
2025年5月11日 説教 「一致して成熟する教会」 “The Church, United and Maturing”
箇所 Text:エペソ人への手紙 Ephesians 4章11~16節(特に13節) 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:百瀬ジョザイア 讃美歌/Hymns:56、62、280、542番 招詞/Call to Worship:詩篇 Psalm 24篇7~10節 交読文/Line-by-line responsive reading:12番 詩42篇 (Psalm 42)
初めに
他の人の成長を見るのは楽しいですか。子どもや孫の成長、成熟をみると嬉しいですね。でも、からだだけの成熟ではなく、むしろ、人として、心が成熟するのはもっと大切です。何歳になっても、身体がどんな状態でも、心は成熟することが可能です。パウロが第二コリント書で言ったように、「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(4:16)
エペソ書4章11~16節でキリストの教会とはどういう存在かという現実も、それが何を目指す成熟の目的と目標をも書いてあります。前回、イエス様が下さった宣教者・教職者を適切に受けるテーマでしたが、13節から、その宣教者の目的、つまり教会全体の成長について学びたいと思います。
一、宣教者と教会の皆の目的
去年、毎週共に読んだ箇所でもあるエペソ書4章13節。
- 文法上、13節は12節の続き、また狙いです。
- 原文は一番最初に「まで」と入れています。13節のように成長するまで、牧師などの宣教者たちの働きが続きます。キリストが宣教者を教会に賜わって持った目的は、13節の通りに教会がなる目的でした。
- 宣教者たちはこの目的に達成するように、一生懸命に努める責任を持っています。(エゼキエル33:1-9、使徒20:18-35、第一テモテ4:10-16)
- しかし宣教者だけでこの目的は達成されません。「私たちはみな…」が賛同し、経験していなければ、この目的を楽しむことができません。16節でさらに深く、信徒一人一人の特権と責任は書かれています。しかしすでに、「私たちはみな」は目的を受けています。パウロは三つの表現を使って、一致する教会そして成長・成熟する教会の目的を伝えます。
二、一致して成熟する教会
「神の御子に対する信仰と知識において一つとなり…」神の御子、つまりイエス・キリストをどのように見て、どう信じるかについて共に同じ信仰を持つことを目指します。
「クリスチャンはすでに神の御子、イエス様に対して信仰と知識はないのか、或いは一つとならずバラバラになっているのか」という疑問はあるかもしれません。目的が段階的に達成されることです。救いは聖書で過去の出来事として、現在進行形の経験として、また未来の希望として、三つの観点から書かれています。ここでもそうです。
- すでに達成したという「今」、一致があります!クリスチャンは、創造主なる神様に対する自分の反抗的な罪を意識して、イエスを自分の主として受け入れ、特にイエス様が自分の代わりに神様に赦され歓迎されるように死んで復活してくださり、生きておられると信じています。こういう知識を持って、さらに信仰を持っています。そして4章3節にあるように、クリスチャン同士はすでに「御霊による一致」を頂いています。
- しかし、私たちの一致は未完成です。究極的に、新しい天と地で神の国が完成されるまで待たないといけません。
そして、経験上、私たちはクリスチャン同士で同意できないこと、イエスに対する信仰でギャップを感じることがあり得ます。でも「それは未来の天国まで待つ」と諦めません。私たちは完全でなくても、神様は私たちを今、益々一致に進ませようとしてくださいます。神は宣教者の12節の忠実な働きを通して聖書を伝え、その中で御子イエス・キリストを掲げると、聖霊様の働きによって、目的が達成されます。
「一人の成熟した大人となって」キリストのからだであるというイメージを使って、教会の成熟を目指します。14節に述べられる悪い教えに対する成熟ですから、この目的も、天国での完成ではなく、今、経験できる成長です。今日、私たちの日常において、私たちが教会として成熟しつつ歩むことをパウロが、神様が目指しておられます。
「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する」と三つ目の目的があります。「伸びる」ように願って、教会の働き人は務めます。「成熟した大人」はイエス様のように、神様中心と隣人愛の姿です。
- イエス・キリストが完全です。教会も完全へ向かいます。これも、地上では完全に達しません。しかし聖霊様が私たちを満たし、私たちは「かしら」なるイエス様に見合ったからだとして成長します。
16節では、教会は人間のからだに喩えられ、イエスはその頭(かしら)に喩えられます。そういう意味でも、教会の皆はイエス様に向かって、イエス様のために成長したいと思います。
御子イエスを見上げて成熟する
- 今日の箇所で最後に、私たちがどこへ向かって進むべきか述べなければなりません。私たちはキリストを益々知り、信じることによって成長できます。当然のようでも、忘れがちです。
- キリストは教会の学びと信頼が集中する方です。「神の御子に対する信仰と知識において一つとなり…」(13節)
- キリストは教会の模範です。「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する…」(13節)
- 問題は、私たちがよく、自分中心に生きようとすることです。自らの力で成熟をしようとするか、成熟を諦めるかです。
- 個人的に、或いは教会としても、自分の能力や聖書知識に集中するかもしれません。成功すれば自慢したり、逆に自分の能力や聖書知識が伸びないと、落ち込んだりする結果になります。
- あるいは、一致や成熟を求めるのが疲れたり面倒だったりして諦めるかもしれません。
- 確かに、イエスを心から信じたなら、天国へ向かっているという保証はあります。
- でもそこから自分中心に生きるのは勿体な過ぎます。本当の信仰には、イエスにより頼み続けて、悔い改めてイエス様に近づこうとする思いもあるはずです。
- 人間は息ができているだけで素晴らしい生命はあります。でも、不健康な身体か健康な身体か、どちらが良いですか。霊的生命あるだけで意味と希望を薄っすらとしか持てずに歩むのはなんと勿体ないことか。自分中心でなく、神様中心に生きることこそ喜びですし、成熟することに私たちの霊的いのちが豊かになります。
- 私の願いは、私たち皆が神の栄光をあらわすこと、そして神を永遠に喜ぶことを今、すでに最大限に経験しているのを見ることです。そのために、常に「神の御子に対する信仰と知識」を求めましょう。
- へブル12章1節後半、2節 …一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。
- 主イエスを見上げましょう。永遠に変わらない方(ヘブル13:8)、世の光(ヨハネ8:12)。良い羊飼い(ヨハネ10:14)、十字架で人の侮辱と神の裁きを忍んで、私たちを天国の完成と完全な成熟へ導く権威を持ってくださいました。私たちの赦しを獲得して、私たちに必要な義を転嫁してくださいます。
- クリスチャンの兄弟姉妹、キリストがあなたのために働かせておられる義、力と愛を感じ取れますか。ノンクリスチャンの友、キリストの助けと救いを受け入れませんか。背景と関係なく、神の御子イエスを信じて、生きた関係で知る者は教会で共に、一致して、成長できます。共に、キリストを信じて知ろうと求めようではありませんか。
礼拝の後
振り返り:イエス・キリストを求めて、成熟したいですか。
参照聖句:エペソ2:8-9、4:3、ヘブル12:1-2