
2025年6月8日(ペンテコステ主日) 説教「愛をもって、真理を(成熟の指標②)」 “Growing in Love (Mark of Maturity 2)”
箇所 Text:エペソ人への手紙 Ephesians 4章13~16節(15~16節)聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行
説教者:百瀬ジョザイア
讃美歌/Hymns:10、71、196、544番 招詞/Call to Worship:詩篇Psalm 103篇15~22節(旧p1041) 交読文/Responsive reading:45番 コリント前書13章(1 Corinthians 13)
初めに
正論をきつく、ガミガミ言う人か、問題があるのにないかのように、見て見ぬふりしてあなたの失敗をただ見る人か、優しく「それは問題だよ」と言う人か。どういう友だちを持ちたいですか。あなたはどういう友だちですか。人間関係で、正しさと優しさ、今日の箇所の表現を借りると、真理と愛のバランスは難しいです。
でも教会はそのバランスを求める目的があります。社会でも家族でも当てはまる原則ですが、第一に教会の歩みの為に書かれていることに目を向けましょう。
愛をもって真理を語る(15節前半)
「むしろ、愛をもって真理を語り…」15節は14節の「もはや子どもではなく」と対照的な、積極的な指標です。成長の目的です。まず「愛をもって…」に注目しましょう。
- 愛を持たないで真理を語る罠 愛を抜きに冷たく聖書の律法の「正論」を述べることに注意が必要です。愛していないなら、真理も中途半端なものになります。なぜなら、真理である神様、光である神は、愛でもあられるからです。
- 相手の言い分を聞かず、こうだろうと相手の思いを推測して、ただ批判するのは避けるべきです。これはイエス様が禁じられた「さばく」ことかもしれません(マタイ7:1)。
- 自分が他の人より良いと思うなら、愛を抱かないで上から目線で話しやすいものです。
- 教会では、私たちは必然的に「家族」です。父なる神様が愛し合うことを求められます。
愛をもって真理を語る(15節前半)
- 愛している積もりで真理を十分に伝えない罠(日本ではありがち?)。聖書から律法にある神の善悪の基準及び喜びを与える福音の真理を擁護して伝えることは、愛の表現でありえます。
- 【日本での傾向】「一致」や「和」という表面だけの「愛」を優先させて、言いにくい事を言わないことがよくある世の中です。残念ながら、中途半端な愛です。相手の永遠の幸せに至らないことを黙認してしまうからです。
- 人の顔色を窺うかもしれません。争いを避けて、迷惑にならぬようにとそっとして置こうと思って、いつまでも伝えるべきことを伝えないかもしれません。祈って見守るべきときもあろうが、いつまでも「見守る」のはできません。愛するなら、真理も語る使命があります。
- 【さばきとの違い】律法と福音を守っていない(忘れかけている)人に、それを伝えることは「さばき」とは限りません。さばくことは、自分の罪を無視して、他の人を見下すような、身勝手な独断の態度です。しかし、愛を持って示してあげながら、聖書に従って義と罪を判別して、罪を指摘することは違います。マタイ7章1節の有名な「さばいてはいけません」の続きからしても、愛ある判別と指摘はクリスチャンの義務です。
- 【律法主義との違い】律法と福音を守っていない(忘れかけている)人に、それを伝えることは「律法主義」とも限りません。「こう守れればあなたは受け入れられる」と言う態度に「律法主義」はありますが、私たちを造られ、愛され、またクリスチャンをすでに赦しておられる神様が感謝に満ちた信仰と従順を求めるのはご尤もなことです。寧ろ神様に対する愛の現れを求める、神が愛をもって伝えることです。
- 【日本での傾向】「一致」や「和」という表面だけの「愛」を優先させて、言いにくい事を言わないことがよくある世の中です。残念ながら、中途半端な愛です。相手の永遠の幸せに至らないことを黙認してしまうからです。
- エペソ4章15節の箇所自体も私たちに愛を示して、真理を語ります。私たちが互いを愛するなら、真理を語り合うことを学ぶでしょう。これが私たちの成長に繋がり、喜びを与えます。
三、成長するからだ(15節後半、16節後半)
- 愛なく真理を冷たく、高慢に語ると破壊的な結果になる危険があります。また、優しくそっとしておこうとして、結果として人を見殺しにする危険もあります。しかし、愛をもって真理を語ると、神様は霊的ないのちと健康を下さいます。そして健康な身体は成長もします。
- 愛のある成長は健康な教会の指標、目標です。
- 15節後半によると、愛をもって真理を語る教会の共同体は「あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」
- 16節後半でも同じです。教会は「成長して、愛のうちに建てられることになります。」
- 今日はペンテコステの日ですから、教会の歴史経験も少し考えましょう。イエス様の受難と復活、昇天後のペンテコステの祭りの日に、聖霊様がキリスト信者に降られました。その結果、教会の共同体が本格的に始まりました。初期の教会の歩みは、「…毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し…」と使徒の働き2章46、47節(新p236)に書いてあります。
- さて、「毎日心を一つにして」時間を共に過ごし、「真心をもって食事をともにし」ていくために、どういう心構えが必要だったでしょうか。初代教会にも葛藤や議論は色々出ました。そういうときに目をそらさないで、愛のある解決を求めました(6章執事職の起源、15章異邦人クリスチャンの受け入れ方など)。
- パウロも、エペソの教会の長老たちに「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがた一人ひとりを訓戒し続けてきた…」と使徒20章31節で言いました。愛をもって、真理を語る姿勢が歴史的に健康な教会を支えてきた訳です。
結び キリストの真理と愛
- 【課題・律法】以上、私たちは第一に聖書、第二に大昔の信仰の先輩たちのように成長するために、真理を、しかも愛をもって、語っているかと問われます。
- 【難しさ・罪】キリストの弟子となり永遠の幸せを経験していない限り、他の人に、愛をもって真理を伝えることは本来不可能です。愛と真理を本当に知るには、キリストのもとに来る必要があります。また、キリスト者が愛をもって真理を語る難しさを、教会内外にかかわらず、覚えます。相手を愛さずに真理を述べるか、愛の名目で真理を避けるか、どちらか(両方)に陥る者たちです。
- 【神様・福音】創造主なる神様のみに、私たちの成長の希望があります。神は光、正義そのものであり、また愛でもあられます(第一ヨハネ1:5・4:8)。
- 神から来た聖書、そして主イエス・キリストは神の義、神の律法を伝えます。「愛をもって真理を語りなさい」という「律法」の真理の模範です。
- それだけではありません。愛をもって真理を語りなさいという目的に何度も失敗して、神様の命令を守られない私たちに、神様が赦しと和解を差し出します。良い知らせ(福音)は、私たちの罪そして赦しの知らせを示します。コロサイ2:13-14、新p403参照。
- 十字架は私たちに真理を突き詰めます。私たちの問題は、あれ程に惨くて、深刻な罪です。神様を愛さず、神様の真理を拒む私たちは神の裁きと呪いに値するものだと、十字架ではっきりと「債務証書」のように示されました。
- 同時に、十字架は恵み、愛を届けました。死ぬべき私たちが霊的に生かされて、赦されるように、イエス様が身代わりとして死んで、神に受け入れられる義を証明して、復活してくださいました。その方の義を私たちが持つように扱われ、赦され、神に近づく様に歓迎されます。
- 罪が十字架で露わにあれているなら、何も隠さなくても良いです。恥はイエス様が代わりに被ってくださいました。神の真理と愛を信じて、和解を受けて、歩まれます。
- あなたはどのような人でありたいですか。愛をもって真理を語る、必要なときに優しく「それは問題だよ」と言う人ですか。そうであれば、イエス様に信頼を置いて、教会を満たす聖霊様に従えるように、祈りましょう。『讃美歌』196番で歌うように、「愛の神」の助けによって、私たち教会は「きよき愛の みてる宮」として共に歩みたいと思います。
礼拝の後
振り返り:あなたは真理か愛、どちらを重視しがちですか。キリストの救いで示された、真理と愛の犠牲に希望を置いて、真理と愛のある人間(教会)関係を求めますか。
参照聖句:エレミヤ8:11、使徒2:42-47、コロサイ2:13-14