2024年9月15日「全宇宙の王、教会のかしら」 “King of the Universe, Head of the Church”

説教の聖書箇所:エペソ人への手紙1章20〜23節

 あなたは親切だけど無力な指導者、それか力強いけど時には無頓着な、あるいは意地悪な指導者のどちらを欲しいと思いますか。今年、日本とアメリカに首相また大統領を選ぶ議論が続いています。誰が選ばれても、彼らのために祈るべきと使徒パウロが第一テモテ2章で言います。でも私たちはもちろん、公正と善良な事のために力を効果的に発揮する人を望むでしょう。

 イエス・キリストはそういう指導者です。エペソ書1章20〜23節は19節の補足です。パウロは18・19節で、エペソのクリスチャンたちの心に三つの現実が届くように祈っていました。三つ目は19節、「神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように」でした。ところが、その力は具体的に何を成し遂げたか知らないと、それは心に響きません。今日の箇所がその力を指し示します。

  1. 神はキリストを高く挙げられ、絶大な権威を与えられた(20節〜22節前半)
  • まず、20節の「死者の中から」を読み、イエスが謙って低くなられた状態1を忘れてはいけません。
    • 使徒信条「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり〈確かに死んだ状態にいたということ〉2…。」
  • エペソ1章7節のとおり、イエス様はご自身の命をささげて、罪人が神に赦されて平和を持つようにと贖いの代価を払ってくださいました。「キリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。」その際、イエス様は死んだ状態になり、低くなられました。
  • ところが20節はその続きを告げます。「キリストを死者の中からよみがえらせ」不可能な事が、復活の日曜日の朝に起きました。絶望と死の淵が、世界といのちの造り主によって、打ち破られました。使徒信条の「三日目に死人のうちよりよみがえり」。聖書が教える「復活」はただの霊的なことではありません。物質を造られた神様は物質的なからだを大切にします。そしてイエス様はからだをもって、よみがえられました。神様はこうして、再創造とも言えるわざをなさいました。これほどの力は他にありません。
  • 「天上でご自分の右の座に着かせて」「天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。」3
    • パウロは21節で、父なる神の右の座に着いたイエス様が無敵の主であると強調します。
      「すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。」
    • 四つの「支配、権威、権力、主権」は世界の四つの方角と重なって、あらゆることを意味します。「主権」は聖書で天使の力を指す可能性も高いです。4 昔のローマ皇帝、また今までの各国の王や天皇、首相、大統領、億万長者であれ、良い天使であれ悪い悪魔であっても、王なるイエスには勝てません。預言者ダニエルが幻で神の御前に立ったイエス、「人の子」を見て、こう言いました。
    • 「となえられるすべての名」とは、エペソの占いや魔術の多い文化では、大きな励ましまた指摘でした。使徒19章にあるエペソの教会の成長を読むと、多くのクリスチャンもかつて魔術を行っていたことが分かります。その魔術では、誰か、何かの秘密の「名」を知って唱えるなら、力を振るおうとしました。(その一例は、使徒19章13〜16節にあります。)パウロはエペソのクリスチャンたちに、「あなたがかつて恐れたり、操ろうとしたりしたどの名も、イエスの前では無力です。あなたはイエスの名だけで守られます」とほのめかします。
    • 22節前半は「また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ」たと言います。どの敵もイエスに勝てません!5
  1. キリストは教会を愛して、教会のために、万物を支配なさる(22節後半〜23節)
  • イエスの権力の絶大さを聞いて、怖くなりますか。私たちも、一歩踏み外して、潰されるのでしょうか…。そう恐る必要はありません。
    22-23節 「…神は…キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。教会はキリストのからだであり…。」
  • イエス様はご自分に信頼する者を一人一人、一つの「からだ」として集めてくださいます。この箇所の「教会」は各地域教会より、世界中、すべての時代の全ての神の子の共同体を指します。教会は孤立した個人の集団でなく、神の一つの家族です。エペソ1章10節のように「一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」訳ですが、特別に神様がその民、教会にキリストと密接に繋がるようにお建てになった、とパウロはこの22・23節で言います。
    • そして、エペソ5章にあるように、イエス様は教会を深く愛されます。5章26節で「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい」と、結婚で夫の愛の基準がイエスの教会に対する愛です。29節によると、人は「自分の身を…養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。」
  • ですから、神は全宇宙をイエスの支配下に置かれました。教会も当然イエスの支配下にあります。ただ、三位一体の神は同時に教会を深く愛し、イエス様は命懸けで(命を捨てよみがえってこそ)守られました。それこそ、十字架で命を捨てて、私たち罪人への刑罰を身代わりとして受けてくださいました。そうして、花婿イエス様は教会をきよめて、ご自分の花嫁、密接に繋がっているからだとして贖ってくださいました。
  • 23節最後にパウロは教会について、それが「すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです」と言います。要するに、イエス・キリストは全宇宙の王、神の国の王として万物において働かれ治めているという意味で満たされます。
    • さらに、そのイエス様が特に教会を満たしておられ、そこで働かれ治めておられる訳です。愛をもって、治めてくださいます。
  1. 適用:私たちは神の力と愛を信じるのか
  • 今日の箇所から励ましを受けますか。パウロは、クリスチャンたちの心にこの神の力の現実が届くように祈っていました。イエス・キリストの復活、昇天、支配、そして教会のための支配が私たちを励ますべき事実です。では、私たちは本当に神の、イエス様の力と愛の両方を信じていますか。
  • 1)イエス様の復活と天でのご支配を知って、その力と愛を信じるなら、イエスが教会を前進させると信じることができます。キリストが「満ちておられるところ」として私たちはイエスに服従して、教会の中で互いを愛し、赦し合い、さらに他の人に王なるイエスのことを分かち合いますか。
    • イエス様の力と愛は教会でこそ、宣べ伝えられて、力を発揮します。その外にその愛と力が届くために、私たちは街中へ、知り合いへ、家族へ届けないといけません。
      第一ペテロ2:9 あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
  • 2) イエス様の復活と天でのご支配を知って、その力と愛を信じるなら 、神様の恵みがあなたのどの罪、恥、恐れにまで及ぶと信じられますか。それらに縛られずに生きていますか。私たちはよく、自分が神様の祝福を受けるに値しないと思います。特に失敗したとき、罪を犯したときはそうでしょう。
    • しかし、イエス様は罪のために死なれてから神様の力で復活されました。その絶大な力で今、治めておられます。どの罪、恥、恐れ、状況に対をも用いて良い事を生み出してくださる力と愛を教会にいる人に示してくださいます。
    • 悪魔の訴えや迫害、危険があります。私たちは多くの場合、それを通して苦しみを受けます。しかし、それを認めた上で、パウロはこう書きました。
      ローマ8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。 ローマ8:37-39 …これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、 高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
  • アーメン。イエス・キリストの教会の内にいるお一人お一人。私たちの益のためにイエス様が宇宙の王の力を持って、教会を愛して、支配してくださいます。私たちは恐れる必要がありません。罪悪感や恐れから、イエス様に心の目を移して、助けを求めましょう。そしてその働きに期待して、生きましょう。

1ウェストミンスター小教理問答第27問の答え参照。

2「しばらく死の力のもとに留まられた」ウェストミンスター小教理問答第27問の答え。

3ウェストミンスター小教理問答問第28の答え参照。

4 コロサイ1:16、第二ペテロ2:10、ユダ8参照。

5イエスが天に昇られ、父なる神の右に着座され、全てを治めるのは、詩篇110篇1節の成就でした。

【主】は 私の主に言われた。  「あなたは わたしの右の座に着いていなさい。  わたしがあなたの敵を  あなたの足台とするまで。」

鳴門キリスト教会
礼拝内容(説教)