2025年元旦礼拝 New Year’s Service, 2025 「すべきこと、すでになされたこと」”Should Do, vs. Already Done”
2025年1月1日午前11時より元旦礼拝を持ちます。(日曜日の主日礼拝の開始時間10時と異なります。ご注意ください。)
旧年を振り返り、創造主なる神様と共に新年に歩み出す機会です。クリスチャン信者でなくても参加できます。
New Year’s Service from 11 am. You do not have to be a Christian to join.
前 奏
招 詞 イザヤ Isaiah 40篇27~31節(旧p 1232)
開会祈祷
* 賛 美 讃美歌88番「過ぎにし昔も」
交 読 1 詩1篇(交読p1)
* 主の祈り
* 賛 美 301番「山べに向いて我」
聖書朗読 箴言 Proverbs 19章21節(旧p1117)
ローマRomans 12章1節(新p317)
* 賛 美 讃美歌514番「弱き者よ」
牧会祈祷
* 使徒信条
* 頌 栄 讃美歌541番「父、み子、み霊の」
* 祝 祷
* 後 奏
「すべきこと、すでになされたこと」
箴言19:21 人の心には多くの思いがある。
しかし、【主】の計画こそが実現する。
ローマ12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
【すべきこと】
新年の抱負はありますか。抱負を持っても、挫折してしまうと思うことがありますが、どこかを狙わないとなかなか進まないのも現実だと思います。試行錯誤でも、挑戦したいと思っていることがありますか。
例えば、私が今年、牧師として抱いている目標(抱負)をお分かちしします。
・祈りについて 個人として、祈祷会で、礼拝で祈りにもっと励もう。
・牧会の心配りについて 教会員や客員をよりよく知り、霊的に励まし導こう。
・伝道について 未信者と関係を作り、イエスの素晴らしさを伝えよう。
・教えについて 神様の命令と恵みの両方を指しながら、聖書を解き明かそう。
ただ、 箴言19章21節のように、私たちは「多くの思いがある」が、私たちの創造主また救い主なる神様がご自分の聖なるご計画を成し遂げてくださいます。私は色々な挑戦をしても、ただ「【主】の計画こそが実現する」のです。そこで二つのお願いがあります。
①私のために祈ってくだされば幸いです。牧師として、弱くて経験浅いものですし、知恵と実行力も足りません。
②さらに、共に歩んでくだされば幸いです。教会は共同体として「共に」成長するものです。2024年に年間成句として共に読み上げていたように、「私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。」(エペソ4:13)多様な人々はキリストにあって「一つ」として愛し合い赦し合い、共に成長することを意味します。去年もそうでしたし、今年もなお一層、共に祈り、互いに心配り合い、共に周りの人の救いを求めたいです。共に聖書を通して神を求めて歩めるようにと願っています。独りで教会成長は成り立ちません。(すでに旧年中でも、何名かから助言や提言を頂いたりもしましたし、お励ましとたくさんの祈りでも支えられたことを感謝しています。)共に歩み、新年に成長を見たいと思います。
【すでになされたこと】
ただ、このようにお願いしたところで皆様にも重たい義務の負担がかかっていると捉えていただきたくありません。私たちにすでに与えられた、なされたことの恵みに憩っていただきたいです。自分にも、すべきことの重さに目を向けてから、すでになされたことにも集中しようと思っています。
私たち人間の「初期設定」(本能)は、私たちは自分の行動によって神様あるいは人間の愛やご厚意を獲得しようとしてしまう傾向です。すべきことをできれば自分は良し、と思いがちです。
しかし、年の初めに、すべきことはそもそも自分に不可能だと認める必要があります。私たちは罪びとです。ところが、究極的にすべきことが神様によってすでになされたと覚えて、信じる必要があります。要するに、神の恵みの福音を確信した上で新年の課題に挑みたいです。共に、挑まれたらと思います。
と言うのは、「今年も頑張れ」は福音ではありません。それは律法と言います。律法はは「すべきこと」を教えますが、そのとおりにする力を与えません。もう一方で、福音は神様の力と言われます(ローマ1:16)。福音は「神様によってすでになされて、私たちがただ信じて受ける祝福」です。なされたことを信じて、つまりイエス様の御業に頼って、すべきことに挑みます。
ローマ人への手紙12章1節はローマ書の中で、教理から命令への大きな転機です。「ですから」と、11章までの深い教えを踏まえて、適用に移ります。
ローマ12:1 ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
私たちの信仰生活はこの順番を踏んでこそ、成り立ちます。まず主の恵みを経験します。それからそれを踏まえて、「神のあわれみによって」すでに与えられている主の助けによって、応答します。
神は、私たちが行いによってご自分に受け入れられる義の資格を絶対に持たないこと、できないことをご存知でした。ところが、ローマ書前半にこう書かれています。
ローマ5:8~9(新p304) しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。
永遠のご計画に基づいて、イエス様は先に人を愛しておられました。正しい心や行いがある前に、いや、それが不可能な段階で、先に愛してくださいました。父の愛によって十字架にかかり、罪の代価を払いました。同時に、私たちに転嫁される義を実行なさいました。
だから私たちは行いによらず、ただイエス様に信頼を置いて、自分を委ねることによってその祝福を受けます。クリスチャンになった日だけでなく、日々、同じキリストの義のみの故に神様に歓迎されます。そして日々自分の力に頼らず、聖霊によって変えられて、信仰生活に励むことができます。
まとめてみます。私たちの企画より先に、二〇二五年に生きるために必要なことが神様によって備わっています。神様は二〇二五年を計画なさって、新年に必要な恵みをすでに用意してくださっています。まずイエス様のご生涯、死、復活、昇天を計画され、すでに実行なさいました。これをまず確認して、確信したいと思います。第一に神様によって「すでになされたこと」を認識して信じます。これを踏まえて、自分たちに「すべきこと」に励むことができますように。それも、神様が内に働いてできるようにしてくださいます。今年が、恵みを味わって、神様がすでなされたことの素晴らしさを味わう、何かをする一年となりますように。