と行動について、御霊の実の「…愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制…」において、成長を目指します(ガラテヤ5:22-23)。このように成長できるように、キリストが教会の中心でありかしらです。
    • 教会は「かしらであるキリスト」に集中します。これはエペソ1章23節でも出た比喩です。教会はからだが頭に繋がるように、キリストに連なって、従ってこそ、栄えるのです。
  • 16節で「キリストによって、からだ全体は、…組み合わされ、つなぎ合わされ…」とあるように、この後に読む教会の一人一人の特権と貢献は、イエス・キリストから注がれました。要するに、教会の霊的ないのちの源はイエス・キリストです。

二、教会の一人一人の特権(16節)  

 次に、教会の一人一人に、キリストに繋がるからだに含まれる特権を受けています。

  • 16節前半 からだに含まれる特権「からだ全体」はこれまで何回か出たように、キリストのからだと呼ばれる教会です。(エペソ1:22-23)人間の身体が多くの臓器、骨、筋肉、節々から出来ているように、教会は一人一人から出来ています。
  • 意識しなくても、もしイエス・キリストに信頼を置いて悔い改めるなら、あなたは教会全体に入っています。(逆にそうしていなければ、見える教会で名簿にて会員となっていても、究極の意味で、入っていません。本当に入れられるよう、願います。)
    • 過去にエペソ書2章、3章でも、ユダヤ人でも異邦人でもどの背景の人でも、イエス・キリストが犠牲を払って、敵同士でも和解して神様と和解されたことを読みました。神様の一つの家族、また一つの宮になるとも読みました。
    • そしてイエス様は御自分の「からだ」として扱うということは、受け入れられるということです。背景と関係ありません。招詞、詩篇113篇7~8節のとおりです。陥りがちな失敗また罪と関係ありません。キリストをかしらとする教会は、キリストの深い愛の対照です。神はイスラエルに対して「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と言われました(イザヤ43:4)。まさにイエス様が教会に同じ眼差しを向けておられます。

三、一人一人の貢献(16節)

  • 最後のポイントですが、一人一人の貢献によって、教会は成長します。それは成長はキリストのからだ、また神の住まわれるお家(宮)としてたくましく、元気に成長します。
  • この貢献は、第一にイエス・キリストがなさせてくださいます。
    • 貢献する力と助けはキリストから来ます。まず霊的ないのちを下さいます。霊的に死んでいた私たち、イスラエルの祝福から疎外されていた私たちを、主イエス様の十字架での犠牲と復活によって、霊的に生かし、また和解させてくださいました(エペソ2章)。エペソ4章7節のとおり、それぞれのクリスチャンは「キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。」私たちは聖霊様から霊的ないのちも賜物も受けているから、貢献できます。
    • 貢献する動機付けもキリストから来ます。「いともとうとき 主くだりて」、私たちを裁いたのではなく、まず「血のあたいもて 民をすくい」なさいました(讃美歌191番)。私たちはキリストの愛に応答して、キリストが愛するからだの教会に貢献したくなります。
  • 第二に、教会に入れられた一人一人が個人的に貢献します。
    • 16節後半「…それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」どの部分も重要です。「からだ全体」は、「あらゆる節々」、「それぞれの部分」で成り立って、成長します。
    • 小さな節が無いだけで、指が使えず、手が使えず、仕事ができません。神様はあなたが何かできるようになさいました。何かしようと思わせるほどの愛をくださいました。礼拝で神様のみ言葉に共に聴き、神を誉め讃えたりすることこそ、互いにそして主なる神様に仕える「貢献」です。その延長線上に、身体的、物質的な支え合いも、聖書と祈りの分かち合いも大きな貢献になります。キリストのからだ全体は共に、成長します。
      • 第一コリント12章26~27節(新p345) 一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。

結び

 今日の三つのポイントから二つの適用を申し上げます。

 1)キリストが教会のかしらであるゆえ、私たちはキリストとの生きた関係を受けて、キリストに向かって成長を追及できますように。それを楽しんでいますか。イエス・キリストを離れては、意義ある成長はありません。私たちは弱過ぎて、罪が心に深く根ざし過ぎて、神様との関係を喜べません。しかしイエス・キリストこそに拠り頼み、さらに喜ぶなら、成長できます。

 2)教会は多様な一人一人から一つとされ貢献できるようにされているゆえ、互いを愛しようとして仕え合うことができますように。キリストのからだは社会では中々見ない、不思議な組み合わせです。年齢層、性別、家、趣味、職種、文化の違いがあるのに、一つとなって礼拝し、共に祈ります。それぞれにとって、心地よくないことがあるでしょう。でもキリストによって一つだからこそ、「愛をもって真理を語り」成長を目指しましょう。

 会衆の公の礼拝の裏方である司会や奏楽だけを考えていません。寧ろ、互いのために祈ること、聖書を互いと分かち合うこと、この意味でも14節のような誤った教えについて互いに忠告し合うことは「愛をもって真理を語」ることの具体的な意味だと思います。なお、教会で負った傷によって集うのが苦しい場合、特別なケアは必要です。しかし、キリストのからだから切り離されないで生きるために、私も小会も周りのクリスチャンも、最善を考えたいと思います。

 以上のように、本当のクリスチャンは皆それぞれ違いながらも、キリストとの生きた関係で成長することができるようにされています。「自分は自分だけでやっていく」のでもなく、「私には何もできない」のでもありません。尊ばれて、神様と和解させられたら、教会の一人一人は共に、互いのために、成長していきます。犠牲的に愛されて、愛し合って、成長しようではありませんか。

 

礼拝の後 

振り返り:キリストのからだに入る特権を感謝していますか。どう貢献したいですか。

参照聖句:ガラテヤ5:22-23、詩篇113:7-8、イザヤ43:4、第一コリント12-13章

鳴門キリスト教会
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