2025年3月23日  説教「一つ」 “One”

 箇所     Text:エペソ人への手紙  Ephesians4章4~6節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 説教者:百瀬ジョザイア  讃美歌/Hymns:67、85、191、545A番 招詞/Call to Worship:イザヤ Isaiah 43章22~23節 交読文/Line-by-line responsive reading:3番 詩8篇 (Psalm 8)

初めに

 一つの機械やスマホは多くの部品からできて、ちゃんと作動します。それは、ねじや接着剤がそれぞれを繋ぎ合わせるからです。一つの手は5本の指で無数の行動が可能です。それは、指が同じ手のひらに繋いでいるからです。

 教会は十人十色の集まりでも一つとして、神様の栄光を無数の方法であらわせます。でも異なる性格、年齢、性別、背景などの人はどうして(何で)結び合わされてて、一つと言えますか。今日の箇所エペソ4章4~6節は幾つかの重要な「繋ぎ」を教えます。

 この箇所は私たちが慣れている、順序立てた使徒信条とは異なる順番で書かれています。御霊・主・父なる神と順番は普段と逆です。体系的な信条ではありません。むしろ、4章の3節までの話の根拠を短く伝えるリストです。これによって私たちが神様の恵みによって召された召しを覚えて、教会として愛の内に平和を求める勧めの1~3節を後押しする(根拠付ける)箇所です。

一、御霊がもたらした一つのからだ(4節)

 4章3節でパウロは「御霊による一致」を保つように教えたばかりです。4章4節は聖霊様が下さる一致の繋ぎを歌います。

  • あなたがたが召された、その召しの望みが一つ…」エペソ書2章によると、かつては、ユダヤ人たちは神様の前で望みあり、異邦人は割礼などで完全に改宗しない限り、望みはありませんでした。でも今、異邦人にも神の国の望みが平等に分け与えられます。二つの意味:
    • ユダヤ人たちが一つの望み(例えば中東の土地に住むこと)で異邦人たちは別の望み(天国など)で分かれることなく、一つの望みを共有できます。
    • より広く言うと、どんな表面的な違いがあっても教会の中では同じ希望を持って共に前進できます。社会的地位や過去の人生の成功や罪は基本ではありません。どのクリスチャンでも神の国を受け継ぐ望みを受けています(エペソ1:18参照)。
      • 誰でも、創造主に背く罪びととして霊的な死(神様との敵対)と永遠の裁きを受けて然りです。でもイエス様の死でその「死」から逃れて、イエス様を通して永遠のいのちを持つ望み一つが私たちを結び合わせます。
  • 「…からだは一つ…」キリストのからだと呼ばれる教会の共同体にいる全てのクリスチャンは一つです。役割が違っても、一つのからだの各部分であるとパウロは他の書簡で伝えます。
  • 御霊は一つ…
    • 聖霊様は主イエス様がもたらしてくださった祝福を、教会に加わる人に届けてくださいます。4章3節の「御霊による一致」もその祝福の一つです。
    • なお、私たち人間を考えてみても、それぞれの身体と一つの霊魂が結び合わされています。「御霊はひとつ」・おひとりであり、霊的に生かしてくださっているからだの教会も確かに一つと言えます。

二、主イエス中心の信仰とその洗礼(5節)

 次の5節はイエス様とキリスト中心の歩みを示します。

  • 主はひとり…」これはイエス・キリストを指します。
    • 頭(かしら)なる主イエス様はおひとりなので、一つのからだだけがあります。エペソ1章22、23節で主イエスは「すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり…」と言われました。
    • また、2章13~17節によると、イエス様は分かれていたイスラエルの民と異邦人とを、十字架の死を通して、ただ一つの、調和した共同体として創造してくださいます。私たち個人は皆、ひとりの主に繋がって一つです。
  • 信仰は一つ…」信じる気持ちと言うより、信じている内容を指します。全てのクリスチャンが共通して信じることはあります。細かいことで意見が分かれても、聖書の中心の真理については、教会は時間を重ねて聖書を念入りに考えてまとめて、使徒信条などを持っています。
    • 信条や信仰基準は、人を細かいことで分裂させる線引きと批判されることがあります。でも実は分裂させるよりも、すでに分かれていることをはっきりさせているだけです。教派の細かい教えが違っても、中心で一致している人ならキリストにあって兄弟姉妹です。教理そのものより、「召しにふさわしく」用いないで高ぶって余計に争うことが問題です。
    • もう一方で信条と信仰基準は、多様な人でも、聖書の教えを共にはっきりさせて同意を確かめ合って、共に歩めるようにしてくれます。「信仰は一つ」。
  • 「…バプテスマは一つです」信仰のみによって人はキリストのからだに加わりますが、そのしるしとして与えられたのは一つだけです。ユダヤ人の割礼は不要です。どの背景の人でも、洗礼を受けて、信仰によって主イエス様に繋がっている喜びを教会で共有します。

三、教会の家族の父なる神様(6節)

 最後に、6節は父なる神様から来る教会の一致を述べます。

  • すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる…」は全てのものが神と同一という汎神論ではありません。神様が創造主として、私たちの人生とこの世界の万事を徹底的にご存知で支配してくださっていることです。安心できます。
  • すべてのものの父である神はただひとりです。
    • この父なる神は「もの」は新改訳の補足です。ところが、私たちがエペソ書1章5節、2章18~19節などで見てきたように、神様はかつて敵だった罪びとを、イエス・キリストと結び合わせて子どもとし、神の家族としてくださいる背景があります。ただひとりの神は「すべてのもの」より具体的な「すべての信者」、また背景と関係なく教会「全体」の天のお父様だと言えます。
    • 「ただひとり」はクリスチャンがユダヤ人と同じように信じることをほのめかします。私たちは三つの位格(人格)の御霊・子・父を信じつつも、ひとりの神として崇めます。

結び

  • 神の子どもは地域教会として一つ、さらに全世界、全世代の公同の教会として一つです。今日の箇所から分かりますが、三位一体の神様は人々を多様な背景また色々な罪の中から救い出し、一つの召しの望みをくださいます。キリストは一つの信仰の中心におられて、私たちを一つの印(バプテスマ)で共同体としてくださいます。父なる神は私たちのような者を愛される子として、一つの家族とします。神様が教会に対して抱かれる愛を感じられますか。
  • 私たちは教会を同じように、愛しているでしょうか。例えば、具体的に…
    • 御霊による一致をを満喫していますか。言い換えると、交わりを深めて、互いのために祈り、自分自身のように大切にしようとしている人はいますか。
    • 分裂が起こるときに心を痛めていますか。
    • 罪についても柔和に話して、告白したり諭したりしますか。
    • 聖書の真実な教えを求めて、お互いと共にそれに堅く立とうとしますか。
  • 神様はこの会衆の兄弟姉妹に、そのような心を下さっていると感じます。でも、私たちはまだ罪びととして、自己中心残る者です。一方で教理や正しい生き方を強引に求めて、見せかけの一致を求めるかもしれません。あるいはさばき合うかもしれません。または、信仰の境界線を曖昧にして、聖書の教えにあまり気を向けないで「愛」中心を掲げて、別の見せかけの一致を求めるかもしれません。これらの対策は楽でしょうが、本当に一つの教会に傷を付けます。
    • 神様の教会に対する想いを信じましょう。十字架でキリストに向けられた裁きを含む、あわれみと正義、厳しさと恵み、真理と愛の組み合わせです。「いともとうとき 主はくだりて、 血のあたいもて 民をすくい」なさいました(讃美歌191番1節)。
    • 神様は教会を愛して、一つとしてくださっています。神の栄光を麗しく映せる創造として繋ぎ結び合わせてくださっています。教会の外の方が入られるように、招いて召してくださいます。教会の内の者たちを、いつまでも愛してくださっています。信じて、一致を実践する方法を求めたいと思います。

礼拝の後

振り返り:御霊・子・父なる神が教会を愛していると信じますか。あなたは教会の人々を愛したいですか。

参照聖句:エペソ1:5、18、22-23・2:13-19。

鳴門キリスト教会
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