2024年9月29日「ルツとボアズのプロフィール」”Ruth and Boaz’s Profiles of Character”

説教の聖書箇所:ルツ記2章2〜17節 参照:ミカ書6章8節

 妻と私はある牧師に小会されましたが、その前に、相手がどんな人かを知る手助けとして「プロフィール」を交換しました。顔写真、短い自己紹介文、趣味などを交わしました。でも、性格や人格を書いた覚えがありません。それは、会って、付き合って、そして結婚して、知り合いました。お互いが、色々な状況の中でどう反応して、何を言うかなどから、相手の人格を分かってきました。何を大切にするか。何を、どこまで犠牲にして、何を求めるか。恐れ、希望などは何か。

 感謝なことに、ルツ記はルツとボアズのプロフィールを、日常的な場面で示してくれます。私たちはそれを読み、この二人の素晴らしい人格の模範を見ることができます。以前、ルツ記2章全体を見ました。創造主なる神様が日常的な作業と会話を用いて、ルツとナオミを支えたという話でした。今日、ルツとボアズの「プロフィール」に焦点を当ててみます。そして、彼らから学べることを踏まえて、私たちが変わるための秘訣をお分かちしようと思います。

一、ボアズのプロフィール

 まず、ボアズの人格を表すシーンを見ましょう。1

 1)良心的で気配り上手。ボアズは4節で「主があなたがたとともにおられますように」と挨拶します。「主があなたを祝福されますように」とそのしもべたちが快い挨拶を返します。まずボアズが部下を大切にすることが分かります。

 また、ボアズは自分の町の人をよく知り、逆に5節で初対面のルツのことを見落とさずに察知して監督に尋ねます。気配り心配りができます。

 2)優しく、力強い。ボアズは、監督の説明を聞くとすぐに動きます。8〜9節でルツに彼女のためにすでに実行したことと、応援していることを伝えます。①ボアズの畑に留まるように(8節)。②安全な仲間(「若い女たち」)と一緒に行動するように(8節)。③安心するように(9節)。④疲れ果てないで必要を満たすように(9節)。他の畑では、社会の底辺に置かれた女性がどう扱われるか分からないが、ボアズは彼女を大切に守ります。

 さらに14・15節でボアズは続けて、ルツに食物を存分に与え、味漬けの酢も分け与えます。しかも、異邦人で社会的地位底辺の彼女を、自分の仲間へ招きます。

「ここに来て、このパンを食べ、あなたのパン切れを酢に浸しなさい。」…彼は炒り麦を彼女に取ってやった。」

 学校の学期途中に転入してきた子や会計年度の途中に中途採用された新人を、尊敬されている同級生や上司が呼びかけて、一緒に座って弁当を食べるように言ったら、どうでしょうか。新人を悪用するためでなく、ただ保護して、安心して馴染むことができるように助けている姿はなんと素晴らしいことでしょう。ボアズは単純に、ルツを真の神様によって造られ、真の神様を信じる、ただ立場の弱い仲間として、大切に扱って、彼女の環境を整えようとします。

 3)神様を見上げて歩む姿勢。ボアズはイスラエルの神の約束に期待していることも伺えます。

 人の心の良さ悪さは、その人が本当に慕って、感心することに映ります。ボアズはルツの良さに感心していました。ボアズは11節で「あなたが姑にしたこと、それに自分の父母や生まれ故郷を離れて、これまで知らなかった民のところに来たこと」を指します。ルツの誠実さと信仰に惹かれる、誠実で信仰深い人です。また、12節で祝福の言葉をルツに与えます。「主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」

 まとめて言えば、ボアズは真の神様を恐れて、人を大切にする指導者です。上司や先輩だったら、慕われる人でしょう。本当に善良な生き方を示す人でした。2

二、ルツのプロフィール

 2番目に見るルツは同じように素晴らしい人です。彼女の姿勢は、その立場の違いにより、異なった形でそれを表現します。しかし、誰でもクリスチャンなら目指すべき姿です。

 1)勤勉さ。2節からルツが動いて、義理の母ナオミを支えようと力を尽くしました。ナオミからの励ましはあまり感じ取れません。でもルツは早速、穀物を集められる畑を求めます。2章7節によると、丁寧に監督者に許可を求めてから、休憩なしに努力していました。17節で彼女は「夕方まで」集めて、それから暗くなっていく中でも籾殻を取り除くために「打つと」、大量の大麦を獲りました。勤勉でした。3

 2)誠実さ。10節ですでに見ましたが、ボアズはルツの誠実さに惹かれました。ナオミはすでに1章8節で、ルツがナオミとその亡くなった家族に「恵み」(誠実さ)を示したと認めています。ルツは、ナオミのために、故郷モアブでの再婚の機会を捨てても良いと覚悟していました。イスラエルの地で貧しく暮らすことを決心していましたし、それをやり通す勢いでナオミのために考えて行動しました。

 3)謙遜さ。ルツはへりくだる人でした。

ルツ2:10 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「どうして私に親切にし、気遣ってくださるのですか。私はよそ者ですのに。」

13節 「あなたは私を慰め、このはしための心に語りかけてくださいました。私はあなたのはしための一人にも及びませんのに。」

 ルツは自己弁護や自己主張しませんでした。その朝、親切にする人のところで働きたいと2節で希望したら、その通りの恵みを神様から、ボアズを通して親切にしてもらったと素直に認めました。ボアズの賞賛に対して、「そうでしょう!私は祖国を後にして、感謝もしない姑を助ける。暑い中、文句せずに働いて、偉いでしょう?」と言いません。私はそのような気持ちを抱くことがよくあります。しかし、ルツはそのようなことを一切言いません。

 「謙遜」は弱さ、卑しさを連想させるかもしれません。しかし、聖書は正しい、神様を意識した謙遜さを非常に高く評価します。それは自己卑下や自分を痛めつけることでもありません。むしろ、自分のことを二の次に考え、神様に集中することです。そうなると、ルツのように他の人に気を配れるように自由になります。

マタイ18:14 「だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。」

ローマ12:3 思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。

 まとめて言えば、ルツは他の人を自分より大切にすることができる、忠実で誠実な女性でした。外国人であっても、3章11節によるとベツレヘムの皆が彼女の人格を認めていました。

三、二人の主

 さてルツもボアズも本当に立派な人物です。ルツは宗教の背景から、ボアズは当時士師記の時代の文化から抜け出して、真の神を信じて歩んでいました。立派な模範です。

 もう少し言うべきでしょう。彼らの主なる神様はそのような人格と心持ちの源でした。私たちは二人の模範から、主が求められる力強い優しさ、そして謙遜な誠実さを学びます。そして私たちは彼らの模範を通して神様の基準を知ると、基準を満たさないことをも知ります。後に予言していたミカの有名な一節を読みましょう。

ミカ6:8 主はあなたに告げられた。
人よ、何が良いことなのか、
【主】があなたに何を求めておられるのかを。
それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、
へりくだって、
あなたの神とともに歩むことではないか。

 これをできていますか。正しさ、愛、謙遜さをあなたは追求できていますか。

 あなたはどうか分かりませんが、私は愛ある歩みをしていると思いたいのに、そうでないことを日々、気付かされます。気配りでも謙遜さでも、本当はあまり持っていません。自分の家族や他の人のためにでも、不便なことをするとすぐに思い上がってしまいます。感謝されないと不満に思っても、家族を助けることを面倒くさがるときがあります。あるいは、「思い描く、立派な夫・父親・牧師になっていない」と自己卑下に陥ってしまうこともあります。神様を見上げているのではなく自分を見ているのだと、このような思いが現します。あなたはどうでしょうか。面倒臭いから、怖いから人間関係の不正を見て見ぬ振りしますか。愛してあげるべきなのに、人をただ利用しようとしますか。

 ルツ、ボアズのように愛を抱けていないあなた、私に、朗報です。それは「福音」です。イエス・キリストが、ルツ以上に、ボアズ以上に、神が要求される公正と誠実とへりくだりの「義」を歩まれました。そして、イエスに信頼する人には、イエスの「義」が転嫁されます。逆に、信じる人の罪はイエスによって、すでに罰せられた、という大いなる転嫁・交換がなされています。

第二コリント5:21 神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。

 さて、どうでしょうか。イエス・キリストを信じますか。イエスが天の座を捨てて、ご自分を無にして、十字架の最悪の恥と痛みに甘んじて、私たちの受けるべき刑罰を受けてくださったから、聖霊様の助けによって私たちはへりくだることができます(ピリピ2:5–8)。人のためにもっと、自分を尽くすことができるようになります。望みを持って、置かれた職場、学校、家庭で「公正を行い、誠実を愛」するように動かされますように。4 ルツとボアズを通してイエス様を仰いで、神と共に歩みましょう。

※ 聖書箇所は原則、新改訳2017版(新日本聖書刊行会)より。

1 1節によるとボアズは「夫エリメレクの一族に属する一人の有力な親戚」でした。「有力な」という語はヘブライ語でいくつかの捉え方があります。富や能力があることを意味する場合も、立派な人格を有するという場合もあります。ボアズには、その全ての意味合いが当てはまると分かってきます。そして、3:11で、ルツについても「しっかりした女」で、同じ語が用いられます。

2ウェストミンスター大教理問答第129問が示す、上の立場を持つ人が示すべき隣人愛の姿です。

3第一テサロニケ4:11参照。

4讃美歌番号:267、294、280。

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)