2024年11月3日 説教「名を立てる愛」”Love that Makes a Name”
聖書箇所:ルツ記4章1〜15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
説教者:鳴門キリスト教会牧師 百瀬ジョザイア 讃美歌:62、75、138、164番 招き:詩篇148:11〜13
初めに
亡くなった後でも、誰かに覚えられたいと思いますか。有名になる目標や野心がなくても、自分なりに良い評判を持って、少なくとも家族や友人に忘れられずに生きたいのではないでしょうか。死ぬと、地上にそれ以外に何も残りません。聖書のは良い評判(名)について、こう言います。
箴言22章1節 名声は多くの富より望ましく、
愛顧を受けることは銀や金にまさる。
では、聖書が言う名声はどうやって得られるでしょうか。誠実な、人に仕える歩みからです。創造主なる神様から受けます。今日の話では、そうせず名を忘れられた人と、そうして今も覚えられている人が出ます。
一、ボアズ、愛のために戦略的に交渉する(1〜5節)
まずルツ記4章の初めに登場するボアズ。彼は3章の、ルツと夜中に話した後、ベツレヘムの町へ戻り、その門に着きました。当時の中近東の町の門は、ビジネス交渉や交流の場、そして、町の長老たちが相談や争いについて審判する場でもありました。「ボアズが<3章12節で>言ったあの買い戻しの権利のある親類が通りかかった」と1節は続きます。
2節でボアズは「どうぞこちらに来て、ここにお座りください」と声をかけます。原文では、相手の名として、「ある、特定の人」のような言い方がされています。「某さん」です。ボアズは某さんがルツとナオミを愛するか試そうとします。交渉の証人に長老たちを集めた上で、愛のために戦略的な交渉を始めます。
3節 「モアブの野から帰って来たナオミは、私たちの身内のエリメレクの畑を売ることにしています。」
ボアズは原文では、「モアブ…」の前にまず財産、「畑」の話を持ち出します。ナオミは亡き夫エリメレクの畑を活用したいが、保護者の男性(ゴエル)の買い戻しの権利のある親戚がそれを受け取って、彼女のために活用する必要があるということです。ナオミのために、ナオミを支えるということに触れず、ボアズは4節で某さんが決断するように迫ります。
「…もし、あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。けれども、もし、それを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。あなたを差し置いてそれを買い戻す人はいません。私はあなたの次です。」
某さんはすぐに、「私が買い戻しましょう」と言います(4節)。自分にとって美味しい話に集中しています。
5節でボアズは突然、某さんにとって不利に聞こえる条件を持ち出します。ボアズにとってリスクです。相手がそれでも買い戻すと言ったら、ボアズはルツを失います。そこで買い戻す人の「不利」を強調します。
「あなたがナオミの手からその畑を買い受けるときには、死んだ人の名を相続地に存続させるために、死んだ人の妻であったモアブの女ルツも引き受けなければなりません。」
某さんはこの付帯条件で土地を取得するかを決断させられます。1
二、名を立てるように(6〜12節)
某さんは親族に仕えること以上に、合理的な契約交渉を求めていました。愛がないとは言えませんが、中途半端な、利己的な愛でした。6節で「自分自身の相続地を損なうことになるといけませんから」と言います。つまり、ルツの前の夫マフロンの名を残すように子孫を残しても、家の合併で自分の土地も「マフロン家」名義になる危険があります。自分の名で相続地を遺して、覚えられたいそうです。だから自分へのリスクが大きいので、土地取得を併せて辞退します。ボアズの王手です。
某さんは8節で、当時の習わしに従って履き物サンダル片方を抜ぎます。そしてボアズにそれを差し出して「あなたがお買いなさい」と言います。つまり買い戻しの権利を譲渡して、去ります。今では、有名な物語で無名の登場人物です。
でもボアズは長老と集まった群衆に向けて、自分はナオミのために土地を取得し、ルツを妻とすると宣言します。10節で「死んだ人の名を、その身内の者たちの間から、またその町の門から絶えさせないためです」と意思を明確に述べます。自分の名が覚えられなくても、ルツを得て、亡きエリメレク家の家系が続けば満足です。ルツとナオミに仕える愛のゆえ、ボアズは戦略的に交渉して、自分を捧げます。
11節で「門にいたすべての民と長老たち」は共に、喜んで承認します。2さらに、群衆はボアズに、過去の女性たちのようにルツがなるようにと願います。
11節「イスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のように…」
ルツが子を産めますように。父祖ヤコブの妻ラケルもレアも不妊を経験して、祈られてやっと子を授かった女性でした。3ルツの前の夫マフロンとは、子供が与えられなかった過去もあり、子を授かるかどうかの心配はあったかもしれません。
さらに民と長老たちは続けます。
「あなたがエフラテ<=ベツレヘム>で力ある働きをし、
ベツレヘムで名を打ち立てますように。」
原文では「<マフロンの>名を打ち立てなさい」、と読めます。ボアズがすべき「力ある働き」は、宣言通りに親族に仕えることです。
さらに12節でベツレヘムの住民は創世記に出るもう一人の女性、タマルを指して、ボアズの祝福を願います。創世記38章に書かれているタマルの行いは、決して芳しいものではありませんでした。ただタマルはルツのように、亡くした夫の親戚から別の夫を求めた、大胆な女性という共通点があります。そして神様は恵みをもって、タマルの子供を栄えさせてくださいました。しかも、ボアズもタマルの子孫でした。ベツレヘムの住民は、12節の終わりで「…あなたの家がなりますように」と加えて、ボアズの名も栄えるようにと祝福を願います。
三、名が立てられた人々(13〜15節)
13節以降は、どのように神様が民の願いに答えるかを教えます。ボアズはルツと結婚します。そして神様はルツに子を授けてくださいます。ボアズは誠実にリスクを冒してルツを得た結果、マフロンのために名を立てたが、今、世界中で知られているのはボアズです!ナオミの知り合いは彼女と共に喜び、ナオミの家族を褒めます。
14節「【主】がほめたたえられますように。主は、今日あなたに、買い戻しの権利のある者が途絶えないようにされました。その子の名がイスラエルで打ち立てられますように。」
11・12節でマフロンとボアズの名が町で打ち立てられるのを越して、ボアズの子が国中で有名になるように!そう言っています。そして最後に15節でその女性たちはルツの名声を認めます。
「あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだのですから。」
ルツは1章からここまで、謙遜に、静かにナオミを愛し、仕える英雄でした。
マフロン、ボアズ、ルツそして赤ちゃんは皆、覚えられる人々となりました。特に、自分を捧げて、名を立てたボアズとルツの人物は印象に残ります。
適用
今回の登場人物を振り返って、あなたは自分が誰に似ていると思いますか。ボアズやルツ、それとも某さんか。もしかして、ボアズやナオミの祝福を祝った近所さんか。私自身は某さんの中途半端な愛をよく理解すると思います。また、近所さんのように、他の人の自己犠牲的な愛に感銘を受けるかもしれませんが、ボアズとルツの愛し方、もっと言うと聖書が教える愛し方は難しいと分かります。
私たちは自分のため、自分の名声、成功を中心に生きる傾向、罪があります。本当は創造主の栄光のために生きるべきですが、私たちは自分の名を、良い行いや業績で立てようとしがちです。言うなら、某さんです。ただ、私たちのこういう名声は消え失せるでしょう。
また、私たちはナオミにも似ています。彼女のように、助けがないと所有を用いることもできません。ボアズはなんとか、聖書の教えや社会の慣習を根拠に某さんを去らせて、ルツと結婚して土地を買い戻せました。個人的に代価を払って、小さなスケールで贖うことができました。
でも、創造主との生きた関係を棄てた人類として、天国に入るという相続を買い戻す、言い換えると贖う、人が必要です。最後まで、徹底的に愛して、代わりに立って代償を払える人が必要です。それは、聖書がイエス様について語ることです。へりくだって、いのちの代価で人に永遠のいのちを用意して、永遠の名を立てられました。
ピリピ2:6-9 キリストは、神の御姿であられるのに、
神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
自分を空しくして、しもべの姿をとり、
人間と同じようになられました。
人としての姿をもって現れ、
自らを低くして、死にまで、
それも十字架の死にまで従われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、
すべての名にまさる名を与えられました。
イエス・キリストは名を立てる機会を全て棄てたかのように見えました。結婚もせず、肉体的な子孫を残さず、最後は大多数の支援者の反感を買いました。極悪犯罪人に囲まれて、貧しい植民地でローマ帝国の兵隊によって処刑されました。でもその自己犠牲的な愛の結果は、復活と永遠の栄光です。
私たちはキリストの犠牲と復活の誉れを覚えて、見習います。職場、家庭、学校で自己犠牲的な愛で人に仕えることが私たちの使命だと覚えていただきたいです。死んだ後も、私たちが覚えられるとすれば、人をどう愛したかで、でしょう。しかし、第一にイエス様を覚えていただきたいです。主イエスの犠牲によって罪の支配から買い戻され贖われた事実に自分を委ねましょう。イエス様に信頼しましょう。
註
1ボアズは聖書の戒めと一緒に当時の適用の習わしを用いていたかもしれません。買い戻しの権利を持つ人(ゴエル)は兄弟が亡き兄弟の妻に対する義務をも果たすこととセットだという理解はどうやらボアズにも某さんもあったようです。当時の共通認識だったでしょう。
23章11節にあるように、町全体の住民はルツが「しっかりした女である」のを認めていました。
3創世記29:31-30:24。